珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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芸術写真にみるおちんちん(3)
ヌード写真って正直よくわからない。
裸を芸術と考える立場に立ってみると、肉体が美しいからそれを写真で表現するのだと思う。
それは胸やお尻のラインであったり、筋肉の盛り上がりであったり、そうした要素そのものや要素の集合体が美しい形であるから芸術作品となりえるのだろう。
性器が表現されると規制されたり議論になったりするが、性器も裸の要素の一つであって、作品の中に性器があるかどうかで芸術的が変わるはずもないと考える。
日本では裸は容認されるが、性器に対する拒否感は結構あるよね。
写真芸術で裸をとりあげた場合、女性の場合はそれほど性器をあらわに表現することはないだろう。
しかし男性の場合は突き出してしまうので、意図しなくても見えてしまうよね。
写真家「鷹野隆大」は裸の人物を撮影した作品を世に送り出している。
「男の乗り方」
「in my room 6×6」
「tender penis(やわらかい ペニス)」
「金魚ブルブル」
鷹野隆大が出してくるこれらの作品の中には、男性器が表現されるものも含まれている。
僕がはじめて目にした鷹野隆大作品は「ヨコたわるラフ」シリーズだった。普通の男たちの裸体で、裸婦と裸夫にかけて表現したものだったが、とても奇妙な印象を受けた。普通の男にしてはひどすぎる。みすぼらしい中年オヤジたちの体や粗チンを見せられても、気持ち悪い、格好悪いとしか言いようがないものだったのだ。裸が美しいから芸術としてヌードが写真作品になるのだという自分のイメージは否定され、写真芸術ってなんだろうと思わされた作品だった。
「ヨコたわるラフ」
いったいどこからこのようなモデルを集めたのだろうね。とりわけこの太った中年男は不思議な存在だ。坊主頭で顔はオヤジ、肌はきれい、膨満したみっともない腹、そして一番の特徴は男性器があるべき場所に見当たらないこと。男と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。
実は、鷹野隆大の写真作品では、しばしばこの人物が登場しており、「キクオ」と呼ばれている。
「キクオ」は長年にわたり鷹野隆大のヌードモデルとして、積極的に服を脱ぎ続けたきたのだ。
「α」
この写真集の登場人物はキクオのみ。さまざまなポーズをとってサービス精神旺盛なキクオ。しかし、どの写真をみてもやはり男性器は見当たらない。男性器が見えなければ、裸でも問題になる可能性は低い。キクオはまるで裸になることが天職のようにさまざまなポーズをとり続ける。
「立ち上がれキクオ」
鷹野隆大は人が立ち上がるときの動作に注目し、撮りためた写真をまとめている。このシリーズでは、でっぷりと太ったキクオと完全にしぼんでしまった二人のキクオが登場する。この間に相当な月日が流れたことが容易に想像される。キクオは何かの病に苦しんでいるのか、それとも貧困生活を強いられたのか、幸薄いこの人物の転落の生き様まで写真は表現しているように感じられる。これも芸術として表現ならば、ありなのかもしれない。
これだけ痩せ細った体になっても、男性器は写真で確認することはできない。ヌードモデルとしてよかったのか、悪かったのか、よくわからないね。
裸を芸術と考える立場に立ってみると、肉体が美しいからそれを写真で表現するのだと思う。
それは胸やお尻のラインであったり、筋肉の盛り上がりであったり、そうした要素そのものや要素の集合体が美しい形であるから芸術作品となりえるのだろう。
性器が表現されると規制されたり議論になったりするが、性器も裸の要素の一つであって、作品の中に性器があるかどうかで芸術的が変わるはずもないと考える。
日本では裸は容認されるが、性器に対する拒否感は結構あるよね。
写真芸術で裸をとりあげた場合、女性の場合はそれほど性器をあらわに表現することはないだろう。
しかし男性の場合は突き出してしまうので、意図しなくても見えてしまうよね。
写真家「鷹野隆大」は裸の人物を撮影した作品を世に送り出している。
「男の乗り方」
「in my room 6×6」
「tender penis(やわらかい ペニス)」
「金魚ブルブル」
鷹野隆大が出してくるこれらの作品の中には、男性器が表現されるものも含まれている。
僕がはじめて目にした鷹野隆大作品は「ヨコたわるラフ」シリーズだった。普通の男たちの裸体で、裸婦と裸夫にかけて表現したものだったが、とても奇妙な印象を受けた。普通の男にしてはひどすぎる。みすぼらしい中年オヤジたちの体や粗チンを見せられても、気持ち悪い、格好悪いとしか言いようがないものだったのだ。裸が美しいから芸術としてヌードが写真作品になるのだという自分のイメージは否定され、写真芸術ってなんだろうと思わされた作品だった。
「ヨコたわるラフ」
いったいどこからこのようなモデルを集めたのだろうね。とりわけこの太った中年男は不思議な存在だ。坊主頭で顔はオヤジ、肌はきれい、膨満したみっともない腹、そして一番の特徴は男性器があるべき場所に見当たらないこと。男と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。
実は、鷹野隆大の写真作品では、しばしばこの人物が登場しており、「キクオ」と呼ばれている。
「キクオ」は長年にわたり鷹野隆大のヌードモデルとして、積極的に服を脱ぎ続けたきたのだ。
「α」
この写真集の登場人物はキクオのみ。さまざまなポーズをとってサービス精神旺盛なキクオ。しかし、どの写真をみてもやはり男性器は見当たらない。男性器が見えなければ、裸でも問題になる可能性は低い。キクオはまるで裸になることが天職のようにさまざまなポーズをとり続ける。
「立ち上がれキクオ」
鷹野隆大は人が立ち上がるときの動作に注目し、撮りためた写真をまとめている。このシリーズでは、でっぷりと太ったキクオと完全にしぼんでしまった二人のキクオが登場する。この間に相当な月日が流れたことが容易に想像される。キクオは何かの病に苦しんでいるのか、それとも貧困生活を強いられたのか、幸薄いこの人物の転落の生き様まで写真は表現しているように感じられる。これも芸術として表現ならば、ありなのかもしれない。
これだけ痩せ細った体になっても、男性器は写真で確認することはできない。ヌードモデルとしてよかったのか、悪かったのか、よくわからないね。
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Comments
No title
日本でもこういった写真もあるんですね
No title
写真集の出版や、写真雑誌で掲載される作品もありますね。
セクシュアリティがテーマになっているもの多いので、そおまま
見せているものもあるのでしょう。
セクシュアリティがテーマになっているもの多いので、そおまま
見せているものもあるのでしょう。
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