珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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マワシが落ちた そのあと・・・
旅の恥は掻き捨てなんてことわざもあるけど、この事件はそういうわけいはいかないだろう。相撲大会後のマスコミの報道を確認してみた。
まず大新聞では、ほとんど事件をとりあげていない。アマチュア相撲なので大会の結果すら記載してない新聞もあるくらいだ。とりあげられた記事についても、見ているとちょっと事実と違う感じがするものもある。いくつか紹介しよう。
○北海道新聞 「まわしの後ろの部分が切れ、まわしがペロンと垂れるハプニングがあった」と報じられた。まわしが切れることはありえないし、事実確認されずに記事を書かれた可能性が高い。
○スポーツニッポン 「あっ、まわしが取れた」「危機一髪 大事なところは審判が手で覆い隠したが尻が丸見え、悲鳴と大爆笑の館内・・」と書かれている。見えたのはお尻だけとの説明だ。
○東京スポーツ 「土俵上であわやフリチン」「とんだ珍場面」「マンガのようなシーンを現実のものとして大爆笑された」「大事なところは審判が手をかざしてさらされることがなかったのは不幸中の幸い?」「ダチョウ倶楽部の上島竜平なみのフリチンギャグは大うけ」などと書かれている。
○サンケイスポーツ 「あわやチン出しの大ピンチ」「起き上がったときにまわしがハラリ、審判があわてて前の部分を隠したものの、大きなお尻は丸出し」など。投げを受けたときにまわしが外れたことは確認されていない。おそらく画像から想像して記事を書いたのだろうね。
○日刊スポーツ 「土俵上でまわしが解けてモロ出しの珍事が起こった」「下手投げで転がった瞬間に縦みつが外れ、男性のシンボルがポロリ」などと正確な情報を提供している。その場を見て記事を書いたのは、日刊スポーツだけのような気がする。
このように新聞での扱いは、スポーツ紙が多少記事にしたくらいだ。
問題はテレビの方なのだ。これらの新聞報道は想像で面白く書かれる面もあるのだろうけど、テレビの映像が出れば、事実が明らかになる。
相撲の撮影は、基本的に正面、東、西などにカメラが設置されている。大相撲朝ノ霧事件では、どちらかというとカメラに背中が向いていて、チンチンは映らなかったらしい。もし朝ノ霧の体が正面を向いていたら、まずかったはずだ。ところが、この相撲大会の事件では、転がりながらマワシが外れたので、いろんな方向から見えてしまっている。あえていえば、この日撮影したほぼ全てのテレビカメラにチンチンは収録されたと考えられるのだ。
日本では翌週に中継放送(中継録画)が組まれている。これが下位取組なら放送しなかっただろうが、準決勝で投げ技により勝負が決まる瞬間となれば、この映像を使わないわけにはいかない。チンチン飛び出しの瞬間は、繰り返し2度放送された。通常は取組全体を正面の映像で見せた後、勝負がつく瞬間を別アングルで振り返っている。しかしこの勝負がつく瞬間は、2回とも西側カメラからの映像で見せた。そのまま正面のカメラからだと、リアルに見えたのだろう。1回目(正面)の映像は、マワシが外れたところで、西の映像にあとから差し替えられたのではないだろうか。モザイクをかけない代わりに見えにくい西の映像で放送したものと考えられる。
不運はさらに続く。これが日本国内の問題で終わらないのである。世界大会であるため、外国のテレビカメラも複数設置されていた。アメリカは自国の選手の恥を曝すような放送はしないだろうが、それ以外の国からすれば所詮は他人事に過ぎない。大会直後に関係者の間で話題になったのは、デンマークで30秒の珍事件のクリップを流されたことだ。笑い声もはいっていたということだった。日本で中継放送がされる前の話だ。これ以外にも、放送日は不明だが、ドイツの衛星チャンネルは、大股開きの状態を正面に近いアングルから見せたらしい。珍事件を知らせるという意図はわかるが、正面から丸見えの映像はちょっと露骨すぎる感じだった。珍事件の放送については、ある人はテレビではモザイクがひどかったというし、ある人はモザイクはなかったというし、結局、放送された内容は国によってまちまちだったらしい。
日本では、その後も他局でバラエティ番組でとりあげたが基本はモザイク入り放送とされている。さらに、大会全体を振り返った番組が2ヶ月後に「リングの魂」の特集として放送されている。ゲストは北尾と関根勉で、「モロ出し」場面はやはりモザイクを入れて放送された。
さて、以下のYoutubeの映像はデンマークの人からの投稿らしい。これはひょっとしたら大会の直後にデンマークで流された放送かもしれない。放送は英語で行われているので確証はないが、日本のテレビカメラで撮影された映像とは異なることはわかっている。
まず大新聞では、ほとんど事件をとりあげていない。アマチュア相撲なので大会の結果すら記載してない新聞もあるくらいだ。とりあげられた記事についても、見ているとちょっと事実と違う感じがするものもある。いくつか紹介しよう。
○北海道新聞 「まわしの後ろの部分が切れ、まわしがペロンと垂れるハプニングがあった」と報じられた。まわしが切れることはありえないし、事実確認されずに記事を書かれた可能性が高い。
○スポーツニッポン 「あっ、まわしが取れた」「危機一髪 大事なところは審判が手で覆い隠したが尻が丸見え、悲鳴と大爆笑の館内・・」と書かれている。見えたのはお尻だけとの説明だ。
○東京スポーツ 「土俵上であわやフリチン」「とんだ珍場面」「マンガのようなシーンを現実のものとして大爆笑された」「大事なところは審判が手をかざしてさらされることがなかったのは不幸中の幸い?」「ダチョウ倶楽部の上島竜平なみのフリチンギャグは大うけ」などと書かれている。
○サンケイスポーツ 「あわやチン出しの大ピンチ」「起き上がったときにまわしがハラリ、審判があわてて前の部分を隠したものの、大きなお尻は丸出し」など。投げを受けたときにまわしが外れたことは確認されていない。おそらく画像から想像して記事を書いたのだろうね。
○日刊スポーツ 「土俵上でまわしが解けてモロ出しの珍事が起こった」「下手投げで転がった瞬間に縦みつが外れ、男性のシンボルがポロリ」などと正確な情報を提供している。その場を見て記事を書いたのは、日刊スポーツだけのような気がする。
このように新聞での扱いは、スポーツ紙が多少記事にしたくらいだ。
問題はテレビの方なのだ。これらの新聞報道は想像で面白く書かれる面もあるのだろうけど、テレビの映像が出れば、事実が明らかになる。
相撲の撮影は、基本的に正面、東、西などにカメラが設置されている。大相撲朝ノ霧事件では、どちらかというとカメラに背中が向いていて、チンチンは映らなかったらしい。もし朝ノ霧の体が正面を向いていたら、まずかったはずだ。ところが、この相撲大会の事件では、転がりながらマワシが外れたので、いろんな方向から見えてしまっている。あえていえば、この日撮影したほぼ全てのテレビカメラにチンチンは収録されたと考えられるのだ。
日本では翌週に中継放送(中継録画)が組まれている。これが下位取組なら放送しなかっただろうが、準決勝で投げ技により勝負が決まる瞬間となれば、この映像を使わないわけにはいかない。チンチン飛び出しの瞬間は、繰り返し2度放送された。通常は取組全体を正面の映像で見せた後、勝負がつく瞬間を別アングルで振り返っている。しかしこの勝負がつく瞬間は、2回とも西側カメラからの映像で見せた。そのまま正面のカメラからだと、リアルに見えたのだろう。1回目(正面)の映像は、マワシが外れたところで、西の映像にあとから差し替えられたのではないだろうか。モザイクをかけない代わりに見えにくい西の映像で放送したものと考えられる。
不運はさらに続く。これが日本国内の問題で終わらないのである。世界大会であるため、外国のテレビカメラも複数設置されていた。アメリカは自国の選手の恥を曝すような放送はしないだろうが、それ以外の国からすれば所詮は他人事に過ぎない。大会直後に関係者の間で話題になったのは、デンマークで30秒の珍事件のクリップを流されたことだ。笑い声もはいっていたということだった。日本で中継放送がされる前の話だ。これ以外にも、放送日は不明だが、ドイツの衛星チャンネルは、大股開きの状態を正面に近いアングルから見せたらしい。珍事件を知らせるという意図はわかるが、正面から丸見えの映像はちょっと露骨すぎる感じだった。珍事件の放送については、ある人はテレビではモザイクがひどかったというし、ある人はモザイクはなかったというし、結局、放送された内容は国によってまちまちだったらしい。
日本では、その後も他局でバラエティ番組でとりあげたが基本はモザイク入り放送とされている。さらに、大会全体を振り返った番組が2ヶ月後に「リングの魂」の特集として放送されている。ゲストは北尾と関根勉で、「モロ出し」場面はやはりモザイクを入れて放送された。
さて、以下のYoutubeの映像はデンマークの人からの投稿らしい。これはひょっとしたら大会の直後にデンマークで流された放送かもしれない。放送は英語で行われているので確証はないが、日本のテレビカメラで撮影された映像とは異なることはわかっている。
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マワシが落ちた そのとき・・・
相撲でまわしが外れた事件に結構反響もあったので、もう少し詳しくレポートしよう。当事者の個人名などは調べれば簡単にわかることだが、あえてここでは伏せておく。
相撲は世界大会が行われている。はじまったのは1992年。日本の代表選手の多くはわんぱく相撲や学生相撲の出身者で相撲のキャリアがある。しかし外国人選手となると、日頃は相撲とは縁のない生活をしているにわか力士が多い。素っ裸になってマワシを締めることに抵抗もあるだろうし、そういう人はまわしの下にサポーターパンツをはくことが許されている。中には勇気をもって素肌にまわしを締めて参加した外国人力士がいたのだが、それが裏目に出て土俵で大事なモノを曝すという大恥をかく事件が起きたのだ。こういうことだけじゃないけど、初期の頃の世界大会を見た人は、これは相撲なんかじゃない、ジョークだと表現していた。
さて、事件は第3回大会の団体準決勝で発生した。ハワイの巨漢力士(パン屋)とモンゴルのチャンピオンとの戦いだ。チャンピオンは立会い後すばやくパン屋の前まわしをつかみ、ぐいっと引き付けた。強烈な引きにあってパン屋の前まわしは胸のあたりまで伸びあがってしまった。チャンピオンは攻撃を休まず、左手を深く刺して下手投げをうっている。すでにパン屋のまわしはユルユル、まわしと腹の間の隙間から向こう側が見えるほどになっている。最後の下手投げの瞬間に、パン屋のたてみつがするりと落ちた。このときすでにパン屋の体制は完全に崩れており、お互いにまわしを引き合ったまま回転をはじめた。パン屋の体は土俵の外に向かって開いた。たてみつは遠心力で尻尾のように長く伸びている、下半身を隠すものは何もない状態で、いろんな方向のお客さんにチンチンを公開する結果となってしまったのだ。緩んだときに、審判が待ったをかければよかったとも思うが、勝負はあっという間についてしまい、まわしを整える余裕などなかったようだ。時すでに遅し。
自分のまわしがどこかに行ってしまったパン屋は顔を真っ赤にして焦りまくり。おたおたしながら、まわしを整えようとする。チンチンを隠す部分(たてみつ)が尻尾のように右の方に伸びていたので、それを右手でたぐりよせて立ち上がった。本来、たてみつはお尻から股をくぐらせて前に通し、前まわしに挟めば元の状態にできる。こうして礼をすれば試合は終了するはずだった。しかしパン屋はあわてて右横からそのまま前に持ってきたので、たてみつでチンチンを隠せる状態にできない。審判が気の毒に思い、パン屋の股間を手で隠してくれた。その間に、パン屋はたてみつを前からお尻の方に反対向きにくぐらせようとする。これではたてみつの長さが足りないので無理があるし、大きなお腹がじゃまをして自分でたてみつを後ろに持ち上げることができないでいた。最後は同じチームの選手に手伝ってもらい、左手で後ろ、右手で前を持ち、たてみつ位置を調整した。それでも結局のところ股間の右半分しか隠せなかった。こんなもたついた光景を見ていた観客も、さすがに笑いをこらえることができず、国技館が大爆笑になった。まわしが整わなければ、終わりの礼もできないわけだし、いつまでも土俵から降りることもゆるされない。ちょっとかわいそうな話だ。一方で、あわてているパン屋に向かっては、情け容赦なくフラッシュが光り続けている。チンチン丸出しの力士の撮影なんて、支度部屋じゃゆるされないだろうからね、撮影する方も必死だ。
このアメリカチームは巨漢ぞろい、腹の大きさも半端じゃない。よほどきつくまわしを緩めないと、まわしが絞られて伸びたり、ずれたりすることは避けられないだろう。日頃まわしに慣れてないために、試合中にまわしが外れるという悲劇を生み出し、さらに外れたまわしを自分で整えることができないまま、フリチン姿で撮影会という悲惨な場面を作ってしまったのだ。
不運といえば、転がる最中にまわしが外れたことだろう。もし、取り組み中にまわしが落ちただけなら、脂肪腹と太い足、相手の選手が影になって、チンチンはほとんど見られることはなかったであろう。それが、転がってしまったために、観客にもテレビカメラにもチンチンを見せてしまったのだ。もっともひどいのは、仰向け大股開き状態だった。赤ちゃんがおむつを替えるようなスタイルで、大事な部分は明るく照らし出されてしまうことになる。本当に最悪だった。
両国国技館で、チンチンをテレビで公開するという前代未聞の事件を起こしたのは、日本人ではなくなんとアメリカ人というところが、不思議な感じがするよね。アメリカの代表選手として国家の威信をかけて送り込まれた屈強の力士だったのに、負けた瞬間フリチンパフォーマンスで会場を大爆笑させ、最後は星条旗のバスタオルでチンチンを隠しながら退散した。頭上に高く掲げられるはずのアメリカのシンボルが、力士のシンボルを隠す腰布にされるとは、誰も想像しなかったであろう。
本人のインタビューにもあるけれど、人生の中でもっとも恥ずかしかった体験だろうね!
相撲は世界大会が行われている。はじまったのは1992年。日本の代表選手の多くはわんぱく相撲や学生相撲の出身者で相撲のキャリアがある。しかし外国人選手となると、日頃は相撲とは縁のない生活をしているにわか力士が多い。素っ裸になってマワシを締めることに抵抗もあるだろうし、そういう人はまわしの下にサポーターパンツをはくことが許されている。中には勇気をもって素肌にまわしを締めて参加した外国人力士がいたのだが、それが裏目に出て土俵で大事なモノを曝すという大恥をかく事件が起きたのだ。こういうことだけじゃないけど、初期の頃の世界大会を見た人は、これは相撲なんかじゃない、ジョークだと表現していた。
さて、事件は第3回大会の団体準決勝で発生した。ハワイの巨漢力士(パン屋)とモンゴルのチャンピオンとの戦いだ。チャンピオンは立会い後すばやくパン屋の前まわしをつかみ、ぐいっと引き付けた。強烈な引きにあってパン屋の前まわしは胸のあたりまで伸びあがってしまった。チャンピオンは攻撃を休まず、左手を深く刺して下手投げをうっている。すでにパン屋のまわしはユルユル、まわしと腹の間の隙間から向こう側が見えるほどになっている。最後の下手投げの瞬間に、パン屋のたてみつがするりと落ちた。このときすでにパン屋の体制は完全に崩れており、お互いにまわしを引き合ったまま回転をはじめた。パン屋の体は土俵の外に向かって開いた。たてみつは遠心力で尻尾のように長く伸びている、下半身を隠すものは何もない状態で、いろんな方向のお客さんにチンチンを公開する結果となってしまったのだ。緩んだときに、審判が待ったをかければよかったとも思うが、勝負はあっという間についてしまい、まわしを整える余裕などなかったようだ。時すでに遅し。
自分のまわしがどこかに行ってしまったパン屋は顔を真っ赤にして焦りまくり。おたおたしながら、まわしを整えようとする。チンチンを隠す部分(たてみつ)が尻尾のように右の方に伸びていたので、それを右手でたぐりよせて立ち上がった。本来、たてみつはお尻から股をくぐらせて前に通し、前まわしに挟めば元の状態にできる。こうして礼をすれば試合は終了するはずだった。しかしパン屋はあわてて右横からそのまま前に持ってきたので、たてみつでチンチンを隠せる状態にできない。審判が気の毒に思い、パン屋の股間を手で隠してくれた。その間に、パン屋はたてみつを前からお尻の方に反対向きにくぐらせようとする。これではたてみつの長さが足りないので無理があるし、大きなお腹がじゃまをして自分でたてみつを後ろに持ち上げることができないでいた。最後は同じチームの選手に手伝ってもらい、左手で後ろ、右手で前を持ち、たてみつ位置を調整した。それでも結局のところ股間の右半分しか隠せなかった。こんなもたついた光景を見ていた観客も、さすがに笑いをこらえることができず、国技館が大爆笑になった。まわしが整わなければ、終わりの礼もできないわけだし、いつまでも土俵から降りることもゆるされない。ちょっとかわいそうな話だ。一方で、あわてているパン屋に向かっては、情け容赦なくフラッシュが光り続けている。チンチン丸出しの力士の撮影なんて、支度部屋じゃゆるされないだろうからね、撮影する方も必死だ。
このアメリカチームは巨漢ぞろい、腹の大きさも半端じゃない。よほどきつくまわしを緩めないと、まわしが絞られて伸びたり、ずれたりすることは避けられないだろう。日頃まわしに慣れてないために、試合中にまわしが外れるという悲劇を生み出し、さらに外れたまわしを自分で整えることができないまま、フリチン姿で撮影会という悲惨な場面を作ってしまったのだ。
不運といえば、転がる最中にまわしが外れたことだろう。もし、取り組み中にまわしが落ちただけなら、脂肪腹と太い足、相手の選手が影になって、チンチンはほとんど見られることはなかったであろう。それが、転がってしまったために、観客にもテレビカメラにもチンチンを見せてしまったのだ。もっともひどいのは、仰向け大股開き状態だった。赤ちゃんがおむつを替えるようなスタイルで、大事な部分は明るく照らし出されてしまうことになる。本当に最悪だった。
両国国技館で、チンチンをテレビで公開するという前代未聞の事件を起こしたのは、日本人ではなくなんとアメリカ人というところが、不思議な感じがするよね。アメリカの代表選手として国家の威信をかけて送り込まれた屈強の力士だったのに、負けた瞬間フリチンパフォーマンスで会場を大爆笑させ、最後は星条旗のバスタオルでチンチンを隠しながら退散した。頭上に高く掲げられるはずのアメリカのシンボルが、力士のシンボルを隠す腰布にされるとは、誰も想像しなかったであろう。
本人のインタビューにもあるけれど、人生の中でもっとも恥ずかしかった体験だろうね!
南の島でパンツ脱がし
パンツ脱がしは、以前陰湿なドラマの話などでとりあげてきたが、アニメになるともう少し楽しいものとして表現されることがある。ドラえもんは、男の子が裸になったり、裸にされたりという描写がよく見られるが、その中でいたずらでパンツを脱がされる場面をとりあげてみた。もちろん、静香ちゃんが見て恥ずかしがるというのはお約束通りだ。
映画「ドラえもん・のび太の南海大冒険(1998)」に、このパンツ脱がしという場面があった。「変身リングとカード」を使って、のび太が下半身魚(人魚)に変身したあとのことだ。水の中を泳いでいたのび太は、海水浴を楽しむ3人を見つける。いたずらしてやろうと、のび太が水中から3人に近づいていく。まずのび太がスネ夫のパンツを奪い取ると、スネ夫が水の上に高く飛び上がり、おちんちんが丸見え、さらにスネ夫は大また開きでサービスカット。何かいるぞと警戒していると、今度はジャイアンがパンツを奪い取られる。ジャイアンも水の上に飛び上がり、こちらもおちんちんが丸見え。静香はというと、そういう光景をしっかり見たあとで、恥ずかしそうに顔を赤らめるという内容だった。このあと、のび太は変身の効力がきれておぼれてしまう。人間にもどったのび太は、フリチン姿のままだった。
この「変身リングとカード」は、カードを道具に挿入して輪をくぐると、カードに書かれた動物に変身ができるという道具だ。ただし変身できるのは15分間のみ、時間がすぎると人間に戻ってしまう。テレビアニメで、この「変身リングとカード」が作られたのは、1995年頃だと思う。南の島に出かけて、先の映画の原型となるような話があった。海水浴の場面では、のび太はやはり下半身が魚になり、みんなをからかっている。海の中ではパンツではなく、足を引っ張るだけ。そのうち効果が切れてのび太は人間に戻りおぼれてしまう。みんなから助けられたときは、真っ裸だった。そのあと、のび太のいたずらはエスカレートして、島にあがった彼らを脅かすことにした。のび太はまずライオンに変身して、スネ夫のパンツを奪いとると、スネ夫は全裸で走って逃げていく。次にのび太は大蛇に変身して、ジャイアンのパンツを奪い取ると、同じようにジャイアンも全裸で走って逃げてしまう。逃げる二人はストリーキング状態。二人が静香ちゃんのところに集まってくるので、静香ちゃんは赤面してしまう。その後、のび太はかなりの間全裸で島の中を走り回っている。このアニメは、おちんちん出しではダントツというくらい、表現されていたようだね。
パンツ脱がしはいたずらとして行われるものだけど、南の無人島なら誰が見るわけでもないから、いいということにしておこうか。
映画「ドラえもん・のび太の南海大冒険(1998)」に、このパンツ脱がしという場面があった。「変身リングとカード」を使って、のび太が下半身魚(人魚)に変身したあとのことだ。水の中を泳いでいたのび太は、海水浴を楽しむ3人を見つける。いたずらしてやろうと、のび太が水中から3人に近づいていく。まずのび太がスネ夫のパンツを奪い取ると、スネ夫が水の上に高く飛び上がり、おちんちんが丸見え、さらにスネ夫は大また開きでサービスカット。何かいるぞと警戒していると、今度はジャイアンがパンツを奪い取られる。ジャイアンも水の上に飛び上がり、こちらもおちんちんが丸見え。静香はというと、そういう光景をしっかり見たあとで、恥ずかしそうに顔を赤らめるという内容だった。このあと、のび太は変身の効力がきれておぼれてしまう。人間にもどったのび太は、フリチン姿のままだった。
この「変身リングとカード」は、カードを道具に挿入して輪をくぐると、カードに書かれた動物に変身ができるという道具だ。ただし変身できるのは15分間のみ、時間がすぎると人間に戻ってしまう。テレビアニメで、この「変身リングとカード」が作られたのは、1995年頃だと思う。南の島に出かけて、先の映画の原型となるような話があった。海水浴の場面では、のび太はやはり下半身が魚になり、みんなをからかっている。海の中ではパンツではなく、足を引っ張るだけ。そのうち効果が切れてのび太は人間に戻りおぼれてしまう。みんなから助けられたときは、真っ裸だった。そのあと、のび太のいたずらはエスカレートして、島にあがった彼らを脅かすことにした。のび太はまずライオンに変身して、スネ夫のパンツを奪いとると、スネ夫は全裸で走って逃げていく。次にのび太は大蛇に変身して、ジャイアンのパンツを奪い取ると、同じようにジャイアンも全裸で走って逃げてしまう。逃げる二人はストリーキング状態。二人が静香ちゃんのところに集まってくるので、静香ちゃんは赤面してしまう。その後、のび太はかなりの間全裸で島の中を走り回っている。このアニメは、おちんちん出しではダントツというくらい、表現されていたようだね。
パンツ脱がしはいたずらとして行われるものだけど、南の無人島なら誰が見るわけでもないから、いいということにしておこうか。
見せる性教育
人の体のことを説明する場合には、成長や生殖というテーマを避けて通ることはできない。性器は誰もが持っているものなのに、目や鼻の話をするときと、性器を話をするときとでは、扱いが同じではない。性器の場合は、男女の違いという面や、文化、宗教、制度などによって説明の仕方が異なり、大変デリケートな問題なのだと思う。
第二次性徴があらわれる頃には性器についての理解も必要となる。そのときに、愛情や価値観、考え方から説明する立場と、性器の形や機能という物の側面から説明する立場に分かれるのだろう。機能が備わってもすぐに使っていいわけではないし、自分で処理をしたり避妊する方法を知らせることに重点を置く教育の仕方もあるようだ。
さて、イギリスのBBCが制作した「The Human Body」という番組は、科学・教育番組として大変な手間をかけたすばらしい作品だ。体の形や機能を説明するために使われている映像はどれもすばらしく、驚くばかりだ。体の各部分を鮮明に見せる顕微鏡レベルの映像や、CGなども駆使されている。まさに目で見る人体百科事典だ。
番組は人のライフサイクルに従って、チャプターが構成されている。「RAGING TEENS」の回では、思春期の体の変化を説明している。思春期の男の子たちにインタビューをする場面もあるし、映像での表現もある。少年の性器を正面と斜めから特大で映しているし、それに対比して成熟後の男性器も同じサイズでアップにしている。それも複数の男性器を映像にしてあった。またサーモグラフを使って、平常時と勃起時の温度差がわかるような映像もあった。番組全体がインパクトの強い映像で構成されているが、事実を隠すことなく見せる姿勢に感心させられた。
この番組では、文字通り「人の体」を見せる演出もある。第1話のエンディングで、全裸の人々が森の中に並んでいる場面がある。カメラは乳児から年齢を順番にのぼり老人に至るまでの男女を年の順に映し出していく。これはあらゆる年齢の体を一度に見せたものであるし、あたかも人の一生を1分半で表現したようでもある。まさにありのままの体を徹底して見せる演出だった。
性教育の映像で、もっとも驚いたものは、オランダの教材だった。こちらはもっとあからさまだ。これは、赤ちゃんから成人まで出演者が性器の実物を見せ、実演をしている。主人公は思春期の兄妹。兄は立ち姿のまま、妹は座って股を開いた姿で、性器を見せながら名称などの説明が行われている。兄の場合は、包皮をむいて亀頭の表側裏側まですべて見せている。しかしこれだけではなく、比較して見せる配慮もなされていた。別の少年は皮を引っ張っても先が全く開かない状態だし、逆に割礼により常時亀頭が見えている少年などもいる。また男性器を勃起させて見せる場面もあり。主人公は勃起時に亀頭が露出しているが、ミニサイズの真性包茎の少年や割礼を受けた少年とも、同じように勃起状態の映像を見せている。包皮が剥けたり剥けなかったり、短小だったりするかもしれないが、それは異常ではないということを男性器の説明の最後に付け加えていた。
思春期の少年には、夢精やマスターベーションの説明も行われている。目が覚めたらパジャマが濡れていたり、自分で実際にコスってみる様子、性的夢のイメージも含め性器の実写を通して説明をしているようだ。思春期に本人が悩むであろう問題について、中途半端な説明をしてあとは想像に任せるというやり方はしていない。まさに「百聞は一見に如かず」、具体的な映像を示して、はっきりと事実を知らせているのだ。賛否は分かれるかもしれないが、やはり映像の力は大きいと思う。
第二次性徴があらわれる頃には性器についての理解も必要となる。そのときに、愛情や価値観、考え方から説明する立場と、性器の形や機能という物の側面から説明する立場に分かれるのだろう。機能が備わってもすぐに使っていいわけではないし、自分で処理をしたり避妊する方法を知らせることに重点を置く教育の仕方もあるようだ。
さて、イギリスのBBCが制作した「The Human Body」という番組は、科学・教育番組として大変な手間をかけたすばらしい作品だ。体の形や機能を説明するために使われている映像はどれもすばらしく、驚くばかりだ。体の各部分を鮮明に見せる顕微鏡レベルの映像や、CGなども駆使されている。まさに目で見る人体百科事典だ。
番組は人のライフサイクルに従って、チャプターが構成されている。「RAGING TEENS」の回では、思春期の体の変化を説明している。思春期の男の子たちにインタビューをする場面もあるし、映像での表現もある。少年の性器を正面と斜めから特大で映しているし、それに対比して成熟後の男性器も同じサイズでアップにしている。それも複数の男性器を映像にしてあった。またサーモグラフを使って、平常時と勃起時の温度差がわかるような映像もあった。番組全体がインパクトの強い映像で構成されているが、事実を隠すことなく見せる姿勢に感心させられた。
この番組では、文字通り「人の体」を見せる演出もある。第1話のエンディングで、全裸の人々が森の中に並んでいる場面がある。カメラは乳児から年齢を順番にのぼり老人に至るまでの男女を年の順に映し出していく。これはあらゆる年齢の体を一度に見せたものであるし、あたかも人の一生を1分半で表現したようでもある。まさにありのままの体を徹底して見せる演出だった。
性教育の映像で、もっとも驚いたものは、オランダの教材だった。こちらはもっとあからさまだ。これは、赤ちゃんから成人まで出演者が性器の実物を見せ、実演をしている。主人公は思春期の兄妹。兄は立ち姿のまま、妹は座って股を開いた姿で、性器を見せながら名称などの説明が行われている。兄の場合は、包皮をむいて亀頭の表側裏側まですべて見せている。しかしこれだけではなく、比較して見せる配慮もなされていた。別の少年は皮を引っ張っても先が全く開かない状態だし、逆に割礼により常時亀頭が見えている少年などもいる。また男性器を勃起させて見せる場面もあり。主人公は勃起時に亀頭が露出しているが、ミニサイズの真性包茎の少年や割礼を受けた少年とも、同じように勃起状態の映像を見せている。包皮が剥けたり剥けなかったり、短小だったりするかもしれないが、それは異常ではないということを男性器の説明の最後に付け加えていた。
思春期の少年には、夢精やマスターベーションの説明も行われている。目が覚めたらパジャマが濡れていたり、自分で実際にコスってみる様子、性的夢のイメージも含め性器の実写を通して説明をしているようだ。思春期に本人が悩むであろう問題について、中途半端な説明をしてあとは想像に任せるというやり方はしていない。まさに「百聞は一見に如かず」、具体的な映像を示して、はっきりと事実を知らせているのだ。賛否は分かれるかもしれないが、やはり映像の力は大きいと思う。
映画でのボッキ表現について
勃起は、男性であれば必ず一日に何度かは起こることだし、ご飯を食べるのと同じくらいありふれた日常の一部だと思う。しかしそれを映像で表現するとなると、どうしても性的行為につながるし、ポルノという世界になってしまう。普段人に見せることも少ないわけだし、表現しにくい分野なのだろうね。実際に映画ではどの程度表現できるものだろうか。
フランソワ・オゾン監督の「ぼくを葬る」では、男同士が激しく愛し合う場面で、いきり立ったモノが暗いながらも映っている。これは修正の対象にはならなかったようだ。勃起表現は性行為につながるため、日本では厳しく修正がかかるものだと思っていただけに、これにはちょっと驚いた。
今の日本では、こういうことが珍しくもない時代になってきたのだろう。パールフィ・ジョルジ監督の「タクシデルミア」は、人間の肉的側面をかなり気持ち悪く表現した映画だ。この映画の中では、性欲が行き過ぎてマスターベーション中に火を噴くというコミカルな演出があり、勃起したペニスの映像は無修正だ。
もちろん、過去マスターベーションなどの場面は、基本は修正がかかるものだった。珍しい例は大木裕之監督の「ターチトリップ」。畳の部屋で仰向けになって、必死にしごいている男の姿が表現されていた。ビデオ版が出たときに無修正で勃起状態のペニスを見ることができてびっくりしたことがある。しかし当時としては、まだこのような表現は時期尚早と判断したのだろうか、その後に出たDVDでは勃起場面は修正されてしまった。
勃起場面はペニス表現の一部として必要だとされたのは、ギャスパー・ノエ監督の作品。「カノン」のときは老人の萎えたペニスがアップで映っていたが、「アレックス」になるとその表現もかなり多様化される。夫婦で抱き合う場面のペニスはまあ普通、女装した男が自分の性別を証明するために陰部を大写しにして見せたり。ゲイクラブでは激しく動く映像の中にそれらしいものがちらほら。中ほどのレイプ場面のペニスは作り物らしい。レイプをしたあと使い終わった男性器が勃起状態からしだいに萎えていく様子をCGで付け加えたそうだ。基本的に映画は長まわしのカットで構成されている。レイプシーンも女性を追いかけ、襲い、行為が終わって、一息つくまでの長時間が途中でカメラを止めることなく一本撮りされている。この長いカットにあわせて、ペニスを勃起させたり、萎えさせたりなんてことができる俳優はいないだろうからね。
アジアですごいなと思ったのは、台湾ツァイ・ミンリャン監督の「西瓜」。これは勃起というか、画面からはみ出すくらいの特大サイズの亀頭が映っている。それもはげしくこすっている最中で、精液が飛び散るところまで続く。被写体に近すぎて、最初は何が映っているのかよくわからないくらいだった。修正するまでもないとの判断だったのだろうね。
そして、気持ち悪い系では、「クライヴ・バーカーのサロメ」。勃起した男性がダンスを行っている場面がある。これが実は修正されていない。ただし、この作品は多くの場面が白黒反転されていたりして、見ていると気分が悪くなってくる映画だ。とりあえず画面が最初から白黒反転しているので、修正されているものとみなされたのだろうか。しかし当然のことだけど、画像処理で再度反転をさせれば、勃起して反りあがった男性器がはっきりと確認できるわけだ。元の状態に戻せる修正をほどこした映画・・これは本当の修正を免れるための抜け道だったのかもしれないね。
フランソワ・オゾン監督の「ぼくを葬る」では、男同士が激しく愛し合う場面で、いきり立ったモノが暗いながらも映っている。これは修正の対象にはならなかったようだ。勃起表現は性行為につながるため、日本では厳しく修正がかかるものだと思っていただけに、これにはちょっと驚いた。
今の日本では、こういうことが珍しくもない時代になってきたのだろう。パールフィ・ジョルジ監督の「タクシデルミア」は、人間の肉的側面をかなり気持ち悪く表現した映画だ。この映画の中では、性欲が行き過ぎてマスターベーション中に火を噴くというコミカルな演出があり、勃起したペニスの映像は無修正だ。
もちろん、過去マスターベーションなどの場面は、基本は修正がかかるものだった。珍しい例は大木裕之監督の「ターチトリップ」。畳の部屋で仰向けになって、必死にしごいている男の姿が表現されていた。ビデオ版が出たときに無修正で勃起状態のペニスを見ることができてびっくりしたことがある。しかし当時としては、まだこのような表現は時期尚早と判断したのだろうか、その後に出たDVDでは勃起場面は修正されてしまった。
勃起場面はペニス表現の一部として必要だとされたのは、ギャスパー・ノエ監督の作品。「カノン」のときは老人の萎えたペニスがアップで映っていたが、「アレックス」になるとその表現もかなり多様化される。夫婦で抱き合う場面のペニスはまあ普通、女装した男が自分の性別を証明するために陰部を大写しにして見せたり。ゲイクラブでは激しく動く映像の中にそれらしいものがちらほら。中ほどのレイプ場面のペニスは作り物らしい。レイプをしたあと使い終わった男性器が勃起状態からしだいに萎えていく様子をCGで付け加えたそうだ。基本的に映画は長まわしのカットで構成されている。レイプシーンも女性を追いかけ、襲い、行為が終わって、一息つくまでの長時間が途中でカメラを止めることなく一本撮りされている。この長いカットにあわせて、ペニスを勃起させたり、萎えさせたりなんてことができる俳優はいないだろうからね。
アジアですごいなと思ったのは、台湾ツァイ・ミンリャン監督の「西瓜」。これは勃起というか、画面からはみ出すくらいの特大サイズの亀頭が映っている。それもはげしくこすっている最中で、精液が飛び散るところまで続く。被写体に近すぎて、最初は何が映っているのかよくわからないくらいだった。修正するまでもないとの判断だったのだろうね。
そして、気持ち悪い系では、「クライヴ・バーカーのサロメ」。勃起した男性がダンスを行っている場面がある。これが実は修正されていない。ただし、この作品は多くの場面が白黒反転されていたりして、見ていると気分が悪くなってくる映画だ。とりあえず画面が最初から白黒反転しているので、修正されているものとみなされたのだろうか。しかし当然のことだけど、画像処理で再度反転をさせれば、勃起して反りあがった男性器がはっきりと確認できるわけだ。元の状態に戻せる修正をほどこした映画・・これは本当の修正を免れるための抜け道だったのかもしれないね。
肥満とおちんちんとの関係
太るとおちんちんはどうなるのか、そんな疑問を抱く人も中にはいるだろう。おそらく、普通に考えるとおちんちんの長さなどは固有のものがあるわけだから、太って体全体の体積が増えれば、おちんちんが小さくなったり、場合によっては見えなくなったりするかもしれないと想像はできる。しかし、そんなものを見て確認するチャンスは、現実にはありえないと思う。
中国のネット新聞に公開された情報では、体重が5kg増えるごとに、ペニスは0.78cm短くなるのだそうだ。世の中にはまじめに測って統計をとっている研究者がいるらしい。
こんな疑問に、あえて挑戦したテレビのバラエティ番組が昔はあった。デブですぐに思いつくのは相撲取り。そこで番組では実験のため、マワシ姿の4人のアマチュア力士に登場してもらう。体つきを見れば、彼らは確かに現役で相撲をとっていることはわかる。実験はまず①「デブはおっぱいが感じるか?」ということで、2人ずつ向き合ってお互いにおっぱいを刺激してもらっている。次に「デブはナニが小さいか?」ということで、マワシを脱いで素っ裸でカメラの前に並んだ。4本のナニはもちろんテレビではモザイクがかかっているわけだが、大事な部分を観察される4人は手の置き場もないし、かなり照れくさそうだった。おちんちんが小さいかどうかの検証実験で相撲部員たちを全裸で出演させるとは・・・すごい企画だった。
相撲取りのマワシの中身はどうなのかということに関しては、他にも情報はある。石井代蔵氏の著書「大相撲見聞録」には生々しい事実が書いてある。その書の中で、相撲部屋の朝の締め込みの場面が出てくる。土俵上の人気力士たちが稽古場に降り立って素っ裸でマワシを締める様子は壮観だと書かれている。特にあんこ(おなかの出た体型)の連中は、どれもこれも太鼓腹の下に「小さくつまんで隠れるほど」と表現されている。人一倍大きな立派な体だから、なおさらついているものが小さく見えると、その対比を楽しんでいる。それ以外にも、さまざまに力士の下半身事情をリアルに説明した珍しい本だ
映画ではどうかというと、肥満男性のおちんちんの関係を想起させる場面はある。映画「リプレイスメント」では元力士のフットボール選手に対して「自分のチンチン見えないくせに」という悪口が言われる場面がある。日本ではチンチンが見えないほどのデブはあまり見ることはないし、そういう悪口はほとんど耳にしない。肥満大国アメリカではデブに対する差別的な決まり文句として、こういうことがよく言われるのだろうか。
もっとストレートに踏み込んだ映画もある。日本では公開されていないが映画「Brainwash」では、肥満男性のチンチンを話題にする。映画の中で、ある肥満男性に肉体的・精神的な苦痛を与え、過食症を克服させるためのショック療法が行われる。その内容は療法というより、むしろ虐待に近いだろう。肥満男性は、研修室の真ん中で一人だけ全裸にさせられ、参加者全員にチンチンを観察される。女性講師は肥満男性を高いところに立たたせ、股間を探しながら「ペニスはどこについてるの?」と問う。さらに、腹が邪魔になるのにどうやって女性と性行為をするのかについても説明を求められ、肥満男性の恥ずかしさは極度に高まる。事実、観察されているものは、脂肪腹に埋もれて短くなった包茎ペニス。「肥満とおちんちんの関係」をストーリーと実物の両方で示した映画だった。
中国のネット新聞に公開された情報では、体重が5kg増えるごとに、ペニスは0.78cm短くなるのだそうだ。世の中にはまじめに測って統計をとっている研究者がいるらしい。
こんな疑問に、あえて挑戦したテレビのバラエティ番組が昔はあった。デブですぐに思いつくのは相撲取り。そこで番組では実験のため、マワシ姿の4人のアマチュア力士に登場してもらう。体つきを見れば、彼らは確かに現役で相撲をとっていることはわかる。実験はまず①「デブはおっぱいが感じるか?」ということで、2人ずつ向き合ってお互いにおっぱいを刺激してもらっている。次に「デブはナニが小さいか?」ということで、マワシを脱いで素っ裸でカメラの前に並んだ。4本のナニはもちろんテレビではモザイクがかかっているわけだが、大事な部分を観察される4人は手の置き場もないし、かなり照れくさそうだった。おちんちんが小さいかどうかの検証実験で相撲部員たちを全裸で出演させるとは・・・すごい企画だった。
相撲取りのマワシの中身はどうなのかということに関しては、他にも情報はある。石井代蔵氏の著書「大相撲見聞録」には生々しい事実が書いてある。その書の中で、相撲部屋の朝の締め込みの場面が出てくる。土俵上の人気力士たちが稽古場に降り立って素っ裸でマワシを締める様子は壮観だと書かれている。特にあんこ(おなかの出た体型)の連中は、どれもこれも太鼓腹の下に「小さくつまんで隠れるほど」と表現されている。人一倍大きな立派な体だから、なおさらついているものが小さく見えると、その対比を楽しんでいる。それ以外にも、さまざまに力士の下半身事情をリアルに説明した珍しい本だ
映画ではどうかというと、肥満男性のおちんちんの関係を想起させる場面はある。映画「リプレイスメント」では元力士のフットボール選手に対して「自分のチンチン見えないくせに」という悪口が言われる場面がある。日本ではチンチンが見えないほどのデブはあまり見ることはないし、そういう悪口はほとんど耳にしない。肥満大国アメリカではデブに対する差別的な決まり文句として、こういうことがよく言われるのだろうか。
もっとストレートに踏み込んだ映画もある。日本では公開されていないが映画「Brainwash」では、肥満男性のチンチンを話題にする。映画の中で、ある肥満男性に肉体的・精神的な苦痛を与え、過食症を克服させるためのショック療法が行われる。その内容は療法というより、むしろ虐待に近いだろう。肥満男性は、研修室の真ん中で一人だけ全裸にさせられ、参加者全員にチンチンを観察される。女性講師は肥満男性を高いところに立たたせ、股間を探しながら「ペニスはどこについてるの?」と問う。さらに、腹が邪魔になるのにどうやって女性と性行為をするのかについても説明を求められ、肥満男性の恥ずかしさは極度に高まる。事実、観察されているものは、脂肪腹に埋もれて短くなった包茎ペニス。「肥満とおちんちんの関係」をストーリーと実物の両方で示した映画だった。
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