珍場面ブログ
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「すばらしい世界旅行」が、なぜすばらしいか
日曜日の夜、毎週欠かさずに見ていた番組の一つに、「すばらしい世界旅行」があった。1966年から1990年まで続いた番組で、日立の「気になる木」のCMが生まれたのもこの番組であった。庶民が気楽に海外旅行には行けなかった時代、世界の情報を提供してくれるこのような番組はお茶の間で関心が高かった。
番組で、世界の自然や人々の風習などをドキュメンタリーとして紹介していた。特に力を入れていたのが、アマゾン川流域のインディオの村の取材だった。取材班はジャングルを探検しながら、各地でインディオの部落に滞在し、彼らの生活の様子や儀式などの詳細を撮影している。これらの取材フィルムは世界的にも貴重な人類学の資料ともなっており、さまざまなところで引用もされている。彼らの多くは、ほとんど全裸に近い姿で生活をしていた。番組ではこのように日常生活を裸で暮らす人々のことをひとくくりに「裸族」と表現し、視聴者の好奇心をあおり、視聴率アップにつなげていたと考えられる。
当時の日本の事情を考えてみてほしい。アラン・ドロンがフリチンで海岸を走る映画がテレビで放送されていたけど、当然修正されていた。これは、ポルノかどうかという価値観の問題ではなく、性器周辺の映像そのものが完全に締め出されていたわけだ。ヘアすら即NG、具体的に何かが見えてなくても陰部やお尻が修正される時代、性器を見せることはまるで犯罪に等しい風潮だった。
しかし、この番組の「裸族」放送は、そうした規制を打ち破ってしまった。この番組は、世界の各地の自然、人々の暮らしや文化などをドキュメンタリーとして伝えているのに、裸族だけそれをまげてパンツをはいてもらうわけにはいかないだろう。あくまで、事実をありのままに取材するためには、性器が映るのは避けられないはずだ。その性器にしても、いろんな加工方法がある、小さく前垂れをつける部族もいるし、ペニスにキャップのようなものをつけている部族、ペニスをそりあげて腰紐に結んでいる部族もいる。またアマゾン裸族は陰毛がほとんどわからないくらいうすい。したがって、女性たちの場合、つるつるのワレメがかなり露骨に見えている。女性が並んで歩いている場面などは、正直恥ずかしくて見てられないくらいだった。このように絶対にテレビに映らないはずのモノが「裸族」という抜け道により放送できてしまった。
日本人とインディオは同じ人間であり、裸や性器の映像に本来差別はないはずだ。なのに、日本人の性器は見せてはいけないが、裸族なら性器だって見せてもよいという理屈になる。それは文化や生活の違い、ドキュメンタリーとしての意義、それを見る視聴者の感じ方の違いなどから、見せてよいものと、見せてはならないものが総合的に判断され区別されることに他ならない。
現代の日本でも、性器表現は原則NGというスタンスは変わっていない。ただし、一部に例外は認められている。その例外のひとつが「日常生活を裸で暮らす人々についての映像」についてなのだ。すなわち裸族フィルムは日本の税関でも問題にされることはない。こうした流れができたのは、裸族の性器映像がテレビで放送されることが当たり前だという日本人の感性がベースにあるからなんだろう。性器映像の放送の道を切り開いたこの番組の功績というのは、絶大なものがあったと思う。
番組で、世界の自然や人々の風習などをドキュメンタリーとして紹介していた。特に力を入れていたのが、アマゾン川流域のインディオの村の取材だった。取材班はジャングルを探検しながら、各地でインディオの部落に滞在し、彼らの生活の様子や儀式などの詳細を撮影している。これらの取材フィルムは世界的にも貴重な人類学の資料ともなっており、さまざまなところで引用もされている。彼らの多くは、ほとんど全裸に近い姿で生活をしていた。番組ではこのように日常生活を裸で暮らす人々のことをひとくくりに「裸族」と表現し、視聴者の好奇心をあおり、視聴率アップにつなげていたと考えられる。
当時の日本の事情を考えてみてほしい。アラン・ドロンがフリチンで海岸を走る映画がテレビで放送されていたけど、当然修正されていた。これは、ポルノかどうかという価値観の問題ではなく、性器周辺の映像そのものが完全に締め出されていたわけだ。ヘアすら即NG、具体的に何かが見えてなくても陰部やお尻が修正される時代、性器を見せることはまるで犯罪に等しい風潮だった。
しかし、この番組の「裸族」放送は、そうした規制を打ち破ってしまった。この番組は、世界の各地の自然、人々の暮らしや文化などをドキュメンタリーとして伝えているのに、裸族だけそれをまげてパンツをはいてもらうわけにはいかないだろう。あくまで、事実をありのままに取材するためには、性器が映るのは避けられないはずだ。その性器にしても、いろんな加工方法がある、小さく前垂れをつける部族もいるし、ペニスにキャップのようなものをつけている部族、ペニスをそりあげて腰紐に結んでいる部族もいる。またアマゾン裸族は陰毛がほとんどわからないくらいうすい。したがって、女性たちの場合、つるつるのワレメがかなり露骨に見えている。女性が並んで歩いている場面などは、正直恥ずかしくて見てられないくらいだった。このように絶対にテレビに映らないはずのモノが「裸族」という抜け道により放送できてしまった。
日本人とインディオは同じ人間であり、裸や性器の映像に本来差別はないはずだ。なのに、日本人の性器は見せてはいけないが、裸族なら性器だって見せてもよいという理屈になる。それは文化や生活の違い、ドキュメンタリーとしての意義、それを見る視聴者の感じ方の違いなどから、見せてよいものと、見せてはならないものが総合的に判断され区別されることに他ならない。
現代の日本でも、性器表現は原則NGというスタンスは変わっていない。ただし、一部に例外は認められている。その例外のひとつが「日常生活を裸で暮らす人々についての映像」についてなのだ。すなわち裸族フィルムは日本の税関でも問題にされることはない。こうした流れができたのは、裸族の性器映像がテレビで放送されることが当たり前だという日本人の感性がベースにあるからなんだろう。性器映像の放送の道を切り開いたこの番組の功績というのは、絶大なものがあったと思う。
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Comments
No title
Re: No title
僕は小学校のときだったので、学校でそんなに話題にならなかった
かもしれないです。でも家でみていて、特に違和感なく、ああ裸で
でてるんだ・・・って感じだったです。
かもしれないです。でも家でみていて、特に違和感なく、ああ裸で
でてるんだ・・・って感じだったです。
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あの番組はうちでも毎週見ていました。
丸出しの部族は当時中学生の私にはショッキングでした。
翌日、学校でも話題になっていたくらいです。
今なら編集でうつさないようにするでしょうがね・・・
懐かしい話題をありがとうございました。