珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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股に挟めば女の子?
子供の頃、自分のおちんちんを股に挟み込んで、女の子を装うということをやった経験がある人ってどのくらいいるのかな。当然、おちんちんがついているのが男の子で、ついてないのが女の子というような単純な認識があったと思うよね。
映画で見ていて、そういう場面を描いている作品があるね。
日本では、「パンツの穴」だろう。
菊池桃子の弟役の小学生が出てくるけど、最初は風呂上がりのフリチン姿で登場。次は、おちんちんを股に挟んで、「女の子になったぞ」とふざけている。最後は、股に海苔を貼り付けて、「お姉ちゃんになったぞ」・・・小学生の悪ふざけにしては、ちょっとやりすぎかも。
中国映画でもそういうのがあった。「小紅花(Little red flowers)」は、日本では公開されてないようだけれども、2006年のベルリン映画祭に出品された作品だ。4歳の男の子が主人公の幼稚園の様子を描いている。排便や服を脱ぐなどの基本的な教育を行う寄宿学校みたいなもの。見ているとまるで収容所のようにも思える。主人公はパンツを脱がされて、窓のふちに立たせられるなどのいじめも受けている。さて、男の子たちが浴場に入る場面がある。そうすると、元気のいい男の子が台の上に立って、おちんちんを股に挟み込み、「女の子になった」とはしゃぎまわっている。それ以外の子のおちんちんも若干映っている。
映画で見ていて、そういう場面を描いている作品があるね。
日本では、「パンツの穴」だろう。
菊池桃子の弟役の小学生が出てくるけど、最初は風呂上がりのフリチン姿で登場。次は、おちんちんを股に挟んで、「女の子になったぞ」とふざけている。最後は、股に海苔を貼り付けて、「お姉ちゃんになったぞ」・・・小学生の悪ふざけにしては、ちょっとやりすぎかも。
中国映画でもそういうのがあった。「小紅花(Little red flowers)」は、日本では公開されてないようだけれども、2006年のベルリン映画祭に出品された作品だ。4歳の男の子が主人公の幼稚園の様子を描いている。排便や服を脱ぐなどの基本的な教育を行う寄宿学校みたいなもの。見ているとまるで収容所のようにも思える。主人公はパンツを脱がされて、窓のふちに立たせられるなどのいじめも受けている。さて、男の子たちが浴場に入る場面がある。そうすると、元気のいい男の子が台の上に立って、おちんちんを股に挟み込み、「女の子になった」とはしゃぎまわっている。それ以外の子のおちんちんも若干映っている。
時間ですよ
1970年代のTBSドラマ。舞台は銭湯。森光子や若い頃の堺正章が主要キャストだが、天地真理などのアイドルやフォークシンガーなども登場していた。田中角栄のそっくりさんが総理として登場したり。
基本は連続ドラマ、ドラマとしての構成はしっかりしている。しかし、その一方で、堺正章と樹木希林らによるコントが入っているし、天地真理や浅田美代子による歌もあって、ドラマの世界を超えた総合エンターテイメントという感じだった。それに、毎回放送される銭湯場面は、女湯が中心。女性のおっぱいやお尻がストレートに映ってたね。女性のヌードが見られるのは深夜放送しか考えられなかったから、銭湯ドラマという理由でうまくヌードを出してるなと思った。
さて、銭湯だからおちんちんもと思うわけで、確かにそういう場面もあった。今DVDが出ているもので確認したところ、それほど多くはないけど、何ヶ所か確認できた。
第43回 (1971年第4巻)
小学生くらいの少年が、浴室からボイラー室に忍び込んで遊んでいる場面
第56回 (1971年第9巻)
女湯の浴室の湯船に腰掛けている幼児
第72回 (1973年第3巻)
女湯の脱衣場で子供が服を脱がされる場面
第88回 (1973年第8巻)
女湯の脱衣場で子供が服を脱がされる場面
こんな感じで、基本的に男の子の脱ぎの場面はほとんどが女湯という設定だったね。さらに、よく見てたら、女の子の場面もある。第92回では、女の子が服を脱がされる場面で割れ目が見えてた。
僕もリアルタイムで見てたはずだけど、一つの場面だけ覚えている。少年2~3名が女湯でウルトラマンごっこのようなことをしていて、そこにいた裸のお姉さんに絡んでいた場面だった。これはドラマの間に挿入されるコントみたいな位置づけだったはず。これが放送されたのは、第何回だったのだろう。今のところDVDの中には見つけられなかった。
知っている人がいたら、教えてほしい。
基本は連続ドラマ、ドラマとしての構成はしっかりしている。しかし、その一方で、堺正章と樹木希林らによるコントが入っているし、天地真理や浅田美代子による歌もあって、ドラマの世界を超えた総合エンターテイメントという感じだった。それに、毎回放送される銭湯場面は、女湯が中心。女性のおっぱいやお尻がストレートに映ってたね。女性のヌードが見られるのは深夜放送しか考えられなかったから、銭湯ドラマという理由でうまくヌードを出してるなと思った。
さて、銭湯だからおちんちんもと思うわけで、確かにそういう場面もあった。今DVDが出ているもので確認したところ、それほど多くはないけど、何ヶ所か確認できた。
第43回 (1971年第4巻)
小学生くらいの少年が、浴室からボイラー室に忍び込んで遊んでいる場面
第56回 (1971年第9巻)
女湯の浴室の湯船に腰掛けている幼児
第72回 (1973年第3巻)
女湯の脱衣場で子供が服を脱がされる場面
第88回 (1973年第8巻)
女湯の脱衣場で子供が服を脱がされる場面
こんな感じで、基本的に男の子の脱ぎの場面はほとんどが女湯という設定だったね。さらに、よく見てたら、女の子の場面もある。第92回では、女の子が服を脱がされる場面で割れ目が見えてた。
僕もリアルタイムで見てたはずだけど、一つの場面だけ覚えている。少年2~3名が女湯でウルトラマンごっこのようなことをしていて、そこにいた裸のお姉さんに絡んでいた場面だった。これはドラマの間に挿入されるコントみたいな位置づけだったはず。これが放送されたのは、第何回だったのだろう。今のところDVDの中には見つけられなかった。
知っている人がいたら、教えてほしい。
教室でパンツ脱がし 中学生日記「やつのパンツを狙え!」
今度は、中学生や高校生のパンツ脱がしの場面を紹介しよう。
いじめをテーマにした映画に、「ある日突然に・・きみにいじめは似合わない」という作品がある。もともといじめとは関係のない立場に立っていた中学1年の少年が、あることをきっかけに自分がいじめのターゲットに立たされてしまう。少年はいじめで悩み苦しむが、親などの力を借りて克服していこうとする。誰もが、いつ、このようないじめられる立場に立つかわからないのであって、いじめは決して他人事ではないということを教えてくれる映画だった。脱がされる場面は下駄箱の前、体操着を着ていた主人公は、いじめられっ子からいっきにパンツを下ろされて、女子の前のおちんちんをさらすことになる。
ドラマでもいろいろあるよね。テレビドラマの「伝説の教師」は高校でのいじめを描写しており、パンツを脱がされる男子生徒の場面があった。高校生あたりだと、古いドラマで、「飛び出せ青春」の石橋正次が、対抗する高校と格闘の際、服を脱がされる場面があった。最後はずり落ちたパンツに足を引っ掛け、つまずいて転んでしまう。
テレビで、もっともリアルにパンツ脱がしを見せてくれるのは、NHKだ。中学生日記で「ヤツのパンツを狙え!」という放送がされたことがある。教室で、元気のないデブ少年が、いじめっ子に呼び出され、立たされる。彼は両手をつかまれ、身動きができない。いじめっ子は、ベルトを緩め、ズボンを脱がす。そしていよいよパンツを脱がす場面になると、カメラは少年の足元を映し、パンツがそこに下りてくる。当然教室には女子たちもいて、この少年のおちんちんは見物されることになる。この脱がされる少年の表情を見ていると、気の抜けたようなというか、多少にやけたような感じで、いじめっ子にされるがまま。まったく抵抗をするわけでもない。こんなことが毎日のようにあったんだろうね。何度も見られたものを、今さら抵抗して隠してもしょうがないし、我慢すれば教室の中のことで済ませると考えているんだろうか。しかし、もし今に時代に、同じような作品をつくったらどうなるだろうか。きっと携帯で画像や動画をばら撒かれることになるだろうからね。
尚、これらの場面は当然のことだが、実物の「チン」は映らないのであしからず。
いじめをテーマにした映画に、「ある日突然に・・きみにいじめは似合わない」という作品がある。もともといじめとは関係のない立場に立っていた中学1年の少年が、あることをきっかけに自分がいじめのターゲットに立たされてしまう。少年はいじめで悩み苦しむが、親などの力を借りて克服していこうとする。誰もが、いつ、このようないじめられる立場に立つかわからないのであって、いじめは決して他人事ではないということを教えてくれる映画だった。脱がされる場面は下駄箱の前、体操着を着ていた主人公は、いじめられっ子からいっきにパンツを下ろされて、女子の前のおちんちんをさらすことになる。
ドラマでもいろいろあるよね。テレビドラマの「伝説の教師」は高校でのいじめを描写しており、パンツを脱がされる男子生徒の場面があった。高校生あたりだと、古いドラマで、「飛び出せ青春」の石橋正次が、対抗する高校と格闘の際、服を脱がされる場面があった。最後はずり落ちたパンツに足を引っ掛け、つまずいて転んでしまう。
テレビで、もっともリアルにパンツ脱がしを見せてくれるのは、NHKだ。中学生日記で「ヤツのパンツを狙え!」という放送がされたことがある。教室で、元気のないデブ少年が、いじめっ子に呼び出され、立たされる。彼は両手をつかまれ、身動きができない。いじめっ子は、ベルトを緩め、ズボンを脱がす。そしていよいよパンツを脱がす場面になると、カメラは少年の足元を映し、パンツがそこに下りてくる。当然教室には女子たちもいて、この少年のおちんちんは見物されることになる。この脱がされる少年の表情を見ていると、気の抜けたようなというか、多少にやけたような感じで、いじめっ子にされるがまま。まったく抵抗をするわけでもない。こんなことが毎日のようにあったんだろうね。何度も見られたものを、今さら抵抗して隠してもしょうがないし、我慢すれば教室の中のことで済ませると考えているんだろうか。しかし、もし今に時代に、同じような作品をつくったらどうなるだろうか。きっと携帯で画像や動画をばら撒かれることになるだろうからね。
尚、これらの場面は当然のことだが、実物の「チン」は映らないのであしからず。
教室でパンツ脱がし 「谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座」
教室やクラブ活動などでの人のパンツ脱がすということは、悪いことに違いない。しかしそういう話は、よく耳にするし、実際に目撃もすることもある。テレビや映画でもそうした場面が取りあげられることが少なくない。しかも、小学校から中学校、高校のすべての世代でそういう場面がとりあげられている。これは、人間、誰にでもある行動なんだろうか。ここでは、小学校を舞台にしたパンツ脱がしをとりあげよう。
つい最近も、高橋克典が主演した「オトコの子育て」というテレビドラマの中で、6年生の教室でのパンツ脱がし事件が描かれていた。女子のスカートめくりをしてふざけていた男子に対し、女子(凛子)がその男子のパンツをずり下ろしてしまった。脱がされた男子は、恥ずかしそうに逃げていくという内容だった。別のその子のおちんちんを見ようと思って脱がしたのではなく、スカートめくりされる女子が嫌がる気持ちを理解させようとズボンを下ろすつもりが、勢いあまってパンツまで下ろしちゃったということで言い訳されていたみたいだね。(※テレビでチン出しはありません)
一般に、パンツ脱がしをする目的を考えてみると、一つは、脱がしてパンツの中身をみんなで鑑賞しようとする好奇心から行うもの、そしてもう一つは、脱がされるという恥ずかしい思い本人に味あわせようとする懲罰的な目的の二つがあると思われる。クラスの中でいじめが蔓延して、特定の人が何度も脱がされるという場合は、後者の方が強いだろうね。一方、単純にゲーム感覚でお互いの好奇心からの悪ふざけをしている場合も中にはあると思う。
映画でこのような場面をとりあげたのは、「谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座」だ。主人公のガキ夫は、クラスの中でとりおさえられ、パンツを脱がされ、クラスの女の子たちにおちんちんを見られてしまう。そして女の子から、「おちんちんが小さい」と馬鹿にされ、その後ものすごく落ち込んでしまうのだ。また自分で自分のモノが小さいのかと確認をしたり。それにしても、小学生のころから、自分のモノが小さいと悩んだりするもんだろうか。子供が演技をしているけれども、これは子供が見る映画ではないね。(※映画で実物のチンは見えません)
しかし、これと同じようなことが、僕の小学校の頃にも実際にあったんだ。ここからは【体験談】
小学校5年生のとき、クラスでパンツを脱がしが一時期流行ったことがある。誰かをターゲットに決めて、みんなで押さえつけてパンツを脱がすというお遊びだ。その日は大物が選ばれた。彼は、成績が優秀でちょっとませた子だった。背丈も体重もクラス一番の巨漢で、大人みたいな体つきだったので、普段は絶対にターゲットに選ばれることはない。しかし、その日はその大物がめずらしくターゲットになったのだ。本人は力もあるし、激しく抵抗したので、かなり時間がかかったが、格闘の末ついにパンツが脱がされた。しかし見えたのは、つるつるの股間にボタン形の皮がついているだけ。子供なりにもおちんちんの形はイメージできるわけで、それとはまったく似つかないものが出てきて、みんな唖然とした。「これがちんぽか?」といいながら、脱がした子がその皮のようなものを指で何度も弾いたりして、確認をしていた。脱がされた方はしだいに半べそ状態になったので、そこで終わった。大人のような体格なのに、おちんちんが超ミニサイズということで、クラスではしばらくそのことが伝説になっていた。この子は、リアルに悩んだだろうね。
つい最近も、高橋克典が主演した「オトコの子育て」というテレビドラマの中で、6年生の教室でのパンツ脱がし事件が描かれていた。女子のスカートめくりをしてふざけていた男子に対し、女子(凛子)がその男子のパンツをずり下ろしてしまった。脱がされた男子は、恥ずかしそうに逃げていくという内容だった。別のその子のおちんちんを見ようと思って脱がしたのではなく、スカートめくりされる女子が嫌がる気持ちを理解させようとズボンを下ろすつもりが、勢いあまってパンツまで下ろしちゃったということで言い訳されていたみたいだね。(※テレビでチン出しはありません)
一般に、パンツ脱がしをする目的を考えてみると、一つは、脱がしてパンツの中身をみんなで鑑賞しようとする好奇心から行うもの、そしてもう一つは、脱がされるという恥ずかしい思い本人に味あわせようとする懲罰的な目的の二つがあると思われる。クラスの中でいじめが蔓延して、特定の人が何度も脱がされるという場合は、後者の方が強いだろうね。一方、単純にゲーム感覚でお互いの好奇心からの悪ふざけをしている場合も中にはあると思う。
映画でこのような場面をとりあげたのは、「谷岡ヤスジのメッタメタガキ道講座」だ。主人公のガキ夫は、クラスの中でとりおさえられ、パンツを脱がされ、クラスの女の子たちにおちんちんを見られてしまう。そして女の子から、「おちんちんが小さい」と馬鹿にされ、その後ものすごく落ち込んでしまうのだ。また自分で自分のモノが小さいのかと確認をしたり。それにしても、小学生のころから、自分のモノが小さいと悩んだりするもんだろうか。子供が演技をしているけれども、これは子供が見る映画ではないね。(※映画で実物のチンは見えません)
しかし、これと同じようなことが、僕の小学校の頃にも実際にあったんだ。ここからは【体験談】
小学校5年生のとき、クラスでパンツを脱がしが一時期流行ったことがある。誰かをターゲットに決めて、みんなで押さえつけてパンツを脱がすというお遊びだ。その日は大物が選ばれた。彼は、成績が優秀でちょっとませた子だった。背丈も体重もクラス一番の巨漢で、大人みたいな体つきだったので、普段は絶対にターゲットに選ばれることはない。しかし、その日はその大物がめずらしくターゲットになったのだ。本人は力もあるし、激しく抵抗したので、かなり時間がかかったが、格闘の末ついにパンツが脱がされた。しかし見えたのは、つるつるの股間にボタン形の皮がついているだけ。子供なりにもおちんちんの形はイメージできるわけで、それとはまったく似つかないものが出てきて、みんな唖然とした。「これがちんぽか?」といいながら、脱がした子がその皮のようなものを指で何度も弾いたりして、確認をしていた。脱がされた方はしだいに半べそ状態になったので、そこで終わった。大人のような体格なのに、おちんちんが超ミニサイズということで、クラスではしばらくそのことが伝説になっていた。この子は、リアルに悩んだだろうね。
「すばらしい世界旅行」 のすばらしい場面
「すばらしい世界旅行」が残したフィルムの数々が、歴史上大変価値のあるものであることは言うまでもないが、ブログの趣旨にあった場面の中で、一番印象深いものをあげておこう。
アマゾンの裸族を紹介した中にシングー川に住んでいるカマユラ族の話だった。彼らはもともと勇敢な戦士だったが、その当時は戦争はしなくなっており、代わりに隣のワウラ族との間で、模擬戦争を行っていた。実際に殺しあうのではなく、あくまでスポーツとして競技を行い、親睦を深める意図もあった。模擬戦争では武器として槍を使う。一応、怪我をしないよう槍の先は丸めてあり、腰から上に向かって投げてはならないルールになっていた。交互に槍を相手に投げ合って、槍が当てられたら死ぬ。死んだ人数を数えて部族間の勝ち負けを決めていた。
さて、槍投げの戦いが盛り上がってくると、興奮度が高まってくる、そのときワウラ族の若者が槍を急所に受けてしまった。痛さのあまり若者がうずくまってしまう。その場が騒然となり、模擬戦争は中止。本当の戦争になりかねない空気になる。それを族長が努力して、なんとか混乱を治めたのである。
槍を受けると戦死者になるわけだけど、この若者については槍が当たったのが男の大事なところであり、見ている方もはらはらした。若者は横たえられ、部族のみんながそれを囲んで悲しそうに大泣きをする。それだけ感情表現がストレートで豊かだという感じが伝わってくる。カメラは横たわる若者の状況を撮影しており、顔のアップなど見ると、本当に苦しそうにしている。はたして、負傷した部分は大丈夫なのだろうかと気になりながら見ていると、カメラは急所の部分もしっかりと撮影している。萎えきったおちんちんがくっきりとテレビで大写しになったのには、びっくりした。急所を負傷したの若者は、結果的には英雄として称えられ、模擬戦争はハッピーエンド。
ほんとうにすばらしい番組だったと思う
アマゾンの裸族を紹介した中にシングー川に住んでいるカマユラ族の話だった。彼らはもともと勇敢な戦士だったが、その当時は戦争はしなくなっており、代わりに隣のワウラ族との間で、模擬戦争を行っていた。実際に殺しあうのではなく、あくまでスポーツとして競技を行い、親睦を深める意図もあった。模擬戦争では武器として槍を使う。一応、怪我をしないよう槍の先は丸めてあり、腰から上に向かって投げてはならないルールになっていた。交互に槍を相手に投げ合って、槍が当てられたら死ぬ。死んだ人数を数えて部族間の勝ち負けを決めていた。
さて、槍投げの戦いが盛り上がってくると、興奮度が高まってくる、そのときワウラ族の若者が槍を急所に受けてしまった。痛さのあまり若者がうずくまってしまう。その場が騒然となり、模擬戦争は中止。本当の戦争になりかねない空気になる。それを族長が努力して、なんとか混乱を治めたのである。
槍を受けると戦死者になるわけだけど、この若者については槍が当たったのが男の大事なところであり、見ている方もはらはらした。若者は横たえられ、部族のみんながそれを囲んで悲しそうに大泣きをする。それだけ感情表現がストレートで豊かだという感じが伝わってくる。カメラは横たわる若者の状況を撮影しており、顔のアップなど見ると、本当に苦しそうにしている。はたして、負傷した部分は大丈夫なのだろうかと気になりながら見ていると、カメラは急所の部分もしっかりと撮影している。萎えきったおちんちんがくっきりとテレビで大写しになったのには、びっくりした。急所を負傷したの若者は、結果的には英雄として称えられ、模擬戦争はハッピーエンド。
ほんとうにすばらしい番組だったと思う
「すばらしい世界旅行」が、なぜすばらしいか
日曜日の夜、毎週欠かさずに見ていた番組の一つに、「すばらしい世界旅行」があった。1966年から1990年まで続いた番組で、日立の「気になる木」のCMが生まれたのもこの番組であった。庶民が気楽に海外旅行には行けなかった時代、世界の情報を提供してくれるこのような番組はお茶の間で関心が高かった。
番組で、世界の自然や人々の風習などをドキュメンタリーとして紹介していた。特に力を入れていたのが、アマゾン川流域のインディオの村の取材だった。取材班はジャングルを探検しながら、各地でインディオの部落に滞在し、彼らの生活の様子や儀式などの詳細を撮影している。これらの取材フィルムは世界的にも貴重な人類学の資料ともなっており、さまざまなところで引用もされている。彼らの多くは、ほとんど全裸に近い姿で生活をしていた。番組ではこのように日常生活を裸で暮らす人々のことをひとくくりに「裸族」と表現し、視聴者の好奇心をあおり、視聴率アップにつなげていたと考えられる。
当時の日本の事情を考えてみてほしい。アラン・ドロンがフリチンで海岸を走る映画がテレビで放送されていたけど、当然修正されていた。これは、ポルノかどうかという価値観の問題ではなく、性器周辺の映像そのものが完全に締め出されていたわけだ。ヘアすら即NG、具体的に何かが見えてなくても陰部やお尻が修正される時代、性器を見せることはまるで犯罪に等しい風潮だった。
しかし、この番組の「裸族」放送は、そうした規制を打ち破ってしまった。この番組は、世界の各地の自然、人々の暮らしや文化などをドキュメンタリーとして伝えているのに、裸族だけそれをまげてパンツをはいてもらうわけにはいかないだろう。あくまで、事実をありのままに取材するためには、性器が映るのは避けられないはずだ。その性器にしても、いろんな加工方法がある、小さく前垂れをつける部族もいるし、ペニスにキャップのようなものをつけている部族、ペニスをそりあげて腰紐に結んでいる部族もいる。またアマゾン裸族は陰毛がほとんどわからないくらいうすい。したがって、女性たちの場合、つるつるのワレメがかなり露骨に見えている。女性が並んで歩いている場面などは、正直恥ずかしくて見てられないくらいだった。このように絶対にテレビに映らないはずのモノが「裸族」という抜け道により放送できてしまった。
日本人とインディオは同じ人間であり、裸や性器の映像に本来差別はないはずだ。なのに、日本人の性器は見せてはいけないが、裸族なら性器だって見せてもよいという理屈になる。それは文化や生活の違い、ドキュメンタリーとしての意義、それを見る視聴者の感じ方の違いなどから、見せてよいものと、見せてはならないものが総合的に判断され区別されることに他ならない。
現代の日本でも、性器表現は原則NGというスタンスは変わっていない。ただし、一部に例外は認められている。その例外のひとつが「日常生活を裸で暮らす人々についての映像」についてなのだ。すなわち裸族フィルムは日本の税関でも問題にされることはない。こうした流れができたのは、裸族の性器映像がテレビで放送されることが当たり前だという日本人の感性がベースにあるからなんだろう。性器映像の放送の道を切り開いたこの番組の功績というのは、絶大なものがあったと思う。
番組で、世界の自然や人々の風習などをドキュメンタリーとして紹介していた。特に力を入れていたのが、アマゾン川流域のインディオの村の取材だった。取材班はジャングルを探検しながら、各地でインディオの部落に滞在し、彼らの生活の様子や儀式などの詳細を撮影している。これらの取材フィルムは世界的にも貴重な人類学の資料ともなっており、さまざまなところで引用もされている。彼らの多くは、ほとんど全裸に近い姿で生活をしていた。番組ではこのように日常生活を裸で暮らす人々のことをひとくくりに「裸族」と表現し、視聴者の好奇心をあおり、視聴率アップにつなげていたと考えられる。
当時の日本の事情を考えてみてほしい。アラン・ドロンがフリチンで海岸を走る映画がテレビで放送されていたけど、当然修正されていた。これは、ポルノかどうかという価値観の問題ではなく、性器周辺の映像そのものが完全に締め出されていたわけだ。ヘアすら即NG、具体的に何かが見えてなくても陰部やお尻が修正される時代、性器を見せることはまるで犯罪に等しい風潮だった。
しかし、この番組の「裸族」放送は、そうした規制を打ち破ってしまった。この番組は、世界の各地の自然、人々の暮らしや文化などをドキュメンタリーとして伝えているのに、裸族だけそれをまげてパンツをはいてもらうわけにはいかないだろう。あくまで、事実をありのままに取材するためには、性器が映るのは避けられないはずだ。その性器にしても、いろんな加工方法がある、小さく前垂れをつける部族もいるし、ペニスにキャップのようなものをつけている部族、ペニスをそりあげて腰紐に結んでいる部族もいる。またアマゾン裸族は陰毛がほとんどわからないくらいうすい。したがって、女性たちの場合、つるつるのワレメがかなり露骨に見えている。女性が並んで歩いている場面などは、正直恥ずかしくて見てられないくらいだった。このように絶対にテレビに映らないはずのモノが「裸族」という抜け道により放送できてしまった。
日本人とインディオは同じ人間であり、裸や性器の映像に本来差別はないはずだ。なのに、日本人の性器は見せてはいけないが、裸族なら性器だって見せてもよいという理屈になる。それは文化や生活の違い、ドキュメンタリーとしての意義、それを見る視聴者の感じ方の違いなどから、見せてよいものと、見せてはならないものが総合的に判断され区別されることに他ならない。
現代の日本でも、性器表現は原則NGというスタンスは変わっていない。ただし、一部に例外は認められている。その例外のひとつが「日常生活を裸で暮らす人々についての映像」についてなのだ。すなわち裸族フィルムは日本の税関でも問題にされることはない。こうした流れができたのは、裸族の性器映像がテレビで放送されることが当たり前だという日本人の感性がベースにあるからなんだろう。性器映像の放送の道を切り開いたこの番組の功績というのは、絶大なものがあったと思う。
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