珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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芸術作品における性器表現
人の裸体は芸術としてよく表現される。裸体なのだから、当然のこと男性器もついているはずだが、それを認めない時代には、性器を削り取ったり、塗りつぶされたりした時代もあったと聞く。ルネッサンス以降は裸体表現も自由になったようだが、日本でそういうものが認められるには、さらに時間がかかっている。
http://samsara.at.webry.info/201004/article_2.html
今では、公園やスポーツ施設などには設置される銅像も、結構全裸で表現されているものもある。筋肉が盛り上がる若者の裸像は見事だと思うし、それは美しいとも感じる。芸術として理解しやすいものだ。芸術作品として設置されているものに対し、男性器が丸出しだからといちいち文句を言う人も少ないだろう。
彫像の中にはそういう美しい肉体ではなく、メタボなおじさんが楽器を演奏しているのに「何で裸なの?」みたいなものもある。もしリアルにどこかのおじさんが全裸で楽器を演奏していたら警察に連れて行かれるだろう。
http://wisecat.exblog.jp/9297449/
http://gendfresco.exblog.jp/14992821/
このように男性器もしっかり見えてるし、恥ずかしい格好のものもある。それは面白いとは思うけど、不快とは思わない。たぶん芸術だと感じて納得できる要素があるからだろう。あるいは、どこかに超えない一線があるということなのかもしれない。
次のものはどうだろうか。西洋の彫刻の場合は、男性器がついていても主役ではない。どちらかというと包茎で小ぶりなものが多い。しかしこれは明らかに男性器がメインになっている。
http://health.hsw.cn/system/2009/10/10/050327071.shtml
まあこれは、性文化の博覧会で展示しているものなので、性器を表現するのは当然かも。
そうした特殊な場所ではなく、一般の人が日常的に生活する場所にも裸像は設置される。次のような裸像が立っていたら、どんな気分になるだろうか。
http://hb.qq.com/a/20100416/002774.htm
これは、蒙古人をイメージした巨漢像だ。鍛え上げた強力な体はわかる。また全裸というのもこうした彫像では珍しくないだろう。この作品自体は悪いとは思わないのだが、しかしこれが3mの身長だというのが問題のように思う。この彫像の身長がもし半分くらいなら、股間をわざわざ覗き込んでまでは見ないだろうが、この身長で立っていると人の視線は明らかに、巨漢の股間にぶら下がったものに向けられる。手を伸ばしてもそこにはやはり男性器がある。だから、生殖器彫像などと表現されてしまうのだ。
実際に道行く人はこのように見ている。
http://club.kdnet.net/dispbbs.asp?page=1&boardid=1&id=3373786
そもそもこんな巨漢が3mの長身から見下ろしているだけでかなりの威圧感がある。それに加え、露出したペニスがしつこく視線に入ってきて、威圧感を倍増する。男らしらや強さの表現と理解できなくもないが、どちらかというと性器を見せびらかしているように思われて不快感のほうが勝ってしまう。
同様の巨漢彫像は北京の大学に設置され物議を醸していたようだ。
http://all7816.blog.163.com/blog/static/128394714201032224648194/
http://www.ncku1897.net/post/topic.aspx?tid=2766743
彫像は男性器丸出しで立っているわけだけど、その巨漢を見ながら舌を出している老人像が向かい合って立っているのだそうだ。そこからは、巨漢のペニスを老人がペロペロしているというイメージが出てしまうようだね。
http://video.sina.com.cn/v/b/16976316-1341572584.html
芸術は作る人・設置する人の意図もあるだろうけど、見る人の解釈が必ずしも同じとは限らない。巨漢が目の前に立っているだけでも、「俺のペニスは立派だろう、しごいてみるか?」と聞こえてきそうなのに、さらに老人がセットになれば、「ほら、ちゃんとしゃぶるんだよ!」と言っているようにも思えてくる。こういう状態で公開されていると、やはり見ている人は不快感を感じるだろうね。
http://samsara.at.webry.info/201004/article_2.html
今では、公園やスポーツ施設などには設置される銅像も、結構全裸で表現されているものもある。筋肉が盛り上がる若者の裸像は見事だと思うし、それは美しいとも感じる。芸術として理解しやすいものだ。芸術作品として設置されているものに対し、男性器が丸出しだからといちいち文句を言う人も少ないだろう。
彫像の中にはそういう美しい肉体ではなく、メタボなおじさんが楽器を演奏しているのに「何で裸なの?」みたいなものもある。もしリアルにどこかのおじさんが全裸で楽器を演奏していたら警察に連れて行かれるだろう。
http://wisecat.exblog.jp/9297449/
http://gendfresco.exblog.jp/14992821/
このように男性器もしっかり見えてるし、恥ずかしい格好のものもある。それは面白いとは思うけど、不快とは思わない。たぶん芸術だと感じて納得できる要素があるからだろう。あるいは、どこかに超えない一線があるということなのかもしれない。
次のものはどうだろうか。西洋の彫刻の場合は、男性器がついていても主役ではない。どちらかというと包茎で小ぶりなものが多い。しかしこれは明らかに男性器がメインになっている。
http://health.hsw.cn/system/2009/10/10/050327071.shtml
まあこれは、性文化の博覧会で展示しているものなので、性器を表現するのは当然かも。
そうした特殊な場所ではなく、一般の人が日常的に生活する場所にも裸像は設置される。次のような裸像が立っていたら、どんな気分になるだろうか。
http://hb.qq.com/a/20100416/002774.htm
これは、蒙古人をイメージした巨漢像だ。鍛え上げた強力な体はわかる。また全裸というのもこうした彫像では珍しくないだろう。この作品自体は悪いとは思わないのだが、しかしこれが3mの身長だというのが問題のように思う。この彫像の身長がもし半分くらいなら、股間をわざわざ覗き込んでまでは見ないだろうが、この身長で立っていると人の視線は明らかに、巨漢の股間にぶら下がったものに向けられる。手を伸ばしてもそこにはやはり男性器がある。だから、生殖器彫像などと表現されてしまうのだ。
実際に道行く人はこのように見ている。
http://club.kdnet.net/dispbbs.asp?page=1&boardid=1&id=3373786
そもそもこんな巨漢が3mの長身から見下ろしているだけでかなりの威圧感がある。それに加え、露出したペニスがしつこく視線に入ってきて、威圧感を倍増する。男らしらや強さの表現と理解できなくもないが、どちらかというと性器を見せびらかしているように思われて不快感のほうが勝ってしまう。
同様の巨漢彫像は北京の大学に設置され物議を醸していたようだ。
http://all7816.blog.163.com/blog/static/128394714201032224648194/
http://www.ncku1897.net/post/topic.aspx?tid=2766743
彫像は男性器丸出しで立っているわけだけど、その巨漢を見ながら舌を出している老人像が向かい合って立っているのだそうだ。そこからは、巨漢のペニスを老人がペロペロしているというイメージが出てしまうようだね。
http://video.sina.com.cn/v/b/16976316-1341572584.html
芸術は作る人・設置する人の意図もあるだろうけど、見る人の解釈が必ずしも同じとは限らない。巨漢が目の前に立っているだけでも、「俺のペニスは立派だろう、しごいてみるか?」と聞こえてきそうなのに、さらに老人がセットになれば、「ほら、ちゃんとしゃぶるんだよ!」と言っているようにも思えてくる。こういう状態で公開されていると、やはり見ている人は不快感を感じるだろうね。
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裸祭(5)
今まで日本や中国での裸祭りの話題をとりあげてきたが、今回は裸で行う儀式や競技会をとりあげよう。いずれもエチオピアのオモ渓谷の地域に暮らす部族の話題だ。この地域の部族の人たちは、昔から裸で暮らす人も多く、身に着けているものも縞模様の綿布一枚程度だったりする。儀式などで裸になるのは割と自然なことなのかもしれない。
まず有名なのはハマル族だろう。ここでは成人の儀式として牛の背中をわたって走るブルジャンプを行う。このブルジャンプを4往復成功すれば大人の男として認められるが、失敗したら大変不名誉なのだそうだ。この儀式に参加する若者は全裸にならなくてはならない。まわりはみんな服を着ているし、観光客がカメラを構えている中で一人だけ全裸になるのは、どうなんだろうね。以前ウルルン滞在記で高田宏太郎も全裸で参加しているし、藤岡探検隊でも同様に隊員が儀式に参加したことがあると記憶している。全裸になるのは、やはり成熟した男であることを見せるというのが目的なのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=mPZ1KHcHdPQ
このハマル族の儀式では親族の女性がムチで打たれるという過酷な場面もあれば、割礼なども実施され、数日かけて盛大なお祝いをするようだ。この部族で割礼を行うのはイスラム教の影響だそうだが、ジャンプする青年を見ていると確かに皮は剥けているように見える。動画でわかりにくい場合は以下の画像も参照してほしい。
http://www.flickr.com/photos/deepblue66/3239586494/
このオモ渓谷に住んでいて、日本でおなじみなの部族がもうひとつある。それはスルマ族だ。この部族の女性たちは下唇に大きな皿をはめ込んで飾ったりしている。昔すばらしい世界旅行などの紀行番組で、いかにも未開の部族らしいイメージを脳裏に焼き付けられたのは彼女たちの姿だった。
彼らは武闘を重視する部族で、ドンガという競技を行う。スティック・ファイトとも呼ばれ、長い杖でお互いに叩き合うというものだ。つい最近(株)世界衝撃映像社でも紹介されている。
http://blog.livedoor.jp/k_sfv8539/archives/51736001.html
テレビはバラエティとして面白く表現されている。参加したタレントもあるったけの材料を体にまいて防具にしているが、実際の競技は全裸で持っているものは杖1本のみ。それで真剣に叩き合うので、打たれたときの衝撃は想像を絶するものだ。戦いは壮絶をきわめ、流血は避けられない。この戦いに勝利した者は称賛され栄誉を得るとともに、女性をゲットすることもできる。逆にいうと、ドンガで勝利できなければ結婚もできないわけだから、真剣勝負であることは間違いない。
http://www.flickr.com/photos/30901396@N07/3016026961/
これは競技会であると同時に、嫁さがしのお見合い祭りのようなものだ。男たちは、鍛え上げた強靭な肉体、戦闘能力、そして成熟した男性器を祭りの中で多くの女性に披露し、結婚を勝ち取る儀式ということなのだろう。
同じオモ渓谷地区に住んでいるのに、こうした武闘とは全く異なる戦いをする部族もある。ボディ族の競技は年に一度行われ、やはり未婚の男たちが参加し、女性をゲットするために戦いあう。その戦いはボディビルで勝負をつけるのだが、僕らが考えるようなボディビルではなく、いかに脂肪を体に蓄えて肥満体になるかを競うのだ。太っている人はお金持ちというイメージがあるために、結婚したい男は自分の体を太らせて自らの力をアピールする。競技会では参加者の中で最も太ったものが勝者となり、称賛と栄誉を受けるという。
競技に参加する男たちは数か月前から運動をせずに、大量の牛乳を飲み続ける。そして競技会当日は全裸で村の広場に集まり、作り上げた体を披露する。急に太った体では立つもの歩くのもつらそうだ。本来の彼らは、背が高く筋肉質でスマートな美しい体型を持っているのに、それとはまったく異なる体を作り変えるのだから無理をしているのは当然のこと。中には胃袋が破裂して死に至るケースもあるらしく、女性を得るのは命がけだ。
女性たちは、競技会に参加する裸の男たちをみながら、太鼓腹や巨尻から経済力をはかると同時に、男性器の品定めもあわせて行い、結婚相手を判断するのだろう。日本でも男の甲斐性は経済力などのように言われ、家や車や着ているもの、そして年収などで男が判断されたりすることがあるが、それはその男本人を見ているのではない。ボディ族の場合は、自らの裸の体一本ですべてをアピールして戦おうとしているのだね。
http://www.youtube.com/watch?v=zBefcD0TeoY
まず有名なのはハマル族だろう。ここでは成人の儀式として牛の背中をわたって走るブルジャンプを行う。このブルジャンプを4往復成功すれば大人の男として認められるが、失敗したら大変不名誉なのだそうだ。この儀式に参加する若者は全裸にならなくてはならない。まわりはみんな服を着ているし、観光客がカメラを構えている中で一人だけ全裸になるのは、どうなんだろうね。以前ウルルン滞在記で高田宏太郎も全裸で参加しているし、藤岡探検隊でも同様に隊員が儀式に参加したことがあると記憶している。全裸になるのは、やはり成熟した男であることを見せるというのが目的なのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=mPZ1KHcHdPQ
このハマル族の儀式では親族の女性がムチで打たれるという過酷な場面もあれば、割礼なども実施され、数日かけて盛大なお祝いをするようだ。この部族で割礼を行うのはイスラム教の影響だそうだが、ジャンプする青年を見ていると確かに皮は剥けているように見える。動画でわかりにくい場合は以下の画像も参照してほしい。
http://www.flickr.com/photos/deepblue66/3239586494/
このオモ渓谷に住んでいて、日本でおなじみなの部族がもうひとつある。それはスルマ族だ。この部族の女性たちは下唇に大きな皿をはめ込んで飾ったりしている。昔すばらしい世界旅行などの紀行番組で、いかにも未開の部族らしいイメージを脳裏に焼き付けられたのは彼女たちの姿だった。
彼らは武闘を重視する部族で、ドンガという競技を行う。スティック・ファイトとも呼ばれ、長い杖でお互いに叩き合うというものだ。つい最近(株)世界衝撃映像社でも紹介されている。
http://blog.livedoor.jp/k_sfv8539/archives/51736001.html
テレビはバラエティとして面白く表現されている。参加したタレントもあるったけの材料を体にまいて防具にしているが、実際の競技は全裸で持っているものは杖1本のみ。それで真剣に叩き合うので、打たれたときの衝撃は想像を絶するものだ。戦いは壮絶をきわめ、流血は避けられない。この戦いに勝利した者は称賛され栄誉を得るとともに、女性をゲットすることもできる。逆にいうと、ドンガで勝利できなければ結婚もできないわけだから、真剣勝負であることは間違いない。
http://www.flickr.com/photos/30901396@N07/3016026961/
これは競技会であると同時に、嫁さがしのお見合い祭りのようなものだ。男たちは、鍛え上げた強靭な肉体、戦闘能力、そして成熟した男性器を祭りの中で多くの女性に披露し、結婚を勝ち取る儀式ということなのだろう。
同じオモ渓谷地区に住んでいるのに、こうした武闘とは全く異なる戦いをする部族もある。ボディ族の競技は年に一度行われ、やはり未婚の男たちが参加し、女性をゲットするために戦いあう。その戦いはボディビルで勝負をつけるのだが、僕らが考えるようなボディビルではなく、いかに脂肪を体に蓄えて肥満体になるかを競うのだ。太っている人はお金持ちというイメージがあるために、結婚したい男は自分の体を太らせて自らの力をアピールする。競技会では参加者の中で最も太ったものが勝者となり、称賛と栄誉を受けるという。
競技に参加する男たちは数か月前から運動をせずに、大量の牛乳を飲み続ける。そして競技会当日は全裸で村の広場に集まり、作り上げた体を披露する。急に太った体では立つもの歩くのもつらそうだ。本来の彼らは、背が高く筋肉質でスマートな美しい体型を持っているのに、それとはまったく異なる体を作り変えるのだから無理をしているのは当然のこと。中には胃袋が破裂して死に至るケースもあるらしく、女性を得るのは命がけだ。
女性たちは、競技会に参加する裸の男たちをみながら、太鼓腹や巨尻から経済力をはかると同時に、男性器の品定めもあわせて行い、結婚相手を判断するのだろう。日本でも男の甲斐性は経済力などのように言われ、家や車や着ているもの、そして年収などで男が判断されたりすることがあるが、それはその男本人を見ているのではない。ボディ族の場合は、自らの裸の体一本ですべてをアピールして戦おうとしているのだね。
http://www.youtube.com/watch?v=zBefcD0TeoY
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