珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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見せる性教育(3)
中国の性教育の内容から、話題を提供する。前回、見せる性教育(2)で紹介したビデオは、どちらも青春期教育のシリーズのビデオである。青春期とは10歳から20歳と定義されており、小学校高学年から、中学、高校あたりの子供たちに対する教育ビデオという位置づけだろう。このビデオシリーズは、心理編、社会編、道徳編など、青春期に学ぶべきことをしっかりとした体系的にまとめたものだ。専門家が説明をするもの、グラフィックなどで説明するもの、実際の体の実物を見せるものもある。また、登場人物が演技をして示す例としては、たとえば子供たちの周囲の大人の中には、性的ないたずらを目当てに近づいてくる人もいるので、注意するように示唆する内容もあった。
そのシリーズの中にある生理編のビデオを全体的に見られる動画があったので、紹介しよう。この中の一部は前回の見せる性教育(2)で紹介したものと同じものだ。
http://v.ku6.com/show/-OCAgRqsT6Vo5Ut9.html
この動画には、以下のような内容が含まれている
1.体の変化
2.私たちの生殖器
男子 前回(2)で紹介
女子
3.青春期の衛生・保健
男子 前回(2)で紹介
女子
4.誕生
1.は、年齢とともに男女の体がどのように変化するかの説明する。第二次性徴の説明のあとは、大人の裸体の観察だ。男は立ち姿で、女性は横たわる姿。しかもムードのあるBGMまで入っている。もちろん陰部もストレートに映っている。次は女性の胸の観察。膨らむ前の子供の胸から、たっぷりの膨らんだ大人の女性の胸まで段階を追ってアップの映像が続く。次は女性の陰部の観察。性毛がまったくない子供の陰部から、うっすらと毛が生えた陰部、ここまではくぼみがはっきりと見える。さらに性毛が十分に発達した大人の女性まで、陰部のアップ映像が続く。女性の裸を見てオナニーの衝動を感じる中学生たちがこのビデオを見ていったいどんな反応をするだろうか。おそらく平常心ではいられないだろうし、恥ずかしくて正視できないのではないだろうか。
2.は前回も紹介した内容のとおり、男性生殖器についての説明だ。成人男性の実物の生殖器をアップ映像を使用して説明する。女性の場合も、外性器を特大アップにして見せるような内容だ。
3.は衛生・保健の問題を扱う。こちらも前回紹介したとおりだ。中学生たちがズボンの窓からおちんちんを出している場面も局部アップで見せる。包茎ペニスの実物は包皮を剥こうとしても実際に剥けない場面を実演する。また別の例は包皮を剥いて亀頭を露出したら炎症でただれている映像。睾丸が袋の中になく、ペニスも成長していない男性の生殖器など、生殖器の病気に関する映像が続く。特に指導されているのは、ペニスを洗うこと。シャワーを浴びる少年は、陰部を石鹸で丁寧に洗い、その後包皮を剥いて溝などにたまった恥垢をきれいに洗い流している。これらを実物、実演で指導する。女性の方はというと、生理用品を使う映像などもあり。
4.これは、おそらく生理編の一番最初にあった内容だろう。前半は解説が中心だ。後半ムード音楽とともに裸で抱き合う男女のイメージから、妊娠、赤ちゃんの誕生まで進む。誕生場面は妊婦から実際に赤ちゃんが取り出される様子を実際の映像で明らかにする。この映像には迫力があった。
これが中国での青春期教育の生理に関する内容だ。最初にも書いたとおり、性器だけの内容をとりあげて教育しているのではない。心や体、社会の問題を総合的に教育している中の一部であるわけだ。これは過激で行き過ぎた性教育というべきだろうか。
さて、日本で中学・高校で生殖器の説明をする際に、このようなビデオが教材として用いられることはないだろうと思う。教材のイラストがリアルだというだけでも問題視される可能性があるくらい、まして実物を見せるのは、まずいことだという雰囲気が強いのではなかろうか。
性教育の授業で、先生が自分の生殖器を出して見せるなどしたら、変態教師の誹りは免れないだろう。また、実態がわかるからと、生徒の全部もしくは一部に生殖器を出させていろいろな個人差があるなどと説明をしても大変なことになるだろう。生殖器の説明に人形を使う例もあるが、一部では過激と非難を受けるケースもあるらしい。もちろんどの年齢に何をどのような方法で伝えるということは大変難しい問題だし、ある程度のガイドラインも必要だとは思う。生徒の包皮が剥けるかどうかチェックしたり、衛生のため恥垢をこうやって洗えなんて指導をしたら、先生としてはまずいことになるね。そんな身の危険、誰も冒したくないだろう。しかし、それが衛生上、もしくは性教育の観点で必要であるならば、この程度のビデオはあってもいいのかもしれないね。
そのシリーズの中にある生理編のビデオを全体的に見られる動画があったので、紹介しよう。この中の一部は前回の見せる性教育(2)で紹介したものと同じものだ。
http://v.ku6.com/show/-OCAgRqsT6Vo5Ut9.html
この動画には、以下のような内容が含まれている
1.体の変化
2.私たちの生殖器
男子 前回(2)で紹介
女子
3.青春期の衛生・保健
男子 前回(2)で紹介
女子
4.誕生
1.は、年齢とともに男女の体がどのように変化するかの説明する。第二次性徴の説明のあとは、大人の裸体の観察だ。男は立ち姿で、女性は横たわる姿。しかもムードのあるBGMまで入っている。もちろん陰部もストレートに映っている。次は女性の胸の観察。膨らむ前の子供の胸から、たっぷりの膨らんだ大人の女性の胸まで段階を追ってアップの映像が続く。次は女性の陰部の観察。性毛がまったくない子供の陰部から、うっすらと毛が生えた陰部、ここまではくぼみがはっきりと見える。さらに性毛が十分に発達した大人の女性まで、陰部のアップ映像が続く。女性の裸を見てオナニーの衝動を感じる中学生たちがこのビデオを見ていったいどんな反応をするだろうか。おそらく平常心ではいられないだろうし、恥ずかしくて正視できないのではないだろうか。
2.は前回も紹介した内容のとおり、男性生殖器についての説明だ。成人男性の実物の生殖器をアップ映像を使用して説明する。女性の場合も、外性器を特大アップにして見せるような内容だ。
3.は衛生・保健の問題を扱う。こちらも前回紹介したとおりだ。中学生たちがズボンの窓からおちんちんを出している場面も局部アップで見せる。包茎ペニスの実物は包皮を剥こうとしても実際に剥けない場面を実演する。また別の例は包皮を剥いて亀頭を露出したら炎症でただれている映像。睾丸が袋の中になく、ペニスも成長していない男性の生殖器など、生殖器の病気に関する映像が続く。特に指導されているのは、ペニスを洗うこと。シャワーを浴びる少年は、陰部を石鹸で丁寧に洗い、その後包皮を剥いて溝などにたまった恥垢をきれいに洗い流している。これらを実物、実演で指導する。女性の方はというと、生理用品を使う映像などもあり。
4.これは、おそらく生理編の一番最初にあった内容だろう。前半は解説が中心だ。後半ムード音楽とともに裸で抱き合う男女のイメージから、妊娠、赤ちゃんの誕生まで進む。誕生場面は妊婦から実際に赤ちゃんが取り出される様子を実際の映像で明らかにする。この映像には迫力があった。
これが中国での青春期教育の生理に関する内容だ。最初にも書いたとおり、性器だけの内容をとりあげて教育しているのではない。心や体、社会の問題を総合的に教育している中の一部であるわけだ。これは過激で行き過ぎた性教育というべきだろうか。
さて、日本で中学・高校で生殖器の説明をする際に、このようなビデオが教材として用いられることはないだろうと思う。教材のイラストがリアルだというだけでも問題視される可能性があるくらい、まして実物を見せるのは、まずいことだという雰囲気が強いのではなかろうか。
性教育の授業で、先生が自分の生殖器を出して見せるなどしたら、変態教師の誹りは免れないだろう。また、実態がわかるからと、生徒の全部もしくは一部に生殖器を出させていろいろな個人差があるなどと説明をしても大変なことになるだろう。生殖器の説明に人形を使う例もあるが、一部では過激と非難を受けるケースもあるらしい。もちろんどの年齢に何をどのような方法で伝えるということは大変難しい問題だし、ある程度のガイドラインも必要だとは思う。生徒の包皮が剥けるかどうかチェックしたり、衛生のため恥垢をこうやって洗えなんて指導をしたら、先生としてはまずいことになるね。そんな身の危険、誰も冒したくないだろう。しかし、それが衛生上、もしくは性教育の観点で必要であるならば、この程度のビデオはあってもいいのかもしれないね。
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広場の噴水で・・・
ひさしぶりの中国情報・・
内陸部の夏場は、かなり暑いのだろう。子供たちは公園の噴水で水浴びをする。中には素っ裸の子もいるようだ。
http://blog.hsw.cn/131961/viewspace-329138.html
ここは西安市の新城広場の噴水、高層ビルの立ち並ぶ街の中心らしい。川や湖で遊ぶ子供たちの話題は何度かあげてきたけれども、こんな市街地でも裸で平気とは、驚いたね。
http://bbs.cnwest.com/viewthread.php?tid=45176
裸の子供たちの姿を写真に収めようとする観光客も多いようだ。人の集まる場所なのだから、無理もないだろう。このくらいの年齢になって、人の集まる場所で全裸で遊ぶというのは、親のしつけが問題じゃないのか・・みたいなことが書いてあるようだ。基本的には、おおらかにみる土台があるのだろうね。
内陸部の夏場は、かなり暑いのだろう。子供たちは公園の噴水で水浴びをする。中には素っ裸の子もいるようだ。
http://blog.hsw.cn/131961/viewspace-329138.html
ここは西安市の新城広場の噴水、高層ビルの立ち並ぶ街の中心らしい。川や湖で遊ぶ子供たちの話題は何度かあげてきたけれども、こんな市街地でも裸で平気とは、驚いたね。
http://bbs.cnwest.com/viewthread.php?tid=45176
裸の子供たちの姿を写真に収めようとする観光客も多いようだ。人の集まる場所なのだから、無理もないだろう。このくらいの年齢になって、人の集まる場所で全裸で遊ぶというのは、親のしつけが問題じゃないのか・・みたいなことが書いてあるようだ。基本的には、おおらかにみる土台があるのだろうね。
さえない中年男の性と性器 「バトル・イン・ヘブン」
「バトル・イン・ヘブン」(「batalla en el cielo」 2005年・メキシコ映画 )
以前より、「過激な性描写」という点で高い注目を浴びていた映画だが、今年の10月、東京国際映画祭で上映されたのだそうだ。僕は映画祭には行ってないので、その「過激」と言われる描写に対して、どの程度の修正・ぼかしが入っていたのか、確認はしていない。芸術とすれば修正はないというのが前提だろうが、見せ方があまり露骨だと日本ではだめなような気がする。見た人がいたら、教えてほしい。
映画の冒頭は次のような感じだ。めがねをかけた中年男性(主人公マルコス)の疲れた顔がアップになる。カメラがゆっくり下がっていくと、マルコスは裸らしいとわかる。胸や腹まで行くと、中年太りの格好悪いボディがさらされる。へそから下にはロングヘアの女性の頭で隠れている。女性の頭はゆっくり前後に動いている。そこでカメラの高さは固定され、ズームしながら右に移動する。たっぷり生えた性毛がリアルに見えてくる。カメラはさらに横に動き、女性の中指から小指まではマルコスの陰部に触れている。映画の冒頭からここまで1分45秒ほどカメラはゆっくり長回しだ。カットが入り、カメラはマルコスの後ろからお尻を撮影する。今度は左に移動しはじめる。女性の顔が見えるとプラスチックのようなものを口の中に入れているのがわかる。カメラがさらに左に移動すると、先ほどと同じように女性の指がマルコスの陰部に触れている。マルコスの性毛が女性の鼻に触れるくらい顔を近づけている。口に入れている太いものが不自然に見えるのは、どうもコンドームをかぶせているためらしい。それをくわえる女性は泣いている。これはマルコスの空想か夢の場面だろう。
主人公マルコスは15年間大佐の運転手をしていた。冒頭の女性は、実は大佐の娘で娼婦をしている。マルコスとその妻たちは、身代金目的で赤ちゃんを誘拐をしたが、間違って死なせてしまう。罪に苦しむマルコスは、大佐の娘に誘拐した子供が死んでしまったことを告白し、自首を勧められるのだ。最後は大佐の娘まで殺してしまい、教会へ巡礼して祈りをささげる。全体に台詞は少ないが、主人公マルコスの悲痛さや心の葛藤が伝わってくる映画だった。
冒頭のオラルセックス以外にも、セックスの描写は独特で違和感がある。マルコスが娼館に招待される場面がある。大佐の娘は友達の娼婦に落ち込んでいるマルコスの相手をするよう頼んだのだ。その場面があまりに滑稽だ。女性の方は部屋の隅に裸で立ったまま困っている。部屋の反対側の隅にはマルコスがやはり裸で立ったまま固まっている。皮を被ったペニスは縮こまったままで、セックスには使えない。裸の女と男の立ち姿の映像は、まるで人体標本のように静かだ。大佐の娘がマルコスに事情を聞くと、マルコスは誘拐事件のことを告白しはじめる。そして、大佐の娘本人とセックスをしたいとも言い出すのだ。結局セックスは行われない。
映画の中には、対比的な二つのセックスの場面がある。どちらの場面も快楽さがが感じられない異様なものだ。ひとつは主人公マルコスが妻との間で行うセックスだ。象のような巨漢の妻を四つばいにして、マルコスは妻の後ろから汗びっしょりになりながら腰を動かす。巨漢の妻とのセックスはマルコスにとって重労働にしか見えない。セックス中はキリストの聖画が二人を見下ろしており、映画全体に流れる宗教色を浮き立たせる。このセックスの終盤もはカメラは長まわしだ。激しいマルコスの動きがとまると、カメラは汗まみれの二人の局部(妻のお尻とマルコスの陰部が密着している部分)に注視する。二人が分離し、それぞれ動いて、ベットに横たわるまで、約1分15秒の間カットは入らない。夫婦はその後も全裸のまま語りあう。
もうひとつは、娼婦である大佐の娘と行うセックスだ。ベッドの上でマルコスは仰向けで興奮する様子もなくじっとして動かない。小さな大佐の娘がマルコスの腹の上にまたがり、一方的にセックスを進めている。マルコスの空いた手は気まぐれに大佐の娘の胸を揉んでみたりする。ここでもカメラは長回しで、部屋の外をゆっくり一望し、やっとカメラが部屋に戻ってくると疲れたように大佐の娘は静止していた。そしてやはりセックスが終わった後の局部にカメラが注視する。カメラはベッドの上から局部(マルコスの上にいる娘のお尻の部分)をアップにする。娘が腰を持ち上げ、二人がそれぞれ体を分離する瞬間は、マルコスの勃起したペニスがピンと跳ね上がる。二人は仰向けに並び、性器がはっきりと見える。まるで性教育の教材のような見せ方だ。マルコスのペニスは勃起しているが、皮は被ったまま。ペニスは最初90度で立ち上がっていたが、、しだいに硬さがとれてきて、頭が下がっていく様子がリアルだ。血管の盛り上がりやペニスの湾曲の状況まで観察される。大佐の娘のついては、さらに性器をアップにして観察する。これでもまだ終わらない。今度は裸の二人を足の裏側から撮影、カメラが持ち上がってベッドの上から二人を眺め続ける。これも1分以上のカメラ長まわしだ。この頃には、マルコスのペニスは完全に弛緩している。映画としてのストーリーはあるけど、裸の体と性器を見せ方はやけに徹底していると思う。
マルコスの死後、映画の最後には、再びオラルセックスの場面が出てくる。ここではマルコスの目線から見下ろす形になっている。マルコスの腹がでかいので、ペニスの付け根までは見えないが、勃起して突き出したペニスを大佐の娘が口から出し入れしている。
最後の場面は、最初の場面と明らかに異なっている。映画全体が暗く流れていくが、最後はマルコスのうれしそうな笑顔を見ることができる。また冒頭では泣いていた大佐の娘も最後は笑顔で微笑んでいる。マルコスの顔を覆っていたような大きなめがねもなくなって、自分の目で大佐の娘を見ている。
そしてマルコスのペニスも大きな違いがある。冒頭ではコンドームに覆われていて、本物のペニスは見えなかったのに、最後はコンドームのない本物のペニスを見せているのだ。しかもきれいに皮を剥き、ピンク色の亀頭があらわになっている。それまでのセックスの場面では、マルコスは包茎で勃起時でさえ包皮に覆われていた。それが映画の最後になってペニスの皮を剥けたということは、あたかも、マルコスを覆っていた暗雲が晴れ、マルコスが苦しみから解放されたことということに通じるものがある。すなわち主人公マルコスのセックスとペニスのあり方は、マルコス自身の状態を象徴したものだと考えられる。
主人公マルコスを演じた男性は、ポルノ俳優ではないし、プロの俳優でもない。普通に現実の家庭を営む素人さんだ。その男性が、巨漢の女性とからんでみたり、自分の娘ほどの若さの女性の口にペニスを入れてみたり(しかもコンドームなしで)、映画の演出とは言え、考えられない体験だっただろう。また、ここまでリアルに性器を世に見せることも珍しい演出だろう。ペニスが微妙に曲がり少し旋回しているため尿道口が傾いているなど、勃起させて観察しなければわからないペニスのクセまであからさまだ。どこにでもいる普通の中年男のごくありふれたペニスの実体を観察するには、よい材料を与えてくれる映画だと思う。
以前より、「過激な性描写」という点で高い注目を浴びていた映画だが、今年の10月、東京国際映画祭で上映されたのだそうだ。僕は映画祭には行ってないので、その「過激」と言われる描写に対して、どの程度の修正・ぼかしが入っていたのか、確認はしていない。芸術とすれば修正はないというのが前提だろうが、見せ方があまり露骨だと日本ではだめなような気がする。見た人がいたら、教えてほしい。
映画の冒頭は次のような感じだ。めがねをかけた中年男性(主人公マルコス)の疲れた顔がアップになる。カメラがゆっくり下がっていくと、マルコスは裸らしいとわかる。胸や腹まで行くと、中年太りの格好悪いボディがさらされる。へそから下にはロングヘアの女性の頭で隠れている。女性の頭はゆっくり前後に動いている。そこでカメラの高さは固定され、ズームしながら右に移動する。たっぷり生えた性毛がリアルに見えてくる。カメラはさらに横に動き、女性の中指から小指まではマルコスの陰部に触れている。映画の冒頭からここまで1分45秒ほどカメラはゆっくり長回しだ。カットが入り、カメラはマルコスの後ろからお尻を撮影する。今度は左に移動しはじめる。女性の顔が見えるとプラスチックのようなものを口の中に入れているのがわかる。カメラがさらに左に移動すると、先ほどと同じように女性の指がマルコスの陰部に触れている。マルコスの性毛が女性の鼻に触れるくらい顔を近づけている。口に入れている太いものが不自然に見えるのは、どうもコンドームをかぶせているためらしい。それをくわえる女性は泣いている。これはマルコスの空想か夢の場面だろう。
主人公マルコスは15年間大佐の運転手をしていた。冒頭の女性は、実は大佐の娘で娼婦をしている。マルコスとその妻たちは、身代金目的で赤ちゃんを誘拐をしたが、間違って死なせてしまう。罪に苦しむマルコスは、大佐の娘に誘拐した子供が死んでしまったことを告白し、自首を勧められるのだ。最後は大佐の娘まで殺してしまい、教会へ巡礼して祈りをささげる。全体に台詞は少ないが、主人公マルコスの悲痛さや心の葛藤が伝わってくる映画だった。
冒頭のオラルセックス以外にも、セックスの描写は独特で違和感がある。マルコスが娼館に招待される場面がある。大佐の娘は友達の娼婦に落ち込んでいるマルコスの相手をするよう頼んだのだ。その場面があまりに滑稽だ。女性の方は部屋の隅に裸で立ったまま困っている。部屋の反対側の隅にはマルコスがやはり裸で立ったまま固まっている。皮を被ったペニスは縮こまったままで、セックスには使えない。裸の女と男の立ち姿の映像は、まるで人体標本のように静かだ。大佐の娘がマルコスに事情を聞くと、マルコスは誘拐事件のことを告白しはじめる。そして、大佐の娘本人とセックスをしたいとも言い出すのだ。結局セックスは行われない。
映画の中には、対比的な二つのセックスの場面がある。どちらの場面も快楽さがが感じられない異様なものだ。ひとつは主人公マルコスが妻との間で行うセックスだ。象のような巨漢の妻を四つばいにして、マルコスは妻の後ろから汗びっしょりになりながら腰を動かす。巨漢の妻とのセックスはマルコスにとって重労働にしか見えない。セックス中はキリストの聖画が二人を見下ろしており、映画全体に流れる宗教色を浮き立たせる。このセックスの終盤もはカメラは長まわしだ。激しいマルコスの動きがとまると、カメラは汗まみれの二人の局部(妻のお尻とマルコスの陰部が密着している部分)に注視する。二人が分離し、それぞれ動いて、ベットに横たわるまで、約1分15秒の間カットは入らない。夫婦はその後も全裸のまま語りあう。
もうひとつは、娼婦である大佐の娘と行うセックスだ。ベッドの上でマルコスは仰向けで興奮する様子もなくじっとして動かない。小さな大佐の娘がマルコスの腹の上にまたがり、一方的にセックスを進めている。マルコスの空いた手は気まぐれに大佐の娘の胸を揉んでみたりする。ここでもカメラは長回しで、部屋の外をゆっくり一望し、やっとカメラが部屋に戻ってくると疲れたように大佐の娘は静止していた。そしてやはりセックスが終わった後の局部にカメラが注視する。カメラはベッドの上から局部(マルコスの上にいる娘のお尻の部分)をアップにする。娘が腰を持ち上げ、二人がそれぞれ体を分離する瞬間は、マルコスの勃起したペニスがピンと跳ね上がる。二人は仰向けに並び、性器がはっきりと見える。まるで性教育の教材のような見せ方だ。マルコスのペニスは勃起しているが、皮は被ったまま。ペニスは最初90度で立ち上がっていたが、、しだいに硬さがとれてきて、頭が下がっていく様子がリアルだ。血管の盛り上がりやペニスの湾曲の状況まで観察される。大佐の娘のついては、さらに性器をアップにして観察する。これでもまだ終わらない。今度は裸の二人を足の裏側から撮影、カメラが持ち上がってベッドの上から二人を眺め続ける。これも1分以上のカメラ長まわしだ。この頃には、マルコスのペニスは完全に弛緩している。映画としてのストーリーはあるけど、裸の体と性器を見せ方はやけに徹底していると思う。
マルコスの死後、映画の最後には、再びオラルセックスの場面が出てくる。ここではマルコスの目線から見下ろす形になっている。マルコスの腹がでかいので、ペニスの付け根までは見えないが、勃起して突き出したペニスを大佐の娘が口から出し入れしている。
最後の場面は、最初の場面と明らかに異なっている。映画全体が暗く流れていくが、最後はマルコスのうれしそうな笑顔を見ることができる。また冒頭では泣いていた大佐の娘も最後は笑顔で微笑んでいる。マルコスの顔を覆っていたような大きなめがねもなくなって、自分の目で大佐の娘を見ている。
そしてマルコスのペニスも大きな違いがある。冒頭ではコンドームに覆われていて、本物のペニスは見えなかったのに、最後はコンドームのない本物のペニスを見せているのだ。しかもきれいに皮を剥き、ピンク色の亀頭があらわになっている。それまでのセックスの場面では、マルコスは包茎で勃起時でさえ包皮に覆われていた。それが映画の最後になってペニスの皮を剥けたということは、あたかも、マルコスを覆っていた暗雲が晴れ、マルコスが苦しみから解放されたことということに通じるものがある。すなわち主人公マルコスのセックスとペニスのあり方は、マルコス自身の状態を象徴したものだと考えられる。
主人公マルコスを演じた男性は、ポルノ俳優ではないし、プロの俳優でもない。普通に現実の家庭を営む素人さんだ。その男性が、巨漢の女性とからんでみたり、自分の娘ほどの若さの女性の口にペニスを入れてみたり(しかもコンドームなしで)、映画の演出とは言え、考えられない体験だっただろう。また、ここまでリアルに性器を世に見せることも珍しい演出だろう。ペニスが微妙に曲がり少し旋回しているため尿道口が傾いているなど、勃起させて観察しなければわからないペニスのクセまであからさまだ。どこにでもいる普通の中年男のごくありふれたペニスの実体を観察するには、よい材料を与えてくれる映画だと思う。
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