珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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小人のおちんちん
子供のおちんちんがテレビやスクリーンに出てくるのは、まあ普通。最近になると大人のおちんちん(というよりペニスというのがふさわしか)がスクリーンで見えることも結構多くなってきた。では、小人となるとどうだろう。かなり少ないよね。
小人というと、プロレスなどで余興として興行する場面が思い浮かぶ。過去、サーカスなどで小人が見世物にされた歴史的な経緯などもあったので、興行で小人を露出させるのは差別だという風潮が強くなってきた。そうして小人が映画や興行で活躍する場は少なくなっていったのだと思う。小さいことを活かしキグルミを着せて小人を登場させる映画もあったが、何といっても小人が注目を浴びたのは冒険ファンタジー「ウィロー」(1983年アメリカ)だった。「ウィロー」では小人がそのままの姿でヒーローとして大活躍をしたことと、多数の小人が出演したという意味で、歴史的な意味があった。
さて、前置きが長くなってしまったが、小人のおちんちんって見られる映画はいくつかある。基本は背が低いだけで、あそこはちゃんとした大人の男なんだなと思うケースと、やっぱり体にあわせて小さいなと思うケースがあり。それは結局は個人差だということになる。
「jackass number two」2006年アメリカ映画
今年日本でも公開されたおばか映画。出演しているチームの中でウィーマン(120cm)が全裸で歩いて周囲をびっくりさせるパフォーマンスがある。DVDではさらに特典映像満載で、繰り返しウィーマンは全裸で登場する。ミュージックビデオでは、おちんちんを激しく振って見せる光景もあり。この人のサイズは普通レベル。こんな映画が日本での公開でも全く無修正で出せるようになったとは。時代が変わったと思う。
「ゲルニカの木」 1975年フランス・イタリア映画
フェルナンド・アラバル監督の残した3部作のうちの一つ。虐殺、セックス、超現実的な描写に溢れ、作風はアレハンドロ・ホドロフスキーに通じるものがある。
映画はスペイン内乱時代を題材にしている。スペインの内乱は映画「舌の蝶」などでも描かれているが、右派と左派に分かれて同じ民族同士が壮絶な殺しあいをした苦い歴史があったことがわかる。アラバル監督は、内乱の激戦地だったゲルニカを舞台に、人間の狂気を描いている。その中で、悪の側の僕として働く数名の小人が出てくる。小人が革命家の女性とセックスをしようと部屋に入って来る場面で全裸。堂々と見せている。サイズは普通の人のサイズで、しっかり包茎だったのが伺える。この小人たちは、さらに群集とともに教会に押し入り、マリア像と抱き合ったままマスターベーションをしたり、キリスト像に小便をかけるなどの冒涜を繰り返していく。映画の後半、形勢は逆転し小人たちはつかまって最後は処刑されてしまう。この映画、日本では公開されてないみたいだ。
「カリギュラ」 1980年アメリカ映画
この映画は、ローマの皇帝を主人公にした歴史ドラマ。ローマの退廃ぶりを描くという観点もあるが、性描写の多さと生々しさはものすごいもので、ポルノ映画と一般映画の違いななんだろうとちょっと思ってしまう。日本で見るにはほとんどの部分が修正されるのも仕方がない状況だ。もちろんストーリーはちゃんとあるし、主人公を中心に話は展開しており、主人公が殺されて終わりという結末だったりする。映画の後半、皇帝が乱交パーティを行わせる場面がある。小学生くらいの体の小人が仮面をかぶって様子を見ながら歩いていると、ほどなく女性につかまってしまう。体が小さいので、おもちゃのようにころがされたり、さかさまになったりして、小さい足をばたばたしている。シャツがめくれて見えるのは、確かに大人のモノのようだが、体にあわせたような超ミニサイズ。女性はお尻に手をあてると、中指と薬指でつまめる状態。あとはぱくり。その辺の詳細な状況は修正されてて見えにくいのだけど、無抵抗にされるがままとなっている小人はまるで赤ちゃんのような感じに見える。
小人というと、プロレスなどで余興として興行する場面が思い浮かぶ。過去、サーカスなどで小人が見世物にされた歴史的な経緯などもあったので、興行で小人を露出させるのは差別だという風潮が強くなってきた。そうして小人が映画や興行で活躍する場は少なくなっていったのだと思う。小さいことを活かしキグルミを着せて小人を登場させる映画もあったが、何といっても小人が注目を浴びたのは冒険ファンタジー「ウィロー」(1983年アメリカ)だった。「ウィロー」では小人がそのままの姿でヒーローとして大活躍をしたことと、多数の小人が出演したという意味で、歴史的な意味があった。
さて、前置きが長くなってしまったが、小人のおちんちんって見られる映画はいくつかある。基本は背が低いだけで、あそこはちゃんとした大人の男なんだなと思うケースと、やっぱり体にあわせて小さいなと思うケースがあり。それは結局は個人差だということになる。
「jackass number two」2006年アメリカ映画
今年日本でも公開されたおばか映画。出演しているチームの中でウィーマン(120cm)が全裸で歩いて周囲をびっくりさせるパフォーマンスがある。DVDではさらに特典映像満載で、繰り返しウィーマンは全裸で登場する。ミュージックビデオでは、おちんちんを激しく振って見せる光景もあり。この人のサイズは普通レベル。こんな映画が日本での公開でも全く無修正で出せるようになったとは。時代が変わったと思う。
「ゲルニカの木」 1975年フランス・イタリア映画
フェルナンド・アラバル監督の残した3部作のうちの一つ。虐殺、セックス、超現実的な描写に溢れ、作風はアレハンドロ・ホドロフスキーに通じるものがある。
映画はスペイン内乱時代を題材にしている。スペインの内乱は映画「舌の蝶」などでも描かれているが、右派と左派に分かれて同じ民族同士が壮絶な殺しあいをした苦い歴史があったことがわかる。アラバル監督は、内乱の激戦地だったゲルニカを舞台に、人間の狂気を描いている。その中で、悪の側の僕として働く数名の小人が出てくる。小人が革命家の女性とセックスをしようと部屋に入って来る場面で全裸。堂々と見せている。サイズは普通の人のサイズで、しっかり包茎だったのが伺える。この小人たちは、さらに群集とともに教会に押し入り、マリア像と抱き合ったままマスターベーションをしたり、キリスト像に小便をかけるなどの冒涜を繰り返していく。映画の後半、形勢は逆転し小人たちはつかまって最後は処刑されてしまう。この映画、日本では公開されてないみたいだ。
「カリギュラ」 1980年アメリカ映画
この映画は、ローマの皇帝を主人公にした歴史ドラマ。ローマの退廃ぶりを描くという観点もあるが、性描写の多さと生々しさはものすごいもので、ポルノ映画と一般映画の違いななんだろうとちょっと思ってしまう。日本で見るにはほとんどの部分が修正されるのも仕方がない状況だ。もちろんストーリーはちゃんとあるし、主人公を中心に話は展開しており、主人公が殺されて終わりという結末だったりする。映画の後半、皇帝が乱交パーティを行わせる場面がある。小学生くらいの体の小人が仮面をかぶって様子を見ながら歩いていると、ほどなく女性につかまってしまう。体が小さいので、おもちゃのようにころがされたり、さかさまになったりして、小さい足をばたばたしている。シャツがめくれて見えるのは、確かに大人のモノのようだが、体にあわせたような超ミニサイズ。女性はお尻に手をあてると、中指と薬指でつまめる状態。あとはぱくり。その辺の詳細な状況は修正されてて見えにくいのだけど、無抵抗にされるがままとなっている小人はまるで赤ちゃんのような感じに見える。
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