珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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切断される場面 「グレートハンティング」
おちんちんといえば、ぷらんぷらんしているのがいつもの状態。しかし、映画によっては切り取られちゃったりする場面もあって、なんかあわれだよね。切り取る目的は、うらみ、憎しみ、それと男性としての機能の否定・・・映画で見るペニス切断の意味を考えてみよう。
「グレートハンティング」 1975年イタリア映画
アマゾンのインディオと鉱山開発をする白人との闘争の場面がある。インディオは森から白人を追い出そうとして毒矢で襲撃する。一方、襲撃を受けた白人たちも武装していて、反撃にでるのだ。武装した白人たちは、野に火を放ち、インディオをあぶりだそうとする。そこから人間ハンティングという最悪の事態が始まる。逃げ遅れたインディオに弾丸があたり倒れてしまう。白人たちは彼を仰向けにすると、ナイフをとりだしペニスを切り取って、自慢そうに高く掲げる。そしてそのペニスをインディオの口の中に押し込んで楽しんでいた。
いったいなんでこんなことをするのだろうね。殺害を意図してるなら、致命傷を与えればそれで終わりのはず。この映画のテーマであるハンティングとしてみれば、獲物を高く掲げるという行為はわかるけど、なぜそれがペニスなんだろう。本人の意識がまだあるうちに男のシンボルを奪い取って屈辱を与えようとしたのか。それとも密林のインディオは全裸だから真っ先に目に飛び込んできたものを切り取ってしまおうと考えたのか。確かに服を着てる相手ならわざわざ脱がすなどの面倒なことをせずに殺していたのかもしれない。
インディオを野生の動物と考えて狩ってやろうというハンターの心理だけではこういう行動にならないと思う。動物を狩ったときに意図してペニスを切り取ったりしないと思うからだ。ペニスを攻撃するのは、インディオは自分と同じモノをもった人間だという認識があるのだろう。普通は人間を傷つけ・殺してはいけないはずなのに、この密林の中では何をやってもいいのだという優越感や狂気を楽しんでいるんだと思う。
「魔界の大陸」 1983年イタリア映画
今度は黒人の部族間の抗争。敵の部族から集落に火を放たれた部族が復讐に行く。敵を追いかけ、ひとりの男を捕まえることに成功。捕まった男を、連れ帰って証言させたり、裁判にかけようなんてことはない。その場でリンチされ、処刑されてしまう。しかもばらばらにされ、おそらくハゲタカのえさになってしまうのだろう。さて、そのリンチにあたり、実はグレートハンティングに似ていて、最初の方でペニスを切り取ってしまった。これは部族間の殺しあい、そして恨みから出た行動なのだが、アマゾンのジャングルと同じようにペニスを切断する意図はなんだろう。
実はヌバ族も当時の生活は全裸で行っている。しかもペニスはフランクフルトくらいの長さがある。男が仰向けになるとまずペニスが目立つのは避けられない。だからそれを切り取ってしまったのか。腕や足を切るのは大変だけど、ペニスは簡単に切れそうだったからなのか。それとも、意識があるうちに男としての尊厳を傷つけて惨めな思いをさせることが目的なのだろうか。場所を問わず、人間が残虐行為に出るときには、似たようなことがおこるらしい。というか、切断場面を映画に登場させる人間の思考が同じようなものだと言うことかもしれないね。
「ジェルミナル」 1993年フランス映画 監督:クロード・ベリ
さて、こちらはドキュメンタリーではなくドラマである。おおよそペニスを切断する場面が存在するとは思えないような歴史大作だ。この映画のターゲットになったのは、金持ちの商店主だった。男ならチャンスがあれば女を抱きたいというのが普通の感覚。貧しい労働者たちは食料品の代金が払えず、商店主に借金ができていく。しかし生きていくためには食料品を買わなくてはならない。そこで商店主は、お金の代わりに体を差し出せと言うようになる。しかもおばちゃんたちじゃなくて、若いピチピチの娘の体を出させていたのだ。村で貧しい住民の蜂起が起こると、立場が逆転する。群集は、強欲商店主のパンツを引きずり下ろすと、ナイフで切り取ってしまった。切り取ったペニスは高く掲げ、勝利を祝したのだ。
前の二つのドキュメンタリーは男が男のペニスを切断する内容だったが、この映画は女性がペニス切断する内容だ。ペニスを切断する理由は、この映画が一番わかりやすい。なぜなら、商店主が持っているたった一本のペニスが村の多くの処女を冒してきたという事実があるからだ。人間としての尊厳を傷つけられた女性たちの復讐は恐ろしい。
「グレートハンティング」 1975年イタリア映画
アマゾンのインディオと鉱山開発をする白人との闘争の場面がある。インディオは森から白人を追い出そうとして毒矢で襲撃する。一方、襲撃を受けた白人たちも武装していて、反撃にでるのだ。武装した白人たちは、野に火を放ち、インディオをあぶりだそうとする。そこから人間ハンティングという最悪の事態が始まる。逃げ遅れたインディオに弾丸があたり倒れてしまう。白人たちは彼を仰向けにすると、ナイフをとりだしペニスを切り取って、自慢そうに高く掲げる。そしてそのペニスをインディオの口の中に押し込んで楽しんでいた。
いったいなんでこんなことをするのだろうね。殺害を意図してるなら、致命傷を与えればそれで終わりのはず。この映画のテーマであるハンティングとしてみれば、獲物を高く掲げるという行為はわかるけど、なぜそれがペニスなんだろう。本人の意識がまだあるうちに男のシンボルを奪い取って屈辱を与えようとしたのか。それとも密林のインディオは全裸だから真っ先に目に飛び込んできたものを切り取ってしまおうと考えたのか。確かに服を着てる相手ならわざわざ脱がすなどの面倒なことをせずに殺していたのかもしれない。
インディオを野生の動物と考えて狩ってやろうというハンターの心理だけではこういう行動にならないと思う。動物を狩ったときに意図してペニスを切り取ったりしないと思うからだ。ペニスを攻撃するのは、インディオは自分と同じモノをもった人間だという認識があるのだろう。普通は人間を傷つけ・殺してはいけないはずなのに、この密林の中では何をやってもいいのだという優越感や狂気を楽しんでいるんだと思う。
「魔界の大陸」 1983年イタリア映画
今度は黒人の部族間の抗争。敵の部族から集落に火を放たれた部族が復讐に行く。敵を追いかけ、ひとりの男を捕まえることに成功。捕まった男を、連れ帰って証言させたり、裁判にかけようなんてことはない。その場でリンチされ、処刑されてしまう。しかもばらばらにされ、おそらくハゲタカのえさになってしまうのだろう。さて、そのリンチにあたり、実はグレートハンティングに似ていて、最初の方でペニスを切り取ってしまった。これは部族間の殺しあい、そして恨みから出た行動なのだが、アマゾンのジャングルと同じようにペニスを切断する意図はなんだろう。
実はヌバ族も当時の生活は全裸で行っている。しかもペニスはフランクフルトくらいの長さがある。男が仰向けになるとまずペニスが目立つのは避けられない。だからそれを切り取ってしまったのか。腕や足を切るのは大変だけど、ペニスは簡単に切れそうだったからなのか。それとも、意識があるうちに男としての尊厳を傷つけて惨めな思いをさせることが目的なのだろうか。場所を問わず、人間が残虐行為に出るときには、似たようなことがおこるらしい。というか、切断場面を映画に登場させる人間の思考が同じようなものだと言うことかもしれないね。
「ジェルミナル」 1993年フランス映画 監督:クロード・ベリ
さて、こちらはドキュメンタリーではなくドラマである。おおよそペニスを切断する場面が存在するとは思えないような歴史大作だ。この映画のターゲットになったのは、金持ちの商店主だった。男ならチャンスがあれば女を抱きたいというのが普通の感覚。貧しい労働者たちは食料品の代金が払えず、商店主に借金ができていく。しかし生きていくためには食料品を買わなくてはならない。そこで商店主は、お金の代わりに体を差し出せと言うようになる。しかもおばちゃんたちじゃなくて、若いピチピチの娘の体を出させていたのだ。村で貧しい住民の蜂起が起こると、立場が逆転する。群集は、強欲商店主のパンツを引きずり下ろすと、ナイフで切り取ってしまった。切り取ったペニスは高く掲げ、勝利を祝したのだ。
前の二つのドキュメンタリーは男が男のペニスを切断する内容だったが、この映画は女性がペニス切断する内容だ。ペニスを切断する理由は、この映画が一番わかりやすい。なぜなら、商店主が持っているたった一本のペニスが村の多くの処女を冒してきたという事実があるからだ。人間としての尊厳を傷つけられた女性たちの復讐は恐ろしい。
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Comments
小学生のとき度のすぎたイタズラをしたらちんちんハサミかナイフで切り落とすぞといつも脅されていました。でも、切り落とされはしませんでしたがね。
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