珍場面ブログ
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男根と儀礼(2)
男子が裸になる行事は、水垢離などもある。
それはふんどしで行う例もあって、決まりがある場合を除けば
男根を見せる必要はない。
しかし前回とりあげたマタギの儀礼は、裸になることではなく、
あくまで男根を露わにすることが目的だ。
マタギは雪深い東北と熊のイメージがあるけれども、
男根を出して踊る行事は遠く離れた鹿児島地方にもあったことが
記録されている。
はじめて狩猟に参加した若者は、
仲間の前で男根に幣を結んで踊ったそうで、これをマラフリという。
さらに南の奄美地方の正月行事として行われたマラフリは、
前年に獲物がなかった男が男根を出して山の神に祈ったそうだ。
獲物が獲れないという面目ない状況で、ちょっと恥ずかしい気もする。
こうした男根を見せる習俗は、山の狩猟者の話だけではないようだ。
下野敏見氏の著書に、鹿児島地方で行われている(二才入りという
一種の成人の儀式が紹介されていた。
小牧という場所では、幣に塩をつけて男根に結び付け、
左に三回半、右に三回半まわったという。
田良という場所では、15歳の祝いにもらったふんどしを締めて
拝殿の中で回ったそうだが、拝殿の戸が締まる前に逃げられ
なかった者は、ふんどしを取られて外に出された。
それを見て集まった大勢の見物人が大笑いしたそうだ。
そして海の男たちにも男根を出して回る行事は行われていた。
トカラ列島から鹿児島にやってくる船では、
初のぼりの若者は薩南で山の神様の前を通るとき、
船上で全裸になって三回まわったという。
これも自分の男根を山の神様に見てもらう意味があったようだ。
獲物が獲れない人が裸踊りをするというのは別としても、
基本的に男根を出すのは、はじめて仲間に入っていた若者だ。
これは、大人の仲間入りするための通過儀礼として、
成長した性器を地域の人やグループの先輩に見せて
チェックされる意味もあっただろうね。
現代はそうした儀礼はなくなり、コミュニティも機能しなくなった。
20歳の成人式は、年齢が届いたという形だけのもので、
成長したことを確認する意図はない。
海外ではどうだろうね。多くの国や地域で割礼が行われている。
生後間もなく行うのはさすがに成人になるための通過儀礼とは言えないが、
少年期から青年期に実施するものは、
皮のついたオチンチンが大人のペニスになったことを発表・披露する場であって、
大人になる儀式と言えるよね。
例えば南アフリカでは18歳頃に割礼を実施するが、まさに成人式そのものだ。
日本と同じで割礼のない地域でも行事は行われている。
例えば前にとりあげたエチオピアのボディ族の場合、
正月の恒例行事に結婚適齢期の男子を集めて裸で競技させる。
皮は剥かないが立派なサイズに成長したことを地域の人に披露している。
日本ではもともとあった儀礼がなくなり、
一方で性や性器の話題をあまりにもタブー化してしまったため、
今では成長期の性器をチェックする場面はほとんどないだろう。
むしろ後退したと言えるかもしれないね。
それはふんどしで行う例もあって、決まりがある場合を除けば
男根を見せる必要はない。
しかし前回とりあげたマタギの儀礼は、裸になることではなく、
あくまで男根を露わにすることが目的だ。
マタギは雪深い東北と熊のイメージがあるけれども、
男根を出して踊る行事は遠く離れた鹿児島地方にもあったことが
記録されている。
はじめて狩猟に参加した若者は、
仲間の前で男根に幣を結んで踊ったそうで、これをマラフリという。
さらに南の奄美地方の正月行事として行われたマラフリは、
前年に獲物がなかった男が男根を出して山の神に祈ったそうだ。
獲物が獲れないという面目ない状況で、ちょっと恥ずかしい気もする。
こうした男根を見せる習俗は、山の狩猟者の話だけではないようだ。
下野敏見氏の著書に、鹿児島地方で行われている(二才入りという
一種の成人の儀式が紹介されていた。
小牧という場所では、幣に塩をつけて男根に結び付け、
左に三回半、右に三回半まわったという。
田良という場所では、15歳の祝いにもらったふんどしを締めて
拝殿の中で回ったそうだが、拝殿の戸が締まる前に逃げられ
なかった者は、ふんどしを取られて外に出された。
それを見て集まった大勢の見物人が大笑いしたそうだ。
そして海の男たちにも男根を出して回る行事は行われていた。
トカラ列島から鹿児島にやってくる船では、
初のぼりの若者は薩南で山の神様の前を通るとき、
船上で全裸になって三回まわったという。
これも自分の男根を山の神様に見てもらう意味があったようだ。
獲物が獲れない人が裸踊りをするというのは別としても、
基本的に男根を出すのは、はじめて仲間に入っていた若者だ。
これは、大人の仲間入りするための通過儀礼として、
成長した性器を地域の人やグループの先輩に見せて
チェックされる意味もあっただろうね。
現代はそうした儀礼はなくなり、コミュニティも機能しなくなった。
20歳の成人式は、年齢が届いたという形だけのもので、
成長したことを確認する意図はない。
海外ではどうだろうね。多くの国や地域で割礼が行われている。
生後間もなく行うのはさすがに成人になるための通過儀礼とは言えないが、
少年期から青年期に実施するものは、
皮のついたオチンチンが大人のペニスになったことを発表・披露する場であって、
大人になる儀式と言えるよね。
例えば南アフリカでは18歳頃に割礼を実施するが、まさに成人式そのものだ。
日本と同じで割礼のない地域でも行事は行われている。
例えば前にとりあげたエチオピアのボディ族の場合、
正月の恒例行事に結婚適齢期の男子を集めて裸で競技させる。
皮は剥かないが立派なサイズに成長したことを地域の人に披露している。
日本ではもともとあった儀礼がなくなり、
一方で性や性器の話題をあまりにもタブー化してしまったため、
今では成長期の性器をチェックする場面はほとんどないだろう。
むしろ後退したと言えるかもしれないね。
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Comments
昔の日本には人前でおちんちんをさらけ出せる行事が各地で色々あったのですね。性に対してとても大らかな時代ですね。特にクライドリはおちんちんをしごいて勃起までさせるから、やられる方はさぞかし恥ずかしかったでしょうね。
No title
どんな状況か、いろいろと想像はしてしまいますね。
水垢離などは裸でしたでしょうけど、恥ずかしとかいう
問題ではないはず。
一方クライドリの儀式は、チンチンそのものが中心
ですからね。皆の見ている前でチンチンを出せと言わ
れるだけでも恥ずかしいでしょうし、しごかれている
場面を見られているわけですから、頭の中は真っ白に
なったんじゃないでしょうか。
ちょっと触られただけでも、腰を引くくらい敏感な年頃
一瞬にしてカチカチになったことでしょう。
水垢離などは裸でしたでしょうけど、恥ずかしとかいう
問題ではないはず。
一方クライドリの儀式は、チンチンそのものが中心
ですからね。皆の見ている前でチンチンを出せと言わ
れるだけでも恥ずかしいでしょうし、しごかれている
場面を見られているわけですから、頭の中は真っ白に
なったんじゃないでしょうか。
ちょっと触られただけでも、腰を引くくらい敏感な年頃
一瞬にしてカチカチになったことでしょう。
おちんちん
男の子おちんちんが見れる看板や雑誌を紹介してくださいお願いします。
No title
雑誌だったら、昔のものであったかもしれませんが
看板となると、結構思いつきませんね。
努力してみます。
看板となると、結構思いつきませんね。
努力してみます。
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