珍場面ブログ
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裸の表現の是非について
今までオペラの表現について、いくつか事例をあげてきた。実際にオペラにおける全裸での表現については、すべての人が賛同しているわけではないだろう。中には非常に反発をしている人もいると思う。しかし賛否両論ある中でも、演出家は自分の主張として全裸の表現が必要と考えれば、それを実行に移していく。それは、やはり芸術としての立場があるからなのだろう。
もしロックバンドが出てきて、いきなりパンツを脱いで歌い始めたとしたらどうだろう。単なる露出狂としか扱われないかもしれないよね。でもその歌のメッセージやダンスの内容や、その他何かの芸術性を意図したものであれが、裸での演出が絶対にだめということはないだろう。単純に裸そのものが駄目という考え方は極端で、無理があると思う。裸が何か悪いこととか、間違った問題ということはないはずだからだ。裸を見ることも悪いことではないはずだし、芸術の中で裸の表現があること自体も決して悪とは思えない。テレビのような公共の電波に乗せてよいかどうかは別として、芸術における表現の自由は守ってほしいね。
逆にもし芸術の世界で、裸の表現を否定するとちょっと大変なことになりそうだ。システィーナ礼拝堂の天井画はまだ木の実を食べる前のアダムであっても、イチジク以外の何かの葉で股間を修正しなくてはならなくなるだろう。ダビデ像はモロ出しで立っているのを避けるために、ふんどしが着用されるかもしれない。そんな高度な美術作品ばかりではない、町の体育館のブロンズ像もパンツやブラジャー着用になるのかな。どうしても裸を見せちゃいけないという主張が通るならば、そうせざるを得なくなると思う。
子供における裸の芸術表現は大人以上に厳しくなるのではないか。たとえば公園の小便小僧はオムツ着用で、小便の放水も中止されることになるのかな。こんな考え方ができるかもしれない。公園の池に小便小娘(※)なんて見たことないし、そんなものを公園に設置しようとしても許可はされないだろう。ならば小便小僧だって公の場に置くことは許されないのではないかとね。まさか、小便小僧が児童ポルノにあたるからけしからんなんて考える人は世の中にいないと思うけどな。(※コメントにも書きましたが、実は小便小娘の像は実在するらしいです)
確かに、裸の表現をした場合に、完全に性的な描写やイメージをそこから排除することは難しいのもわかる。だからといって、すべて否定されるのは違うと思う。しっかりとした判定基準もないまま児童ポルノ禁止だけが一人歩きした場合、こんな極端なところまで行き着く可能性も否定できないと思うね。
もしロックバンドが出てきて、いきなりパンツを脱いで歌い始めたとしたらどうだろう。単なる露出狂としか扱われないかもしれないよね。でもその歌のメッセージやダンスの内容や、その他何かの芸術性を意図したものであれが、裸での演出が絶対にだめということはないだろう。単純に裸そのものが駄目という考え方は極端で、無理があると思う。裸が何か悪いこととか、間違った問題ということはないはずだからだ。裸を見ることも悪いことではないはずだし、芸術の中で裸の表現があること自体も決して悪とは思えない。テレビのような公共の電波に乗せてよいかどうかは別として、芸術における表現の自由は守ってほしいね。
逆にもし芸術の世界で、裸の表現を否定するとちょっと大変なことになりそうだ。システィーナ礼拝堂の天井画はまだ木の実を食べる前のアダムであっても、イチジク以外の何かの葉で股間を修正しなくてはならなくなるだろう。ダビデ像はモロ出しで立っているのを避けるために、ふんどしが着用されるかもしれない。そんな高度な美術作品ばかりではない、町の体育館のブロンズ像もパンツやブラジャー着用になるのかな。どうしても裸を見せちゃいけないという主張が通るならば、そうせざるを得なくなると思う。
子供における裸の芸術表現は大人以上に厳しくなるのではないか。たとえば公園の小便小僧はオムツ着用で、小便の放水も中止されることになるのかな。こんな考え方ができるかもしれない。公園の池に小便小娘(※)なんて見たことないし、そんなものを公園に設置しようとしても許可はされないだろう。ならば小便小僧だって公の場に置くことは許されないのではないかとね。まさか、小便小僧が児童ポルノにあたるからけしからんなんて考える人は世の中にいないと思うけどな。(※コメントにも書きましたが、実は小便小娘の像は実在するらしいです)
確かに、裸の表現をした場合に、完全に性的な描写やイメージをそこから排除することは難しいのもわかる。だからといって、すべて否定されるのは違うと思う。しっかりとした判定基準もないまま児童ポルノ禁止だけが一人歩きした場合、こんな極端なところまで行き着く可能性も否定できないと思うね。
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Comments
No title
小便小娘
>ケルビーノさん
行き過ぎた規制ではなく、本当に悪意のあるものや虐待を防止するための規制になってくれればいいですね。
ところで、僕が本文で書いた話のうち、おしっこをする女の子の銅像って、実在するんだそうです。ベルギーのブリュッセルにあると紹介されている方がいました。
http://www.1tabi.com/belgium/post_17.html
小便小娘さん、M字開脚でおしっこしてますよね。なるほど、芸術にはわいせつもイヤラシイも関係ないということがわかりました。ちなみに、小便小僧の方は服を着せられているのはなんでかな・・・
行き過ぎた規制ではなく、本当に悪意のあるものや虐待を防止するための規制になってくれればいいですね。
ところで、僕が本文で書いた話のうち、おしっこをする女の子の銅像って、実在するんだそうです。ベルギーのブリュッセルにあると紹介されている方がいました。
http://www.1tabi.com/belgium/post_17.html
小便小娘さん、M字開脚でおしっこしてますよね。なるほど、芸術にはわいせつもイヤラシイも関係ないということがわかりました。ちなみに、小便小僧の方は服を着せられているのはなんでかな・・・
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つまり、単純に猥褻という判断基準で規制を掛けるのは根拠として破綻してしまっているのです。(明確に虐待と言えるものではない)
「ポルノ」の行き過ぎた定義付けや解釈は子供の自由意志を奪うもので
保護するつもりが実は権利侵害に当るという矛盾が生じます。