珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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割礼映画 「小さな赤いビー玉」
子供はおちんちんに皮があるのが普通だけど、割礼によりおちんちんに皮を切り取ってしまった子供が存在するのも事実だ。皮があるかないかで、生死を分けた時代もある。
創世記(旧約聖書)では、神様の指示によりアブラハムが愛児イサクのおちんちんの皮を切ったことが記されている。この後、アブラハムの子孫は割礼を行うこととなり、それが神から選ばれた民族(ユダヤ人)の目印となる。彼らは、割礼をしない人を異民族としてはっきりと区別し、選民としての血を守ってきた。このようにユダヤ人が割礼をするのは現代まで続いている。第二次世界大戦中、ナチスドイツがユダヤ人の抹殺を企てたことは有名だ。この際に、ナチスは選民としての目印、すなわち割礼の痕をうまく利用したわけだ。
「さよなら子供たち」(1987年フランス・ドイツ)
この映画は、ドイツ占領かのフランスが舞台で、学校にユダヤ人の転校生が入ってくるという話になっている。映画の終盤、ドイツ人の兵士が、ユダヤ人かどうかをチェックするため、主人公のズボンを脱がせる場面がある(チン見せなし)。こちらはフランス人だったのでセーフだった。
「小さな赤いビー玉」(2000年フランス)
この映画も第二次世界大戦中のフランス。ユダヤ人の家族を襲うドラマを描きだす。12歳と10歳の兄弟は、パリを離れて南フランスに非難するが、そこで割礼のチェックを受ける(チン見せあり)。彼らはリビアの生まれだと、割礼の理由をごまかそうとするのだけど、結局は拘留されることになる。
創世記(旧約聖書)では、神様の指示によりアブラハムが愛児イサクのおちんちんの皮を切ったことが記されている。この後、アブラハムの子孫は割礼を行うこととなり、それが神から選ばれた民族(ユダヤ人)の目印となる。彼らは、割礼をしない人を異民族としてはっきりと区別し、選民としての血を守ってきた。このようにユダヤ人が割礼をするのは現代まで続いている。第二次世界大戦中、ナチスドイツがユダヤ人の抹殺を企てたことは有名だ。この際に、ナチスは選民としての目印、すなわち割礼の痕をうまく利用したわけだ。
「さよなら子供たち」(1987年フランス・ドイツ)
この映画は、ドイツ占領かのフランスが舞台で、学校にユダヤ人の転校生が入ってくるという話になっている。映画の終盤、ドイツ人の兵士が、ユダヤ人かどうかをチェックするため、主人公のズボンを脱がせる場面がある(チン見せなし)。こちらはフランス人だったのでセーフだった。
「小さな赤いビー玉」(2000年フランス)
この映画も第二次世界大戦中のフランス。ユダヤ人の家族を襲うドラマを描きだす。12歳と10歳の兄弟は、パリを離れて南フランスに非難するが、そこで割礼のチェックを受ける(チン見せあり)。彼らはリビアの生まれだと、割礼の理由をごまかそうとするのだけど、結局は拘留されることになる。
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オペラでフチリン 「リゴレット」
あまりオペラに馴染みのない人にとっては、オペラはクラシック音楽の楽曲としての印象が強い。オペラの出演者は一流の歌手であって、派手な衣装を着て劇をしたり、すばらしい歌唱力で聴衆を魅了させてくれるものだと思っていたし、そういう面では、オペラは高尚な芸術であって、シモの話には無関係だと思っていた。
なのに、実際にオペラを見てみると、男女の愛し合う場面や、出演者が全裸になって劇をしたり歌を歌うこともある。映画が出来るはるか以前よりあった舞台芸術は、大衆文化や人間らしさもうまく表現しているようだね。オペラは本当に何でもありの世界だ。
ベルディの「リゴレット」(2001年コヴェント・ガーデン王立歌劇場)には、冒頭で舞踏会場の場面がある。そこでは乱交パーティが行われている。杖を男性器に見立てて、相手の女性の股に刺して腰を振る動作など、卑猥な感じが伝わってくるね。ちょっと子供には見せられそうにはない。そのうち、一人の女性が服を剥ぎ取られて全裸にされ、横たえられる。もちろん前張りなんてない、素っ裸。そうして今度は酒に酔った男の方も服を脱がされて全裸にされる。ぶらぶらしているのが丸見えで、文字通りフリチン状態。裸の男は、裸の女の上に、乗せられた。こういう場面が音楽や歌と一緒に、舞台で進行していくのだからすごいよね。それもほんの一瞬チラリと見えるとかいうことでなく、また照明を暗くして控え目にするわけでもない。舞台の上で堂々と見せているようだ。
映画であれば、カットやカメラアングルによって見せ方を変えることができる。しかし舞台では、一旦全裸になったら、聴衆から注目されるのは避けられない。そこで変に隠そうとすることもなく、自然な状態のままで見られ放題だね。ただし劇場で後ろの方に座っている人からだと小さくてはっきりしないかもしれない。それこそオペラグラスが必要になりそうだ。こちらは日本でもDVDが出ているみたいだから、確認することができるはずだよ。
舞台で出演者が全裸になるオペラは多少なりとも注目度をあげたり、サプライズを考えた演出なのではないかと思う。同じ作品でも必ず出演者が裸になるわけではないみたいで、これは演出家の考えによるものらしい。
なのに、実際にオペラを見てみると、男女の愛し合う場面や、出演者が全裸になって劇をしたり歌を歌うこともある。映画が出来るはるか以前よりあった舞台芸術は、大衆文化や人間らしさもうまく表現しているようだね。オペラは本当に何でもありの世界だ。
ベルディの「リゴレット」(2001年コヴェント・ガーデン王立歌劇場)には、冒頭で舞踏会場の場面がある。そこでは乱交パーティが行われている。杖を男性器に見立てて、相手の女性の股に刺して腰を振る動作など、卑猥な感じが伝わってくるね。ちょっと子供には見せられそうにはない。そのうち、一人の女性が服を剥ぎ取られて全裸にされ、横たえられる。もちろん前張りなんてない、素っ裸。そうして今度は酒に酔った男の方も服を脱がされて全裸にされる。ぶらぶらしているのが丸見えで、文字通りフリチン状態。裸の男は、裸の女の上に、乗せられた。こういう場面が音楽や歌と一緒に、舞台で進行していくのだからすごいよね。それもほんの一瞬チラリと見えるとかいうことでなく、また照明を暗くして控え目にするわけでもない。舞台の上で堂々と見せているようだ。
映画であれば、カットやカメラアングルによって見せ方を変えることができる。しかし舞台では、一旦全裸になったら、聴衆から注目されるのは避けられない。そこで変に隠そうとすることもなく、自然な状態のままで見られ放題だね。ただし劇場で後ろの方に座っている人からだと小さくてはっきりしないかもしれない。それこそオペラグラスが必要になりそうだ。こちらは日本でもDVDが出ているみたいだから、確認することができるはずだよ。
舞台で出演者が全裸になるオペラは多少なりとも注目度をあげたり、サプライズを考えた演出なのではないかと思う。同じ作品でも必ず出演者が裸になるわけではないみたいで、これは演出家の考えによるものらしい。
相撲中継でのハプニング
相撲の中継で廻しが落ちたら、どうなるか。テレビはいったいどんな放送をするのだろうか。以前に、なぎら健一が「悲惨な戦い」で廻しの外れる取り組みを想定した歌を作っている。力士の廻しが落ちたとき、*HKは照明を消そうとしたり、カメラをそらすように努力したのだけどうまく行かず、力士のアソコがはっきりテレビで映り、巨体には租チンという事実が明らかになるという話だ。その後弟子が毛布を持って駆け寄るのだが、弟子は勢い余って転んでしまう。その体を支えるためつかもうとしたのが、丸出し力士のチンチンだったというオチまでついている。
実際に大相撲で廻しが外れる例はまれにあったらしいけど、テレビで大事なモノが映ってしまったことはないそうだ。有名な朝ノ霧事件のとき、「朝ノ霧の男性自信がテレビで映った」などと世界中にニュースが流れて大騒ぎしたらしいが、これは誇張しただけで、実際にテレビで大事なモノは見えていないという。
テレビ放送中に本当に廻しが外れて見えてしまったら、どんなことになるのだろう。本人のプライバシーや尊厳を考えた放送をするのが正しいとは思うけど、現実のテレビは週刊誌と一緒の動きをする。その事件はアマチュア相撲大会の準決勝で起こった。下手投げを受けたアメリカ人選手が、転がりながら廻しが外れて、本当にチンチンを出してしまった。この場面をテレビはどのように放送したか調べてみた。
中継番組:投げによって勝負が決まったあとの放送は、勝った選手は一瞬映るだけで、焦りまくる下半身丸出しの選手(かろうじてチンチンは影になっている)ばかり映していた。ハプニングとしては仕方ないとしても、勝負の振り返りをスローで見せ始めたのだ。うそだろうと思ったけど、廻しが外れて選手のチンチンがポロリと飛び出す決定的週間がモザイクなしで再び放送された。アナウンサーが笑いながら「廻しが取れてしまいましたが」と話し、解説者は「まあ、しっかり締めていても、外れることはあります」と軽く流した。しかしそれって、あまりフォローになってない。
他番組1:廻しが外れる瞬間はモザイク入り。しかし生尻の方は特大アップにして放送した。スポーツ選手が下着を着けてるかどうかを話題にした番組で、相撲はパンツを着用してないことを説明する材料にこの映像を使った。そして、相撲の場合は、たまに「完全ノーパン状態」すなわち丸出しになるとコメントした。
他番組2:廻しが外れる瞬間はモザイク入り。起き上がった場面では股間には「珍」マークを入れ、「チン」が丸見えになっていることを強調した。さらに、「技を出さずに別なモノを出しちゃいました」というナレーションが入った。一方丸見えの股間を注視した相手選手の立場からは「体はでかいのにたいしたものがついてない」というセリフが入り、今度は観客の視点から「小さくてちゃんと見えなかった」というセリフが入った。画面は必死で隠そうとする選手の股間のアップ。最後は本人の立場から「ひと皮むいて出直します」と締めくくった。大事な部分の映像はテレビなので見せられないけど、皮のかむったかわいいおちんちんがばっちり見えていました・・・ということをコメントで表現したようだ。
他番組3:大会の総集編、勝負のポイントや廻しが外れる場面などを面白く解説した。この映像ソースは中継放送と同じものだが、今回はしっかしとモザイク入りだった。廻しが外れた理由については「まわしがゆるすぎる」とコメント。この選手は次の決勝戦でも登場するが、決勝戦で再び廻しが外れるかもしれないなどど、多少あおったコメントをしている。
スポーツの大会の貴重なチン出しハプニング。バラエティならともかく、中継番組では準決勝で豪快な投げで勝負がつく瞬間を見せないわけにはいかないだろう。実はこの中継番組、生放送ではなく、中継録画放送なのだ。モザイクを入れることも本当はできるのだが、あえてモザイクを入れなかったのは、中継放送としてのリアリティや臨場感を重視しだのだろう。一方、後日同じ映像ソースを使ったスポーツの特集番組ではモザイクは入れられていた。同じテレビ局で同じ映像ソースを使った番組なのに、片方は無修正で放送し、片方は修正という別の判断がされたのは面白いね。
実際に大相撲で廻しが外れる例はまれにあったらしいけど、テレビで大事なモノが映ってしまったことはないそうだ。有名な朝ノ霧事件のとき、「朝ノ霧の男性自信がテレビで映った」などと世界中にニュースが流れて大騒ぎしたらしいが、これは誇張しただけで、実際にテレビで大事なモノは見えていないという。
テレビ放送中に本当に廻しが外れて見えてしまったら、どんなことになるのだろう。本人のプライバシーや尊厳を考えた放送をするのが正しいとは思うけど、現実のテレビは週刊誌と一緒の動きをする。その事件はアマチュア相撲大会の準決勝で起こった。下手投げを受けたアメリカ人選手が、転がりながら廻しが外れて、本当にチンチンを出してしまった。この場面をテレビはどのように放送したか調べてみた。
中継番組:投げによって勝負が決まったあとの放送は、勝った選手は一瞬映るだけで、焦りまくる下半身丸出しの選手(かろうじてチンチンは影になっている)ばかり映していた。ハプニングとしては仕方ないとしても、勝負の振り返りをスローで見せ始めたのだ。うそだろうと思ったけど、廻しが外れて選手のチンチンがポロリと飛び出す決定的週間がモザイクなしで再び放送された。アナウンサーが笑いながら「廻しが取れてしまいましたが」と話し、解説者は「まあ、しっかり締めていても、外れることはあります」と軽く流した。しかしそれって、あまりフォローになってない。
他番組1:廻しが外れる瞬間はモザイク入り。しかし生尻の方は特大アップにして放送した。スポーツ選手が下着を着けてるかどうかを話題にした番組で、相撲はパンツを着用してないことを説明する材料にこの映像を使った。そして、相撲の場合は、たまに「完全ノーパン状態」すなわち丸出しになるとコメントした。
他番組2:廻しが外れる瞬間はモザイク入り。起き上がった場面では股間には「珍」マークを入れ、「チン」が丸見えになっていることを強調した。さらに、「技を出さずに別なモノを出しちゃいました」というナレーションが入った。一方丸見えの股間を注視した相手選手の立場からは「体はでかいのにたいしたものがついてない」というセリフが入り、今度は観客の視点から「小さくてちゃんと見えなかった」というセリフが入った。画面は必死で隠そうとする選手の股間のアップ。最後は本人の立場から「ひと皮むいて出直します」と締めくくった。大事な部分の映像はテレビなので見せられないけど、皮のかむったかわいいおちんちんがばっちり見えていました・・・ということをコメントで表現したようだ。
他番組3:大会の総集編、勝負のポイントや廻しが外れる場面などを面白く解説した。この映像ソースは中継放送と同じものだが、今回はしっかしとモザイク入りだった。廻しが外れた理由については「まわしがゆるすぎる」とコメント。この選手は次の決勝戦でも登場するが、決勝戦で再び廻しが外れるかもしれないなどど、多少あおったコメントをしている。
スポーツの大会の貴重なチン出しハプニング。バラエティならともかく、中継番組では準決勝で豪快な投げで勝負がつく瞬間を見せないわけにはいかないだろう。実はこの中継番組、生放送ではなく、中継録画放送なのだ。モザイクを入れることも本当はできるのだが、あえてモザイクを入れなかったのは、中継放送としてのリアリティや臨場感を重視しだのだろう。一方、後日同じ映像ソースを使ったスポーツの特集番組ではモザイクは入れられていた。同じテレビ局で同じ映像ソースを使った番組なのに、片方は無修正で放送し、片方は修正という別の判断がされたのは面白いね。
おしっことおちんちん(4) 大人の場合
おちんちんを使用する場面をどう映画で描くかと考えてみる。
大人の場合は、本来の機能として勃起・挿入・射精などがあげられるだろう。しかし映画では抱き合う男女を表現するのはありだけど、挿入したペニスそのものや、ペニスの先から生の液体が出る場面はあまり好まれないものだ。それらは、一般の映画ではなくポルノの領域となる。
子供の場合であれば、おちんちんを使うのはおしっこをする場面ということではっきりしている。それでは、大人が小便をしている場面は映画ではどうなるだろう。後ろから小便している光景を撮影するのが一般的だよね。大人ともなれば、立小便だって壁に向かってするだろうしね。モノ自体を見せるものは結構少ないように思う。
小便をする大人を描いた映画として、一番印象に残ったのは、「ケンパーク」(2003年アメリカ他)だ。酒に酔って家に帰ってきてお父さんが、用を足そうとバスルームに入ってくる。そうして缶ビールを飲みながら、小便する姿が映っている。バスルームの横からの全身像に顔やペニスのアップのところもある。モノはちゃんとしたサイズのムケチン。それを手で支えず、まったくの自然の状態で便器の中にうまく流し込んでいる。もちろん生の小便だ。缶飲料の飲みながら、酔っ払いの雰囲気で放尿するわけだから、見事な演技だと思う。僕は海外版しか見たことないけど、国内版では修正されているらしいね。
親子で並んで立小便しているのが後ろから見えるなんて場面なら、映画でもほほえましい感じが出せる。しかし、酔っ払いおやじが自慢のモノをアップにしながら小便を大量に流し出す映像なんて、一般的に考えると誰も見たくないよね。こんな汚いものを見せられると不快だという判断をされたんだろうね。
もうひとつ、こちらは日本では公開されていないけど、「Lerning Curve」(1998年アメリカ映画)という映画がある。学校の先生が、自分の生徒をバスに乗せて出かけ、睡眠薬で眠らせて誘拐してしまう。生徒たちは気がつくと素っ裸で森の中の動物の檻に入っている。檻には高圧電流が流れていて、触れると感電するという危険なもの。先生は、そうした何もない状態から、生徒たちを教育するという実験をする。ある生徒が、小便をしているとき、小便が檻の金属の部分に触れる瞬間がある、そうすると大事なところに電流が流れて、ひっくりかえってしまう場面があり。感電とともに、小便をぴたりと止めて股間をかばう姿など、これこそ自分の生理をコントロールする見事な演技だと思う。この映画では数本の大人のおちんちんが見られるのはもちろんだ。
大人の場合は、本来の機能として勃起・挿入・射精などがあげられるだろう。しかし映画では抱き合う男女を表現するのはありだけど、挿入したペニスそのものや、ペニスの先から生の液体が出る場面はあまり好まれないものだ。それらは、一般の映画ではなくポルノの領域となる。
子供の場合であれば、おちんちんを使うのはおしっこをする場面ということではっきりしている。それでは、大人が小便をしている場面は映画ではどうなるだろう。後ろから小便している光景を撮影するのが一般的だよね。大人ともなれば、立小便だって壁に向かってするだろうしね。モノ自体を見せるものは結構少ないように思う。
小便をする大人を描いた映画として、一番印象に残ったのは、「ケンパーク」(2003年アメリカ他)だ。酒に酔って家に帰ってきてお父さんが、用を足そうとバスルームに入ってくる。そうして缶ビールを飲みながら、小便する姿が映っている。バスルームの横からの全身像に顔やペニスのアップのところもある。モノはちゃんとしたサイズのムケチン。それを手で支えず、まったくの自然の状態で便器の中にうまく流し込んでいる。もちろん生の小便だ。缶飲料の飲みながら、酔っ払いの雰囲気で放尿するわけだから、見事な演技だと思う。僕は海外版しか見たことないけど、国内版では修正されているらしいね。
親子で並んで立小便しているのが後ろから見えるなんて場面なら、映画でもほほえましい感じが出せる。しかし、酔っ払いおやじが自慢のモノをアップにしながら小便を大量に流し出す映像なんて、一般的に考えると誰も見たくないよね。こんな汚いものを見せられると不快だという判断をされたんだろうね。
もうひとつ、こちらは日本では公開されていないけど、「Lerning Curve」(1998年アメリカ映画)という映画がある。学校の先生が、自分の生徒をバスに乗せて出かけ、睡眠薬で眠らせて誘拐してしまう。生徒たちは気がつくと素っ裸で森の中の動物の檻に入っている。檻には高圧電流が流れていて、触れると感電するという危険なもの。先生は、そうした何もない状態から、生徒たちを教育するという実験をする。ある生徒が、小便をしているとき、小便が檻の金属の部分に触れる瞬間がある、そうすると大事なところに電流が流れて、ひっくりかえってしまう場面があり。感電とともに、小便をぴたりと止めて股間をかばう姿など、これこそ自分の生理をコントロールする見事な演技だと思う。この映画では数本の大人のおちんちんが見られるのはもちろんだ。
おしっことおちんちん(3)
アジアでは、おしっこ放出中のおちんちんが頻繁に見られるのに、日本ではほとんど見つけることが難しい。おしっこやおねしょをし終わったあとのおちんちんであればあるんだけどね。ただし日本でも立ち小便などの場面自体がないわけではない。そういうシチュエーションの映画の例をあげる。
「バーバー吉野」(2003年日本映画)
田舎町では理髪店がひとつしかなく、すべての小学生のヘアスタイルがおかっぱに決められていた。しかしおかっぱに屈しない転校生が来て、変化が出始める。少年たちは家を出て山に行くのだけど、その途中の橋で少年が立ち小便をする場面がある。遠めなのではっきりしておらず、見えてるか見えてないで多少意見が分かれる作品だ。
「瀬戸内少年野球団」(1984年日本映画)
ちょっと前の映画になるけど、淡路島を舞台にした少年たちのドラマ。一人の少年が女性を侮辱して監禁される話がある。友達たちが彼を助けにいくと、女性から「ゆるしてほしかったら全員ここでおちんちんを出せ」と言われて、女性におちんちんを見せることになる。そして海岸に並んでおしっこをさせられるという情けない場面だ。それなりの場面なのだけど、どうもおちんちんは映ってないようだ。
「バーバー吉野」(2003年日本映画)
田舎町では理髪店がひとつしかなく、すべての小学生のヘアスタイルがおかっぱに決められていた。しかしおかっぱに屈しない転校生が来て、変化が出始める。少年たちは家を出て山に行くのだけど、その途中の橋で少年が立ち小便をする場面がある。遠めなのではっきりしておらず、見えてるか見えてないで多少意見が分かれる作品だ。
「瀬戸内少年野球団」(1984年日本映画)
ちょっと前の映画になるけど、淡路島を舞台にした少年たちのドラマ。一人の少年が女性を侮辱して監禁される話がある。友達たちが彼を助けにいくと、女性から「ゆるしてほしかったら全員ここでおちんちんを出せ」と言われて、女性におちんちんを見せることになる。そして海岸に並んでおしっこをさせられるという情けない場面だ。それなりの場面なのだけど、どうもおちんちんは映ってないようだ。
おしっことおちんちん(2)
役者なら自分の生理をコントロールしなくてはならないことがある。悲しい場面では涙も流すだろう。おしっこの場面はどうだろう。日本やアメリカ映画だと、立ち小便などはしてるふりの撮影なのに対して、アジア映画では、自慢のおちんちんから生出しをするのが役者の務めだ。しかし実際に、監督の「アクション」の言葉と同時に、ジョーとできるものだろうか。撮影のためとなると、十分な量が出て欲しいだろうし、撮影前にたっぷり水を飲むんだろうね。
そういう事情も考慮してのことかもしれないけど、おしっこの生だしをせずに、ホースから水を出して撮影するケースも中にはあるようだ。事実確認はとれてないけど、僕がダミーチンチンだろうと疑っている映画をいくつか紹介する。
「變臉(へんめん)/この櫂に手をそえて?」(1996年中国映画)
変面芸人の孤独な老人が、子供を買って後継者にしようとするドラマ。誘拐された男の子がおしっこをする場面では、おしっこが出終わるときにおちんちんの先がぐいっと持ち上がっている。出し切る瞬間に股に力を入れたから、持ち上がったことを示しているのだろう。しかしこのおちんちんの長さ、固さなどが不自然に思えてならない。一番おかしいと思った理由は撮影の仕方。カメラは男の子の真横よりやや後ろから撮影し、男の子の体、おちんちん、そして覗き込む女の子の顔が画面に入っているのだけど、おちんちんの根元の部分が映ってない。この子の体につながっているのかどうかが確認できないわけだ。
「少林活寶貝」(1994年香港映画、日本未公開)
少林寺で二人の少年が隠れているときに、そのまま木箱に閉じ込められ、香港に空輸される。木箱の中でおしっこがどうしても我慢できなくなり、二人で一緒におしっこをしようとする。その瞬間箱が開いて二人でおしっこをジョー。おちんちんの形やついている場所などが明らかに不自然で、これはダミーだと思われる。二人で並んでおしっこをするということで、ホースを使ったんだろうね。そのおかげが、楽しそうにおしっこを流している余裕すら見えてる。
「はだしのゲン2」(1977年日本映画)
日本ではめずらしく小便する男の子を前から映した映画である。意地悪な大人に腹を立てた兄弟が、井戸に立って井戸の中におしっこをする場面がある。この映画の中では、別の場面で絵のモデルになる際に全裸の姿をさらしている。それで、彼らのおちんちんの形や大きさは確認できている。それから考えてもおしっこをする場面については、正直不自然な感じがする。僕はダミーチンチンの方に一票。
「ビビアンスーのロマンシングドラゴン」(1996年香港・台湾映画)
おちんちんネタのプロ的存在のハオ・シャオウェン。出演映画の中では、おしっこ場面がたくさんあるのだけど、この映画ではビールを飲みながら下半身でバケツにおしっこをジョー。これがどうもゴムの先っちょにしか見えない。裏はとってないけど、やはりこれもダミーチンチンの方に一票。
そういう事情も考慮してのことかもしれないけど、おしっこの生だしをせずに、ホースから水を出して撮影するケースも中にはあるようだ。事実確認はとれてないけど、僕がダミーチンチンだろうと疑っている映画をいくつか紹介する。
「變臉(へんめん)/この櫂に手をそえて?」(1996年中国映画)
変面芸人の孤独な老人が、子供を買って後継者にしようとするドラマ。誘拐された男の子がおしっこをする場面では、おしっこが出終わるときにおちんちんの先がぐいっと持ち上がっている。出し切る瞬間に股に力を入れたから、持ち上がったことを示しているのだろう。しかしこのおちんちんの長さ、固さなどが不自然に思えてならない。一番おかしいと思った理由は撮影の仕方。カメラは男の子の真横よりやや後ろから撮影し、男の子の体、おちんちん、そして覗き込む女の子の顔が画面に入っているのだけど、おちんちんの根元の部分が映ってない。この子の体につながっているのかどうかが確認できないわけだ。
「少林活寶貝」(1994年香港映画、日本未公開)
少林寺で二人の少年が隠れているときに、そのまま木箱に閉じ込められ、香港に空輸される。木箱の中でおしっこがどうしても我慢できなくなり、二人で一緒におしっこをしようとする。その瞬間箱が開いて二人でおしっこをジョー。おちんちんの形やついている場所などが明らかに不自然で、これはダミーだと思われる。二人で並んでおしっこをするということで、ホースを使ったんだろうね。そのおかげが、楽しそうにおしっこを流している余裕すら見えてる。
「はだしのゲン2」(1977年日本映画)
日本ではめずらしく小便する男の子を前から映した映画である。意地悪な大人に腹を立てた兄弟が、井戸に立って井戸の中におしっこをする場面がある。この映画の中では、別の場面で絵のモデルになる際に全裸の姿をさらしている。それで、彼らのおちんちんの形や大きさは確認できている。それから考えてもおしっこをする場面については、正直不自然な感じがする。僕はダミーチンチンの方に一票。
「ビビアンスーのロマンシングドラゴン」(1996年香港・台湾映画)
おちんちんネタのプロ的存在のハオ・シャオウェン。出演映画の中では、おしっこ場面がたくさんあるのだけど、この映画ではビールを飲みながら下半身でバケツにおしっこをジョー。これがどうもゴムの先っちょにしか見えない。裏はとってないけど、やはりこれもダミーチンチンの方に一票。
おしっことおちんちん(1)
日本と中国語圏の映画をいろいろと見ていると、おちんちんを見せる場面の状況が少し違っているように思われる。日本では圧倒的にお風呂の場面が多く、中国語圏ではおしっこの場面が多い。中国語圏の映画の場合、子役として映画に出てくる場面では、おちんちんにカメラを向けられて、皆の注目する中でおしっこをするという役目を演じることもあり。当然自分のおちんちんと流れ出るおしっこの様子が広く世に公開されるという覚悟が必要だ。
台湾では、朱延平監督のもと、ハオ・シャオウェンという太った少年がおちんちんとおしっこのネタを繰り返し演じている。「祖父情」(日本未公開)では、おちんちんをアップにしておしっこをしている場面があり。「トラブル・メーカー」では、夜寝ているベッドの上で、おしっこを噴出。それ以外にも、立小便などの場面はよく出てくる。これらはいずれもおちんちんを見せながらの場面となっている。彼が大きくなってからの映画では、「HOME SWEET HOME」(中国・台湾合作、日本未公開)で、大家の冷たい対応に抵抗して、大家の家の床の上に放尿するという場面(ここではチン見せなし)もある。
また、「霊幻道士7」では子供の霊が、弟子の男の顔におしっこをかけるという場面があるが、おしっこが出切るまでしっかりアップで見せている。こうしたキョンシーものなどのホラー映画では、基本的に童貞の小便が悪霊をやっつけるという約束になっているので、子役におしっこをしてもらう場面が出てくることもある。また、このブログで紹介した「飛金剛」(日本未公開)という特撮ヒーロー映画についても、男の子がおしっこで人間を改造する機械を止めるという場面がある。ここも生でおしっこをしているおちんちんがアップになる。悪霊をおしっこでやっつけるというのと、機械をおしっこで止めるというのは通じるものがある。
おしっこをする場面があれば、おちんちんが映るのは自然。中国語圏の映画は、おしっことおちんちんは切り離すことができないようだ。
台湾では、朱延平監督のもと、ハオ・シャオウェンという太った少年がおちんちんとおしっこのネタを繰り返し演じている。「祖父情」(日本未公開)では、おちんちんをアップにしておしっこをしている場面があり。「トラブル・メーカー」では、夜寝ているベッドの上で、おしっこを噴出。それ以外にも、立小便などの場面はよく出てくる。これらはいずれもおちんちんを見せながらの場面となっている。彼が大きくなってからの映画では、「HOME SWEET HOME」(中国・台湾合作、日本未公開)で、大家の冷たい対応に抵抗して、大家の家の床の上に放尿するという場面(ここではチン見せなし)もある。
また、「霊幻道士7」では子供の霊が、弟子の男の顔におしっこをかけるという場面があるが、おしっこが出切るまでしっかりアップで見せている。こうしたキョンシーものなどのホラー映画では、基本的に童貞の小便が悪霊をやっつけるという約束になっているので、子役におしっこをしてもらう場面が出てくることもある。また、このブログで紹介した「飛金剛」(日本未公開)という特撮ヒーロー映画についても、男の子がおしっこで人間を改造する機械を止めるという場面がある。ここも生でおしっこをしているおちんちんがアップになる。悪霊をおしっこでやっつけるというのと、機械をおしっこで止めるというのは通じるものがある。
おしっこをする場面があれば、おちんちんが映るのは自然。中国語圏の映画は、おしっことおちんちんは切り離すことができないようだ。
情報ありませんか(1) 実写版「サザエさん」
先日投稿で情報をいただきました。
「サザエさん2」実写版
実写版があることを知らなかったのですが、今となってはビデオも
出てなさそうで、確認ができません。見たことある人がいましたら、
教えてください。
それ以外にも、ビデオがなくて見てない作品がありますので
以下に記しておきます。
「秋立ちぬ」 1960年日本
銭湯の場面
「アドベンチャー・コメディ 夏の家族」 1974年フジテレビ
「敵同志好き同志」 1987日本テレビ
「ぼくたちでなければ」 1998年ロシア映画
「ふろたき大将」 1955年日本(東映児童映画)
お風呂を沸かして湯加減を見にいく場面
「野生のトピー」 1978年南アフリカ
海岸で全裸になる場面
「大好き五つ子」 PART1 1999年TBS
おねしょの場面、湖で泳ぐ場面、お風呂の場面、裸踊りの場面など
「サザエさん2」実写版
実写版があることを知らなかったのですが、今となってはビデオも
出てなさそうで、確認ができません。見たことある人がいましたら、
教えてください。
それ以外にも、ビデオがなくて見てない作品がありますので
以下に記しておきます。
「秋立ちぬ」 1960年日本
銭湯の場面
「アドベンチャー・コメディ 夏の家族」 1974年フジテレビ
「敵同志好き同志」 1987日本テレビ
「ぼくたちでなければ」 1998年ロシア映画
「ふろたき大将」 1955年日本(東映児童映画)
お風呂を沸かして湯加減を見にいく場面
「野生のトピー」 1978年南アフリカ
海岸で全裸になる場面
「大好き五つ子」 PART1 1999年TBS
おねしょの場面、湖で泳ぐ場面、お風呂の場面、裸踊りの場面など
戦争する子供たち 「わんぱく戦争」
子供は大人の真似をするものだけど、戦争の時代を描く映画には、子供たちの戦争場面がよく描かれる。子供たちの戦争は、ときにとてつもない展開になるので、面白い。
ヨーロッパでは、「わんぱく戦争」(1961フランス映画)が有名だろう。二つ少年グループ間の抗争・戦いがエスカレートする様を映画にしたものだ。
事の始めは、「フニャチン」とののしられたことからはじまった。いざ戦争が始まると、さまざまな戦術がとられることになる。相手グループの先鋒を罠にかけて捕虜にすることに成功。捕虜の耳や鼻やポコチンを切り落とそうかと思案した末、服やズボンのボタン・紐を切り落とすことになった。ズボンを引きずりながら帰る捕虜は惨めだった。この後、相手に捕まったらボタンを切り落とされるのが定式化する。今度は、ボタンを取られないように全裸で戦うという戦法を思いつく。全裸戦法は大成功し、相手はひるんで退却することになる。しかし裸じゃ格好悪いのでそれは続かなかった。その後の戦争は、補修用のボタンの備蓄や、馬やトラクターを使った奇襲攻撃など内容はエスカレートしていく。全裸で野外を駆け回るということは、めったに体験できないだろうけど、皆で脱げばこわくないみたいな感じだったのだろうか。
残念ながらこの映画ではチン見せはなし、チンを手でしっかり握っている場面はあるが、ガードは固かった。裏切者がパンツを脱がされて尻たたきの制裁を受けるなども場面もあったが、ここでもチン見せはなしだったね。同じ原作「ボタン戦争」をもとにイギリスでリメイクされた「草原とボタン」(1996年イギリス)では、多数の子供たちの正面の場面もある。しかしこれはかなり遠目。欧州で作られた映画は、チン見せには消極的なようだ。
日本でも子供たちの対立や戦争を描いた作品はいろいろある。その中で、特筆すべき作品は、大林宣彦監督の「野ゆき山ゆき海べゆき」だろう。
これは、戦時下の尾道を舞台にしている。一人の女の子の奪いあいから、二つのグループに分かれて子供たちは戦争ごっこに突入。負傷者も続出する。そうした子供たちが、今度は身売りされる女の子を助けるために、共闘してやくざに立ち向かうことになる。その戦い方が面白い。お堂の前でお地蔵さんの姿で待ち伏せして、奇襲をかけるという戦法だ。お地蔵に変装するのは簡単、服を脱いで素っ裸なればいい。せいぜい首に前掛け一枚程度。フリチンで坂道や家の間を駆け回り、海岸で隊列を組んで歩いたり、全裸撮影場面はかなりの長さがあるからね。わんぱく戦争のように、人のいない森や草原ではなく、こちらは完全に町の中が舞台になっている。撮影風景はすごい状態になっていただろうね。全裸で町を走り回るなんてことは普通だったら絶対にやってはいけないし、体験するチャンスはないだろう。しかし映画の撮影というのは何でもできるんだね。
さて、子供たちの戦争については、戦術の練り方や決着をつけたあとの処理も面白い。倉本聰の「失われた時の流れを」(フジテレビドラマ)では、東京から田舎に疎開している二つのグループの戦いを描いている。主人公が所属するのは弱い方のグループだった。力で勝てないとなるとはさまざまに知恵をつかって策を練る。そして田舎の子たちを買収して加勢させ、決戦で勝利を収めることに成功する。前述のわんぱく戦争では、ボタンを切り落としの刑で半裸にすれば、十分にプライドを傷つけられると考えた。しかし日本の子供たちはそんなに甘くはない。勝った子たちは、負け組みのふんどしを没収。戦利品を旗として掲げて勝利の凱旋をした。負け組みの子たちは、お尻やおちんちんを丸出しの状態で木に縛り付けられ、晒し者にされてしまう。
子供たちの戦争映画って、大人では描けないようなことまでやらされているよね。
ヨーロッパでは、「わんぱく戦争」(1961フランス映画)が有名だろう。二つ少年グループ間の抗争・戦いがエスカレートする様を映画にしたものだ。
事の始めは、「フニャチン」とののしられたことからはじまった。いざ戦争が始まると、さまざまな戦術がとられることになる。相手グループの先鋒を罠にかけて捕虜にすることに成功。捕虜の耳や鼻やポコチンを切り落とそうかと思案した末、服やズボンのボタン・紐を切り落とすことになった。ズボンを引きずりながら帰る捕虜は惨めだった。この後、相手に捕まったらボタンを切り落とされるのが定式化する。今度は、ボタンを取られないように全裸で戦うという戦法を思いつく。全裸戦法は大成功し、相手はひるんで退却することになる。しかし裸じゃ格好悪いのでそれは続かなかった。その後の戦争は、補修用のボタンの備蓄や、馬やトラクターを使った奇襲攻撃など内容はエスカレートしていく。全裸で野外を駆け回るということは、めったに体験できないだろうけど、皆で脱げばこわくないみたいな感じだったのだろうか。
残念ながらこの映画ではチン見せはなし、チンを手でしっかり握っている場面はあるが、ガードは固かった。裏切者がパンツを脱がされて尻たたきの制裁を受けるなども場面もあったが、ここでもチン見せはなしだったね。同じ原作「ボタン戦争」をもとにイギリスでリメイクされた「草原とボタン」(1996年イギリス)では、多数の子供たちの正面の場面もある。しかしこれはかなり遠目。欧州で作られた映画は、チン見せには消極的なようだ。
日本でも子供たちの対立や戦争を描いた作品はいろいろある。その中で、特筆すべき作品は、大林宣彦監督の「野ゆき山ゆき海べゆき」だろう。
これは、戦時下の尾道を舞台にしている。一人の女の子の奪いあいから、二つのグループに分かれて子供たちは戦争ごっこに突入。負傷者も続出する。そうした子供たちが、今度は身売りされる女の子を助けるために、共闘してやくざに立ち向かうことになる。その戦い方が面白い。お堂の前でお地蔵さんの姿で待ち伏せして、奇襲をかけるという戦法だ。お地蔵に変装するのは簡単、服を脱いで素っ裸なればいい。せいぜい首に前掛け一枚程度。フリチンで坂道や家の間を駆け回り、海岸で隊列を組んで歩いたり、全裸撮影場面はかなりの長さがあるからね。わんぱく戦争のように、人のいない森や草原ではなく、こちらは完全に町の中が舞台になっている。撮影風景はすごい状態になっていただろうね。全裸で町を走り回るなんてことは普通だったら絶対にやってはいけないし、体験するチャンスはないだろう。しかし映画の撮影というのは何でもできるんだね。
さて、子供たちの戦争については、戦術の練り方や決着をつけたあとの処理も面白い。倉本聰の「失われた時の流れを」(フジテレビドラマ)では、東京から田舎に疎開している二つのグループの戦いを描いている。主人公が所属するのは弱い方のグループだった。力で勝てないとなるとはさまざまに知恵をつかって策を練る。そして田舎の子たちを買収して加勢させ、決戦で勝利を収めることに成功する。前述のわんぱく戦争では、ボタンを切り落としの刑で半裸にすれば、十分にプライドを傷つけられると考えた。しかし日本の子供たちはそんなに甘くはない。勝った子たちは、負け組みのふんどしを没収。戦利品を旗として掲げて勝利の凱旋をした。負け組みの子たちは、お尻やおちんちんを丸出しの状態で木に縛り付けられ、晒し者にされてしまう。
子供たちの戦争映画って、大人では描けないようなことまでやらされているよね。
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