珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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図書館で見た本シリーズ(5)児童書
おちんちんが掲載されている書籍を図書館で探すときに
意外な穴場が児童書コーナーだった。
前にも話題になっているけれども、児童書コーナーに行くと
図鑑の全集が何種類かそろえておいてあったりするのだ。
小学館の全集とか、学研の全集とか。
ここで健康関連、人の体関連を見ていくと、たいてい写真がある。
表紙が幼児の男女(男子は正面、女子が横)というのもあったね。
また、本の中で、幼児の男子があって、おちんちんとか陰茎とか
説明しているものもある。
成長がどうなっていくかという説明で使う場合と
男女の違いや命のことで写真を使う場合があるだろう。
ある図鑑では、男女の体の違いを比較するページで
小学生くらいの少年少女を登場させているものもあった。
ただし、日本人だといろいろ妄想が膨らんでしまうと思ったのか
西洋人の子供が裸で写っているというものだった。
男の子はおちんちんはしっかり見せてたけど、帽子をかぶっていた
やはり西洋人の複数の子供たちが、海岸で写っているような
写真を出しているものもあった。
児童書って、見せて教えるという意図があるのだろう。
そういう写真を結構使ってくれているのだな思った。
あとは、男の子とは・・というテーマのシリーズ本などもある。
こういう本は、だいたい絵で説明しているものが多いが、
少し前に紹介した「おんなのこって なあに? おとこのこって なあに?」 のように
写真で説明するものもある。これも海外の子供を使っているね。
これ思うけれども、
小学生向けの体の説明で、同年代の日本の少年が裸で出てくると
やっぱりどっきりするんじゃないのかな。
現物を見せるとしたら、幼児や赤ちゃんだったり、海外の少年だったり
そういう使い方をするのだろう。
意外な穴場が児童書コーナーだった。
前にも話題になっているけれども、児童書コーナーに行くと
図鑑の全集が何種類かそろえておいてあったりするのだ。
小学館の全集とか、学研の全集とか。
ここで健康関連、人の体関連を見ていくと、たいてい写真がある。
表紙が幼児の男女(男子は正面、女子が横)というのもあったね。
また、本の中で、幼児の男子があって、おちんちんとか陰茎とか
説明しているものもある。
成長がどうなっていくかという説明で使う場合と
男女の違いや命のことで写真を使う場合があるだろう。
ある図鑑では、男女の体の違いを比較するページで
小学生くらいの少年少女を登場させているものもあった。
ただし、日本人だといろいろ妄想が膨らんでしまうと思ったのか
西洋人の子供が裸で写っているというものだった。
男の子はおちんちんはしっかり見せてたけど、帽子をかぶっていた
やはり西洋人の複数の子供たちが、海岸で写っているような
写真を出しているものもあった。
児童書って、見せて教えるという意図があるのだろう。
そういう写真を結構使ってくれているのだな思った。
あとは、男の子とは・・というテーマのシリーズ本などもある。
こういう本は、だいたい絵で説明しているものが多いが、
少し前に紹介した「おんなのこって なあに? おとこのこって なあに?」 のように
写真で説明するものもある。これも海外の子供を使っているね。
これ思うけれども、
小学生向けの体の説明で、同年代の日本の少年が裸で出てくると
やっぱりどっきりするんじゃないのかな。
現物を見せるとしたら、幼児や赤ちゃんだったり、海外の少年だったり
そういう使い方をするのだろう。
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図書館で見た本シリーズ(4)芸術写真集
写真集では、前に(3)の歴史関係・地誌関係であげたように
アフリカ関連とか南米関連の写真集にはだいたい裸の子供たちが
写っていたよね。
そういう日常的に裸でいる場所じゃないけれども
芸術系の写真集で、裸の子供が題材のものもあった。
タイトルは忘れたけど、世界の子供の写真を集めたような作品で
一部にヌード状態のものが入っていた。
例えば、毛が生える前くらいの少年が4人、部屋の中でヌード撮影
されているものがあった。彼らは堂々を正面を見せていたけど
こんなのいいのかなと思ったね。そもそも、この4人をどう説得したら
パンツを脱いでおちんちんを見せてくれるのだろうとか考えちゃった。
他にも、写真集によっては、複数の男子がプールサイドで裸で
撮影されていたりするものがあった。これらも明らかに創作された
もので、指示通りにポーズをとっていることが明らかだった。
子供のヌードを撮らせてよいという親がいるから、できたことだろう。
こういう写真集をみると、アフリカ系や南米系とは違う、西洋人の
おちんちんとはこういうものということが見てわかたよね。
結構しっかりしていると思った。
今のようにネットでいくらでも写真がでてくる時代ではなかったから
図書館でたくさんの本にあたって、知識を習得したわけだ。
裸の子供の写真集で有名なのでは、SALLY・MANNだろう。
図書館でこれを見たかといわれると、ちょっと自信はないのだけれど
男女の子供の裸を写したものを、何冊か出版されていたと思う。
そういうものがいつの間にかなくなってしまったように思う。
昔は、子供が裸でいるのは問題はなかった。
むしろ大人の裸の方が、性的なものでだめだったはず。
しかし今は逆だね。子供の裸は性的な意味はないはずなのに
子供の裸こそ厳しく規制されている時代だからね。
SALLY・MANNのような写真集は今後は作られないだろう。
アフリカ関連とか南米関連の写真集にはだいたい裸の子供たちが
写っていたよね。
そういう日常的に裸でいる場所じゃないけれども
芸術系の写真集で、裸の子供が題材のものもあった。
タイトルは忘れたけど、世界の子供の写真を集めたような作品で
一部にヌード状態のものが入っていた。
例えば、毛が生える前くらいの少年が4人、部屋の中でヌード撮影
されているものがあった。彼らは堂々を正面を見せていたけど
こんなのいいのかなと思ったね。そもそも、この4人をどう説得したら
パンツを脱いでおちんちんを見せてくれるのだろうとか考えちゃった。
他にも、写真集によっては、複数の男子がプールサイドで裸で
撮影されていたりするものがあった。これらも明らかに創作された
もので、指示通りにポーズをとっていることが明らかだった。
子供のヌードを撮らせてよいという親がいるから、できたことだろう。
こういう写真集をみると、アフリカ系や南米系とは違う、西洋人の
おちんちんとはこういうものということが見てわかたよね。
結構しっかりしていると思った。
今のようにネットでいくらでも写真がでてくる時代ではなかったから
図書館でたくさんの本にあたって、知識を習得したわけだ。
裸の子供の写真集で有名なのでは、SALLY・MANNだろう。
図書館でこれを見たかといわれると、ちょっと自信はないのだけれど
男女の子供の裸を写したものを、何冊か出版されていたと思う。
そういうものがいつの間にかなくなってしまったように思う。
昔は、子供が裸でいるのは問題はなかった。
むしろ大人の裸の方が、性的なものでだめだったはず。
しかし今は逆だね。子供の裸は性的な意味はないはずなのに
子供の裸こそ厳しく規制されている時代だからね。
SALLY・MANNのような写真集は今後は作られないだろう。
古代のスポーツと包茎の話(2)
ギリシャの彫刻などをみると、包茎が基本的だが、
チンチンの形が袋のように丸くなっている姿のものもある。
ブロンズ像の「Boxer at Rest」 などは、まさに
皮を縛って袋状になったチンチンがわかる作品だ。
Weltmurksbude
このように、昔のボクサーはトランクスなどは穿いておらず
サポーターとして亀頭を守るためのヒモ1本を身に着けていた。
競技で裸になることはよしとしても、
観客に亀頭を見せないように、皮をかぶせてヒモで縛ったのだ。
これを前回、キノデスムと説明した。
キノデスムは、裸になる必要がある試合のときにするが、
試合が終わったら、キノデスムを外して普通のチンチンに戻せた。
この亀頭を保護するというのは、見せるのが失礼だからという
理由のほかに、射精を防止する目的もあったのだ。
実は、古代ギリシャ・ローマの人は、
射精をすると精力が失われると考えていたようだ。
とりわけ、歌を歌う男性は、射精したら声の質が落ちるという
のが当時の人の考え方だ。
同じように劇場で戦う剣闘士(グラディエータ)のような男たちも
射精をしていたらパワーが落ちると思われていた。
そのため、劇場の監督は、自分の団員が勝手に射精して
パワーを無駄にしないよう、日頃から管理する必要があった。
今でも、一流のアスリートを目指す選手に対して
監督が「恋愛は禁止だ」という指導をしたりすることがあるよね。
そういうことをちょっと連想した。
歌手、役者、剣闘士を抱える劇場や劇団の監督が行ったのは
団員の包皮を引っ張って伸ばし、穴をあけて金属のリングで留めた。
こうすると、皮がむけないので、亀頭は常時保護されたままとなる。
射精どころか、勃起をするのも困難だろう。
当然リングが邪魔になるので、性交することも不可能だった。
監督の命令で、チンチンに穴をあけられるなんていやだろう。
団員たちも、好きでそんな職業を選んだわけじゃないしね。
多くは奴隷のような立場なので、強制的にチンチンをふさがれても
文句を言える立場じゃなかっただろう。
ただ多少の救いがあるとすれば、人気者の役者や剣闘士は、
お金持ちのご婦人から呼びだされることもあったらしい。
彼らは、チンチンのリングを外してもらうこともできたみたいだ。
人に亀頭を見せないように保護をするのは、スポーツや興行の話。
ご婦人に呼ばれたときは、むしろ亀頭を出した方がお金になるからね。
チンチンの形が袋のように丸くなっている姿のものもある。
ブロンズ像の「Boxer at Rest」 などは、まさに
皮を縛って袋状になったチンチンがわかる作品だ。
Weltmurksbude
このように、昔のボクサーはトランクスなどは穿いておらず
サポーターとして亀頭を守るためのヒモ1本を身に着けていた。
競技で裸になることはよしとしても、
観客に亀頭を見せないように、皮をかぶせてヒモで縛ったのだ。
これを前回、キノデスムと説明した。
キノデスムは、裸になる必要がある試合のときにするが、
試合が終わったら、キノデスムを外して普通のチンチンに戻せた。
この亀頭を保護するというのは、見せるのが失礼だからという
理由のほかに、射精を防止する目的もあったのだ。
実は、古代ギリシャ・ローマの人は、
射精をすると精力が失われると考えていたようだ。
とりわけ、歌を歌う男性は、射精したら声の質が落ちるという
のが当時の人の考え方だ。
同じように劇場で戦う剣闘士(グラディエータ)のような男たちも
射精をしていたらパワーが落ちると思われていた。
そのため、劇場の監督は、自分の団員が勝手に射精して
パワーを無駄にしないよう、日頃から管理する必要があった。
今でも、一流のアスリートを目指す選手に対して
監督が「恋愛は禁止だ」という指導をしたりすることがあるよね。
そういうことをちょっと連想した。
歌手、役者、剣闘士を抱える劇場や劇団の監督が行ったのは
団員の包皮を引っ張って伸ばし、穴をあけて金属のリングで留めた。
こうすると、皮がむけないので、亀頭は常時保護されたままとなる。
射精どころか、勃起をするのも困難だろう。
当然リングが邪魔になるので、性交することも不可能だった。
監督の命令で、チンチンに穴をあけられるなんていやだろう。
団員たちも、好きでそんな職業を選んだわけじゃないしね。
多くは奴隷のような立場なので、強制的にチンチンをふさがれても
文句を言える立場じゃなかっただろう。
ただ多少の救いがあるとすれば、人気者の役者や剣闘士は、
お金持ちのご婦人から呼びだされることもあったらしい。
彼らは、チンチンのリングを外してもらうこともできたみたいだ。
人に亀頭を見せないように保護をするのは、スポーツや興行の話。
ご婦人に呼ばれたときは、むしろ亀頭を出した方がお金になるからね。
古代のスポーツと包茎の話
古代ギリシャのスポーツ選手が裸だったということは
結構知られていることかもしれない。
試合に出てくる選手は、鍛え上げた体を持っていたはずだ。
だからに裸になって、その強さと体の両方を披露する場として、
最高の舞台だったといえるかもしれない。
そういう鍛えた体を試合で見てもらうまではいいけど、
実際のところはすっぽんぽんだから
自分のチンチンまで試合で見せなきゃいけないわけだ。
それはどうなのかな・・・。
体は鍛えれば筋肉はつけられるけど、
チンチンはそういうコントロールはできない部分だからね。
試合中にチンチンがブラブラするのはみっともないし、
まして途中で意図せずに固くなったりしても恥ずかしいだろう。
調べてみると、当時のギリシャの人々の感覚は、
チンチンの亀頭が露出しているのは奴隷や野蛮人であって、
亀頭を見せることは恥ずかしいことだったらしい。
そして、だらんと垂れたチンチンもみっともないことだったらしい。
なので、選手は試合で裸にはなるけれども、
チンチンについてはヒモで亀頭を隠すようにしたということだ。
これはキノデスムと言って、つながれた犬という意味らしいね。
亀頭にしっかりと皮をかぶせ、皮を前に寄せてヒモでしばる。
こうすれば日頃半ムケになっている人でも亀頭を完全に隠すことができる。
それを腰ひもにつなげばブラブラせず、まとめることができる。
運動をしても、邪魔にはならなくなるし、試合に集中できるだろう。
チンチンを深くお腹の中に押し込んでから縛れば、
チンチンは袋状になり、大小や形もわからなくすることもできる。
結局スポーツの試合で裸になるといっても、
一糸まとわぬ全裸ではなく、その一糸(ヒモ1本)は身につけていたわけだ。
そして体も全部を見せるのではなく、亀頭だけは隠していた。
それが裸になるうえで守るべき当時のマナーだったようだ。
キノデスム
他人に亀頭を見せるということは、性的アピールとも考えられる。
スポーツのように性的なアピールをする意図がないのであれば
亀頭は隠しておくというのが昔のギリシャの考え方だろう。
今の日本だと、包茎の方が恥ずかしいという意識が強くて
お風呂に入るときに、見栄むきをして亀頭を露出させる人もいるよね。
自然にむけているならともかく、
日頃むけてない人は、見せなくていいものまでわざわざ見せるわけだ。
昔のギリシャの人たちの常識とはまったく反対だね。
結構知られていることかもしれない。
試合に出てくる選手は、鍛え上げた体を持っていたはずだ。
だからに裸になって、その強さと体の両方を披露する場として、
最高の舞台だったといえるかもしれない。
そういう鍛えた体を試合で見てもらうまではいいけど、
実際のところはすっぽんぽんだから
自分のチンチンまで試合で見せなきゃいけないわけだ。
それはどうなのかな・・・。
体は鍛えれば筋肉はつけられるけど、
チンチンはそういうコントロールはできない部分だからね。
試合中にチンチンがブラブラするのはみっともないし、
まして途中で意図せずに固くなったりしても恥ずかしいだろう。
調べてみると、当時のギリシャの人々の感覚は、
チンチンの亀頭が露出しているのは奴隷や野蛮人であって、
亀頭を見せることは恥ずかしいことだったらしい。
そして、だらんと垂れたチンチンもみっともないことだったらしい。
なので、選手は試合で裸にはなるけれども、
チンチンについてはヒモで亀頭を隠すようにしたということだ。
これはキノデスムと言って、つながれた犬という意味らしいね。
亀頭にしっかりと皮をかぶせ、皮を前に寄せてヒモでしばる。
こうすれば日頃半ムケになっている人でも亀頭を完全に隠すことができる。
それを腰ひもにつなげばブラブラせず、まとめることができる。
運動をしても、邪魔にはならなくなるし、試合に集中できるだろう。
チンチンを深くお腹の中に押し込んでから縛れば、
チンチンは袋状になり、大小や形もわからなくすることもできる。
結局スポーツの試合で裸になるといっても、
一糸まとわぬ全裸ではなく、その一糸(ヒモ1本)は身につけていたわけだ。
そして体も全部を見せるのではなく、亀頭だけは隠していた。
それが裸になるうえで守るべき当時のマナーだったようだ。
キノデスム
他人に亀頭を見せるということは、性的アピールとも考えられる。
スポーツのように性的なアピールをする意図がないのであれば
亀頭は隠しておくというのが昔のギリシャの考え方だろう。
今の日本だと、包茎の方が恥ずかしいという意識が強くて
お風呂に入るときに、見栄むきをして亀頭を露出させる人もいるよね。
自然にむけているならともかく、
日頃むけてない人は、見せなくていいものまでわざわざ見せるわけだ。
昔のギリシャの人たちの常識とはまったく反対だね。
図書館で見た本シリーズ (3)歴史関係・地誌関係
地誌関係では、海外の裸族などの写真集はまああったわけだが
遠いアフリカの人の長大なイチモツを見ても、現実味がわいてこないよね。
彼らはもともと裸で暮らす人たちなので、
写真を見ても、まあそうなんだろうなという印象もあったよね。
それでは、日本人の裸って図書館で見つからないのかというと、
あるにはあった。
以前も取り上げたと思うけれども、「九十九里浜」を代表とする
小関与四郎の写真集は、まさにそれに該当する。
外房の漁師は、1970年頃まで裸で作業をする人がいたという。
一糸まとわぬ全裸かというと、そういう人もいたし、そうでない人もいた。
多くの場合、おちんちんの皮にワラを結んで亀頭を見せないようにして
いたというのだから、一糸だけは身に着けていたことになるだろう。
こういう話は、なかなか信じない人もいるだろうけど、
写真をみれば一目瞭然だよね。
これらの写真集で、前も後ろも隠さない、大人の男の肉体美を
観察することができる。
遠いアフリカの人の長大なイチモツを見ても、現実味がわいてこないよね。
彼らはもともと裸で暮らす人たちなので、
写真を見ても、まあそうなんだろうなという印象もあったよね。
それでは、日本人の裸って図書館で見つからないのかというと、
あるにはあった。
以前も取り上げたと思うけれども、「九十九里浜」を代表とする
小関与四郎の写真集は、まさにそれに該当する。
外房の漁師は、1970年頃まで裸で作業をする人がいたという。
一糸まとわぬ全裸かというと、そういう人もいたし、そうでない人もいた。
多くの場合、おちんちんの皮にワラを結んで亀頭を見せないようにして
いたというのだから、一糸だけは身に着けていたことになるだろう。
こういう話は、なかなか信じない人もいるだろうけど、
写真をみれば一目瞭然だよね。
これらの写真集で、前も後ろも隠さない、大人の男の肉体美を
観察することができる。
図書館で見た本シリーズ (2)地誌関係
最近は裸族なんて言葉を使わなくなったけれども
1970年代は裸で暮らす部族は結構知られるよういなっていた時代だ。
そういう時代に海外の写真集を見ると、それらしいものがあったね。
アフリカ系では写真集「ヌバ」とかはすごかった。
レニ・リーフェンシュタールがアフリカで撮影した写真が掲載されている
大型の豪華本だった。
いわゆるヌバ族といって、スーダンに暮らす部族であった。
背が高くて体つきがとてもカッコいい。色は真っ黒で輝いている。
そして、なんといっても、素っ裸なんだよね。まったく遠慮なし。
おばさん写真家は探検服を着ているのに、お供するお兄さんは
何ら恥じらうことなく、チンチンブラブラだからね。
こんな写真を図書館においていいのかなと思ったくらいだった。
体があまりにも違いすぎて、ピンとこないという感じだったかも。
それに比べて、南米アマゾンの部族を紹介した写真集の方は
アジア人に近い面影があるよね。子供たちが集まっている場面も
おちんちんが見えて可愛いという感じてみえていたと思う。
1970年代は裸で暮らす部族は結構知られるよういなっていた時代だ。
そういう時代に海外の写真集を見ると、それらしいものがあったね。
アフリカ系では写真集「ヌバ」とかはすごかった。
レニ・リーフェンシュタールがアフリカで撮影した写真が掲載されている
大型の豪華本だった。
いわゆるヌバ族といって、スーダンに暮らす部族であった。
背が高くて体つきがとてもカッコいい。色は真っ黒で輝いている。
そして、なんといっても、素っ裸なんだよね。まったく遠慮なし。
おばさん写真家は探検服を着ているのに、お供するお兄さんは
何ら恥じらうことなく、チンチンブラブラだからね。
こんな写真を図書館においていいのかなと思ったくらいだった。
体があまりにも違いすぎて、ピンとこないという感じだったかも。
それに比べて、南米アマゾンの部族を紹介した写真集の方は
アジア人に近い面影があるよね。子供たちが集まっている場面も
おちんちんが見えて可愛いという感じてみえていたと思う。
図書館で見た本シリーズ (1)教育関係
今はインターネットがあるので、
たいていの画像などはどこにいても閲覧できたりして便利だね。
昔は、出版物で見るしかなかったので、おちんちんの写真が入って
いる本などを見つけた場合は、ラッキーだと思ったよね。
いくつか事例を紹介してみよう。
教育関係のところに行くと、当然のころ性教育関係の本がある。
日本の性教育は、それこそ人形だったり、絵で説明をしてたりする
わけだけれども、まれに、写真を出しているものがあるんだよね。
僕が見た本は、これはと思ったものが1冊ある。
それは性器が成長したらどうなるかというのを説明するために
モデルさんが裸で映った写真が掲載されていた。
男性が3人と女性が3人、まさにすっぽんぽんで正面からの写真。
わざと違いがわかるように、人種も違うし、性器の大小や形も違う
モデルを3人選んで見せてくれていたようだ。
教育という目的なら、みせちゃっていいんだなと思ったね。
何というタイトルの本かは忘れちゃったけど、調べてみようかな。
たいていの画像などはどこにいても閲覧できたりして便利だね。
昔は、出版物で見るしかなかったので、おちんちんの写真が入って
いる本などを見つけた場合は、ラッキーだと思ったよね。
いくつか事例を紹介してみよう。
教育関係のところに行くと、当然のころ性教育関係の本がある。
日本の性教育は、それこそ人形だったり、絵で説明をしてたりする
わけだけれども、まれに、写真を出しているものがあるんだよね。
僕が見た本は、これはと思ったものが1冊ある。
それは性器が成長したらどうなるかというのを説明するために
モデルさんが裸で映った写真が掲載されていた。
男性が3人と女性が3人、まさにすっぽんぽんで正面からの写真。
わざと違いがわかるように、人種も違うし、性器の大小や形も違う
モデルを3人選んで見せてくれていたようだ。
教育という目的なら、みせちゃっていいんだなと思ったね。
何というタイトルの本かは忘れちゃったけど、調べてみようかな。
12歳が噴水で水浴び
12歳の少年が街中の噴水にやってきて水浴び。
こんなことがあるんだね。
夏休みに田舎から街に遊びに来た12歳の男の子。
大人の人たちは仕事で忙しくって相手をしてくれないから
一人で外に遊びにいったらしい。
マンションを出ると、ちょうどいい感じの噴水があるではないか。
少年は迷うことなく、素っ裸になり
噴水の池に飛び込んだ・・・こんな感じだろう。
田舎にいれば、確かに素っ裸で川で遊んでも注意はされない。
その感覚で、街の中で噴水にはいってしまったのかな。
12歳の男の子が街の中でフルチンで遊んでいるわけだから
そりゃ、周りの人たちはびっくりするよね。
それより、心配なのは
噴水の池の中には電気系統の配線があって、感電する危険がある。
事実、噴水の池で毎年死亡事故もあるらしいね。
周りの人が男の子を何とか説得して、
池から出させたそうだよ。
大家怎么看南昌一男子在布满电线的喷泉池内游泳?
こんなことがあるんだね。
夏休みに田舎から街に遊びに来た12歳の男の子。
大人の人たちは仕事で忙しくって相手をしてくれないから
一人で外に遊びにいったらしい。
マンションを出ると、ちょうどいい感じの噴水があるではないか。
少年は迷うことなく、素っ裸になり
噴水の池に飛び込んだ・・・こんな感じだろう。
田舎にいれば、確かに素っ裸で川で遊んでも注意はされない。
その感覚で、街の中で噴水にはいってしまったのかな。
12歳の男の子が街の中でフルチンで遊んでいるわけだから
そりゃ、周りの人たちはびっくりするよね。
それより、心配なのは
噴水の池の中には電気系統の配線があって、感電する危険がある。
事実、噴水の池で毎年死亡事故もあるらしいね。
周りの人が男の子を何とか説得して、
池から出させたそうだよ。
大家怎么看南昌一男子在布满电线的喷泉池内游泳?
街中で飛行機を打つ人
YOUKUを見ていると、
中国ではこんなのが普通に出てるんだなと思う。
街の中で「飛行機を打つ」をしていると書いてあるようだ。
地上から飛行機を打つのは高射砲というのを使うんだよね。
そうそう、砲門が細くで長いやつ、あれで地上から発射する。
動画を見ていると、
このお兄さんがそんな危ない兵器を使っているわけじゃない。
ズボンは下しているようだけれども、
その兵器は赤いパンツの中に隠し持っているようだ。
砲門を擦って発射準備をするのだけども、時間がかかっている。
最後は何とか発射できたみたいで、
すっきりした顔でズボンを穿いている。
史上最强偶遇!!!千禧后,大街上打飞机!
もう一件、公園で座っているおじさんの動画が出ている。
こっちのおじさんは、兵器はちらちらを見えているような感じがする。
しばらく擦って、最後はすっきり発射したようだ。
矿山公园一角
中国ではこんなのが普通に出てるんだなと思う。
街の中で「飛行機を打つ」をしていると書いてあるようだ。
地上から飛行機を打つのは高射砲というのを使うんだよね。
そうそう、砲門が細くで長いやつ、あれで地上から発射する。
動画を見ていると、
このお兄さんがそんな危ない兵器を使っているわけじゃない。
ズボンは下しているようだけれども、
その兵器は赤いパンツの中に隠し持っているようだ。
砲門を擦って発射準備をするのだけども、時間がかかっている。
最後は何とか発射できたみたいで、
すっきりした顔でズボンを穿いている。
史上最强偶遇!!!千禧后,大街上打飞机!
もう一件、公園で座っているおじさんの動画が出ている。
こっちのおじさんは、兵器はちらちらを見えているような感じがする。
しばらく擦って、最後はすっきり発射したようだ。
矿山公园一角
おんなのこってなあに おとこのこってなあに
子供向けで、おちんちんが見られる本の一つだね。
みなさんは、男の子と女の子はどうやって区別するのかな。
このストレートな問題に対して
性器でわかるというのがこの本の趣旨なんだろう。
いろんな性格の子がいたり、いろんな人種の子がるけれども
男女を決めるのは性器。
おちんちんがついていたら男の子
おちょんちょんがついていたら女の子
これは・・・?
日本語訳するのに苦労した感じがするよね。
現代の感覚だと、賛否が分かれるかもしれないね。
小さい子に示すには、まずはいいのではないかと思う。
「おんなのこって なあに? おとこのこって なあに?」
(福音館のかがくのほん)
みなさんは、男の子と女の子はどうやって区別するのかな。
このストレートな問題に対して
性器でわかるというのがこの本の趣旨なんだろう。
いろんな性格の子がいたり、いろんな人種の子がるけれども
男女を決めるのは性器。
おちんちんがついていたら男の子
おちょんちょんがついていたら女の子
これは・・・?
日本語訳するのに苦労した感じがするよね。
現代の感覚だと、賛否が分かれるかもしれないね。
小さい子に示すには、まずはいいのではないかと思う。
「おんなのこって なあに? おとこのこって なあに?」
(福音館のかがくのほん)
鬼は外ビーンズ
ドラえもんでは、季節もののネタもあるけれども
1月30日に放送された「鬼は外ビーンズ」もその一つだよね。
ジャイアンがスネ夫の家にやってきて歌の練習をするのだが、
スネ夫を助けるために、鬼は外ビーンズを使うという話だ。
このテーマでの放送は、旧ドラえもん(第2作第1期)でもあったし、
第2作第2期で前回放送されたのは、2012年2月3日の節分だった。
基本的なあらすじは、何度かジャイアンを外に追い出すうちに
鬼は外ビーンズのことがジャイアンにばれてしまって、
3人はジャイアンに追いかけられてしまうことになる。
逃げる中で、必死にジャイアンにビーンズをぶつけていると、
ジャイアンが追いかけてこられない状況に陥るというわけだ。
3回の放送では、最後のオチの部分というのは基本的に同じ。
旧ドラえもんではシンプルにこのストーリーの通りだけれども、
前回と今回は多少脚色が変わる。どこが違うか比較してみよう。
前回、フクは内で服が家の中に飛ぶという展開にしていたが
それはダジャレとしてはあるけれども、やっぱり無理があったのかな。
今回、外に出るというビーンズの本来の機能に戻したようだ。
オチの予感の部分で、前回はパンツまで具体的に見せていたので
ジャイアンは全裸確定したことを予告したことになる。
今回は、路上に残されたシャツとズボンなので、本人を見ないと
状況はわからない。そうして周囲を探すと電柱の影にいる
ジャイアンを見つけるという話だね。
ジャイアンの見せ方は大きく変わったね。前回は電柱に隠れても
全身全裸が見えて、一部真ん中だけ隠す程度の露出度合いだった。
今回は、アイテムを使ってほぼ全身を隠していたので、上半身が
裸だとはわかるが、下半身はわからない。パンツはズボンの中に
あるのか、それともジャイアンが身に着けているのか。
ここで、パンツは身に着けてないと判断できる状況証拠としては
(1)ジャイアンの左膝がちょっとだけ見えている
(2)ジャイアンが恥ずかしそうに顔を赤らめている
ジャイアンは普段デカパンを穿いているはずだから、膝が見えて
いることで、パンツはないと推測ができる。もしブリーフなら
全裸かどうかはわからないだろう。さらに、ジャイアンの羞恥心を
強調して、この場が全裸だということを状況で表現している。
逆に言うと、全裸を表現できないくらいに、アニメの描写が、
この数年間でさらに厳しくなということができるかもしれない。
状況証拠で全裸を示すなど、今までのドラえもんでは考えられない。
しかし、裸を笑うというドラえもんの笑いの基本が、程度の差は
あるものの、いまだに変わってないことも感じられた。
1月30日に放送された「鬼は外ビーンズ」もその一つだよね。
ジャイアンがスネ夫の家にやってきて歌の練習をするのだが、
スネ夫を助けるために、鬼は外ビーンズを使うという話だ。
このテーマでの放送は、旧ドラえもん(第2作第1期)でもあったし、
第2作第2期で前回放送されたのは、2012年2月3日の節分だった。
基本的なあらすじは、何度かジャイアンを外に追い出すうちに
鬼は外ビーンズのことがジャイアンにばれてしまって、
3人はジャイアンに追いかけられてしまうことになる。
逃げる中で、必死にジャイアンにビーンズをぶつけていると、
ジャイアンが追いかけてこられない状況に陥るというわけだ。
3回の放送では、最後のオチの部分というのは基本的に同じ。
旧ドラえもんではシンプルにこのストーリーの通りだけれども、
前回と今回は多少脚色が変わる。どこが違うか比較してみよう。
比較項目 | 2012年2月3日 | 2021年1月31日 |
ビーンズの 使い方 | 鬼は外と言って ぶつける | ぶつけるだけ |
ジャイアンを 外に出す回数 | 3回 | 2回 |
鬼の描写 | なし | 大根のこん棒 そば椀の角 そばの髪 |
ビーンズを 外でぶつける | 逃げながら 後ろに投げる | 対決姿勢で 正面から投げる |
ビーンズを ぶつけた効果 | ジャイアンの 服が消える | 服を残して ジャイアンが 消える |
その理由 | フクは内で 服が家の中に 移動した | ジャイアンが 服の外に移動 した |
オチの予感 | ジャイアンの シャツ、ズボン、 靴下、パンツ | 残された ジャイアンの シャツ、ズボン |
オチ | 全裸で電柱の 後ろに隠れる | 裸で電柱の 後ろに隠れる |
裸の見せ方 | 足元から頭まで アップで表現 中央だけ隠す | 電柱、ごみ箱、 大根で全身を しっかり隠す |
ジャイアンの 反応 | 寒そうに震える | 顔を赤らめて 恥ずかしがる |
3人の反応 | 転げまわって 大笑いをする | 楽しそうに 笑っている |
前回、フクは内で服が家の中に飛ぶという展開にしていたが
それはダジャレとしてはあるけれども、やっぱり無理があったのかな。
今回、外に出るというビーンズの本来の機能に戻したようだ。
オチの予感の部分で、前回はパンツまで具体的に見せていたので
ジャイアンは全裸確定したことを予告したことになる。
今回は、路上に残されたシャツとズボンなので、本人を見ないと
状況はわからない。そうして周囲を探すと電柱の影にいる
ジャイアンを見つけるという話だね。
ジャイアンの見せ方は大きく変わったね。前回は電柱に隠れても
全身全裸が見えて、一部真ん中だけ隠す程度の露出度合いだった。
今回は、アイテムを使ってほぼ全身を隠していたので、上半身が
裸だとはわかるが、下半身はわからない。パンツはズボンの中に
あるのか、それともジャイアンが身に着けているのか。
ここで、パンツは身に着けてないと判断できる状況証拠としては
(1)ジャイアンの左膝がちょっとだけ見えている
(2)ジャイアンが恥ずかしそうに顔を赤らめている
ジャイアンは普段デカパンを穿いているはずだから、膝が見えて
いることで、パンツはないと推測ができる。もしブリーフなら
全裸かどうかはわからないだろう。さらに、ジャイアンの羞恥心を
強調して、この場が全裸だということを状況で表現している。
逆に言うと、全裸を表現できないくらいに、アニメの描写が、
この数年間でさらに厳しくなということができるかもしれない。
状況証拠で全裸を示すなど、今までのドラえもんでは考えられない。
しかし、裸を笑うというドラえもんの笑いの基本が、程度の差は
あるものの、いまだに変わってないことも感じられた。
雑技団でなぜお尻丸出し
前にも紹介したけれども、雑技団の子ってすごいよね。
頭の上にお尻がくるような態勢で演技をしたりしている。
さぞかし厳しいトレーニングを積み重ねてきて、
晴れのステージに立っているのだろう。
ステージに立つうえでは、当然のこと専用の衣装を着て
演技をしているわけだ。
公演で、お尻丸出しの少年演目などあろうはずがない。
それでは、ときどき動画が流れる見るお尻丸出しの雑技は
いったい誰がやっているのだろうか。
当然、プロの雑技団のメンバーじゃなきゃできないはずだ。
どうしてそんなことが起こりうるのだろうか。考えてみた。
例えば
結婚式のようなお祝いの場で演技をする場面を想像してほしい。
雑技団にダンサーを派遣してほしいという依頼があった場合、
チームの中にかわいい男の子を一人加えておくといいだろう。
その男の子には、いつもの専用の衣装じゃなくて、
お祝い用の特別な衣装を着せておく。仕込みはこれでOKだろう。
そして男の子の出番がくると、会場がどっと盛り上がるはずだ。
そのお祝い用の特別な衣装が、日本でいう金太郎。
中国では「红肚兜」という腹巻(前掛け)1枚という姿なのだ。
これはパンツがないので、お尻が丸出しになる。
前掛けの状態によってはお客さんからおちんちんも丸見えだ。
中国で男の子に「红肚兜」を着させるのは、厄除けの意味がある。
だから衣装には、将来生まれてきた子供が元気に育つようにという
願いがかけられているわけだ。
そして結婚式だから当然子孫繁栄を期待もするわけだ。
男の子のおちんちんも縁起ものだとわかるだろう。
縁起でたっぷり見てもらって、喜んでもらうということなんだろう。
さすがに、こんな形で見せるのは、5~6歳くらいかと思ったけど
意外に10歳くらいの男子にオファーが来た例もあったようだね。
お祝い用の特別衣装で演技をしたらギャラが2倍になるということで、
本人が知らないうちに雑技団がOKをだしちゃったらしい。
当然のこと、柔軟雑技をやれば、頭の上でおちんちんが
プルプルする様子をお客さんに見てもらうことが前提だよね。
いくらプロだといっても、これ、正直いって恥ずかしかっただろう。
結局は、商売というか、
オファーがあればやりますよということなんだろう。
頭の上にお尻がくるような態勢で演技をしたりしている。
さぞかし厳しいトレーニングを積み重ねてきて、
晴れのステージに立っているのだろう。
ステージに立つうえでは、当然のこと専用の衣装を着て
演技をしているわけだ。
公演で、お尻丸出しの少年演目などあろうはずがない。
それでは、ときどき動画が流れる見るお尻丸出しの雑技は
いったい誰がやっているのだろうか。
当然、プロの雑技団のメンバーじゃなきゃできないはずだ。
どうしてそんなことが起こりうるのだろうか。考えてみた。
例えば
結婚式のようなお祝いの場で演技をする場面を想像してほしい。
雑技団にダンサーを派遣してほしいという依頼があった場合、
チームの中にかわいい男の子を一人加えておくといいだろう。
その男の子には、いつもの専用の衣装じゃなくて、
お祝い用の特別な衣装を着せておく。仕込みはこれでOKだろう。
そして男の子の出番がくると、会場がどっと盛り上がるはずだ。
そのお祝い用の特別な衣装が、日本でいう金太郎。
中国では「红肚兜」という腹巻(前掛け)1枚という姿なのだ。
これはパンツがないので、お尻が丸出しになる。
前掛けの状態によってはお客さんからおちんちんも丸見えだ。
中国で男の子に「红肚兜」を着させるのは、厄除けの意味がある。
だから衣装には、将来生まれてきた子供が元気に育つようにという
願いがかけられているわけだ。
そして結婚式だから当然子孫繁栄を期待もするわけだ。
男の子のおちんちんも縁起ものだとわかるだろう。
縁起でたっぷり見てもらって、喜んでもらうということなんだろう。
さすがに、こんな形で見せるのは、5~6歳くらいかと思ったけど
意外に10歳くらいの男子にオファーが来た例もあったようだね。
お祝い用の特別衣装で演技をしたらギャラが2倍になるということで、
本人が知らないうちに雑技団がOKをだしちゃったらしい。
当然のこと、柔軟雑技をやれば、頭の上でおちんちんが
プルプルする様子をお客さんに見てもらうことが前提だよね。
いくらプロだといっても、これ、正直いって恥ずかしかっただろう。
結局は、商売というか、
オファーがあればやりますよということなんだろう。
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