珍場面ブログ
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たくさんのモノが見える映画(2)
あえて、たくさんのチンチンを見せるという方向でいく映画としては、やはり「ユーロトリップ」(2004年アメリカ)があげられるだろう。
アメリカ人のおばかな若者たちが、ヨーロッパの友達を訪ねて旅するロードムービーだ。途中の駅で降りた彼らは、ガイドブック片手にヌーディストビーチをめざした。当然、すっぽんぽんの女性をたっぷり拝めるという期待をしながらビーチについたのだが、見渡してみると、男だらけ。どうもその時期だけ、女性専用のビーチが運営しているらしく、女性はそちらに行ってしまっているらしい。唯一、自分たちの友達の女性がそこで合流することになったのだが、ビーチで不満を募らせていた大量の男たちが、たった一人の女性向かって突進していくという話だった。
映画でヌーディストビーチが出てくる映画はあるし、そこでは登場人物が確かに裸になっているわけだが、主要な人物は普通は決まっているし、そんなに大量の裸のエキストラが必ずしもいるわけではない。しかし「ユーロトリップ」は演出が明らかに違っている。
ヌーディストビーチで待ち構えていたのは、50人の男たちだった。それも、はっきり言ってぶらんぶらん状態を見せている。脚本家が、一度にチンチンが何本映るか記録を作ろうとしたと言うくらいで、チンチンを見せる努力をしているようだった。そこで話題作りをしたわけだから、チンチンを修正しては意味がない。そうした制作者側の意図をくんでくれたのか、日本版が出版されたときも一切の修正をせずに、丸々全部見せてくれている。チンチンが何十本映っていても修正しなくてよい時代になったのだと実感したものだ。
こうなると、これは正直エキストラ(裸で出演の男性)を集めたというよりも、ドイツ産のソーセージを50本買ってきて撮影に使ったに相当するね。それも白や黒や黄色いの、埋没ぎみのもの、だらんと長いもの、皮つき、皮なし、周囲に毛あり、周囲に毛なしなど、50本もあればいろんなタイプのものに出会うことになる。実際に映画の中でも、主人公たちが男たちの股間をみて「ソーセージの品評会」だとつぶやいている。そしてDVDでは、さらに本編で全部見せられなかったと思ったのか、DVDの特典映像で、さらに多数のチンチンを見せている。買ってきた50本のソーセージをできるだけ無駄にしないで公開する努力が見られている。
いろいろ見られるという点では、性教育の教材として使ってもいいと思えるくらいだ。
一方で、大量の裸の男を登場させているのに、チンチンは見せないという映画もある。ブラジル映画「カランジル」(2003年)は、カランジル刑務所で発生した暴動と虐殺をもとに作成されている。監督ヘクトール・バベンコは、「ピショット」という少年刑務所の映画のときには、シャワーや身体検査など、児童から思春期の少年たちのチンチンは結構見せていたと思う。しかし「カランジル」では見せない撮影となっている。刑務所内でいざこざから暴動に進展し、それを鎮圧する側も銃を乱射して多数が殺害されるというむごたらしい結果になった。囚人たちは全裸で中庭に集合させられた。大量の真っ裸の男たちが映っているが、後方から撮影したり、体育座りの状態で局部が見えなかったりで、映像の中でチンチンを確認することはできなかった。見事と思えるくらいだ。
映画は大変深刻な内容を扱っている。そこで、出演者のチンチンが映るかどうかは主題に影響しない。百人単位の全裸の男を登場させたとしても、見せない映画作りをしようと思えば、そのとおりにできることを示している。
アメリカ人のおばかな若者たちが、ヨーロッパの友達を訪ねて旅するロードムービーだ。途中の駅で降りた彼らは、ガイドブック片手にヌーディストビーチをめざした。当然、すっぽんぽんの女性をたっぷり拝めるという期待をしながらビーチについたのだが、見渡してみると、男だらけ。どうもその時期だけ、女性専用のビーチが運営しているらしく、女性はそちらに行ってしまっているらしい。唯一、自分たちの友達の女性がそこで合流することになったのだが、ビーチで不満を募らせていた大量の男たちが、たった一人の女性向かって突進していくという話だった。
映画でヌーディストビーチが出てくる映画はあるし、そこでは登場人物が確かに裸になっているわけだが、主要な人物は普通は決まっているし、そんなに大量の裸のエキストラが必ずしもいるわけではない。しかし「ユーロトリップ」は演出が明らかに違っている。
ヌーディストビーチで待ち構えていたのは、50人の男たちだった。それも、はっきり言ってぶらんぶらん状態を見せている。脚本家が、一度にチンチンが何本映るか記録を作ろうとしたと言うくらいで、チンチンを見せる努力をしているようだった。そこで話題作りをしたわけだから、チンチンを修正しては意味がない。そうした制作者側の意図をくんでくれたのか、日本版が出版されたときも一切の修正をせずに、丸々全部見せてくれている。チンチンが何十本映っていても修正しなくてよい時代になったのだと実感したものだ。
こうなると、これは正直エキストラ(裸で出演の男性)を集めたというよりも、ドイツ産のソーセージを50本買ってきて撮影に使ったに相当するね。それも白や黒や黄色いの、埋没ぎみのもの、だらんと長いもの、皮つき、皮なし、周囲に毛あり、周囲に毛なしなど、50本もあればいろんなタイプのものに出会うことになる。実際に映画の中でも、主人公たちが男たちの股間をみて「ソーセージの品評会」だとつぶやいている。そしてDVDでは、さらに本編で全部見せられなかったと思ったのか、DVDの特典映像で、さらに多数のチンチンを見せている。買ってきた50本のソーセージをできるだけ無駄にしないで公開する努力が見られている。
いろいろ見られるという点では、性教育の教材として使ってもいいと思えるくらいだ。
一方で、大量の裸の男を登場させているのに、チンチンは見せないという映画もある。ブラジル映画「カランジル」(2003年)は、カランジル刑務所で発生した暴動と虐殺をもとに作成されている。監督ヘクトール・バベンコは、「ピショット」という少年刑務所の映画のときには、シャワーや身体検査など、児童から思春期の少年たちのチンチンは結構見せていたと思う。しかし「カランジル」では見せない撮影となっている。刑務所内でいざこざから暴動に進展し、それを鎮圧する側も銃を乱射して多数が殺害されるというむごたらしい結果になった。囚人たちは全裸で中庭に集合させられた。大量の真っ裸の男たちが映っているが、後方から撮影したり、体育座りの状態で局部が見えなかったりで、映像の中でチンチンを確認することはできなかった。見事と思えるくらいだ。
映画は大変深刻な内容を扱っている。そこで、出演者のチンチンが映るかどうかは主題に影響しない。百人単位の全裸の男を登場させたとしても、見せない映画作りをしようと思えば、そのとおりにできることを示している。
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