珍場面ブログ
ホームページ「おちんちん映画リスト」と連携して情報の発信を行います。新ネタなどありましたら、随時記事にあげていきます。ホームページからの投稿も継続してお願いします。
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水浴びをする男たち(2) 「Dearフレンズ」
川遊びで全裸で水に飛び込んだ男たちは、まったく無防備だ。川岸に置いている服がなくなったら、困るだろうね。そのみっともなさといったら、あったものじゃない。川遊びで服を持っていくのは、決まって女の子たちみたいだね。そんな場面のある映画をいくつか紹介しよう。
「Dearフレンズ」(1995アメリカ映画)には子供の頃の回想シーンがある。女の子たちが川に行くと、悪がき4人組が全裸で川遊びをしているのを発見する。女の子たちは、男の子たちに対する復讐として、服を持って逃げてしまうのだ。男の子たちも必死に前を隠しながら走るのだけど、ちょっとおちんちんが見えている瞬間もあり。楽しく川で遊んでいるのに、服がなくなったら悲劇だよね。確執する男子グループと女子グループの戦いみたいな構図だけど、女の子たちのやることといったら、結構残酷だなと思う。
アジアでもよく似たようなことがある。「トントンの夏休み」(1984台湾映画)は田舎に遊びにいく都会の少年と妹の物語。地元の少年たちと川遊びを楽しむトントン。しかし女の子はだめだと妹のティンティンは仲間はずれにされる。悔しさのあまり、この妹は遊んでいる少年たちの服を川に捨てて流してしまう。やってくれたよ。さて全裸の少年たちは、大事なものを必死に隠しながら、家まで帰っていくこことになるわけだ。こちらは妹の、兄(とその友達)に対する嫉妬心という内容になっている。
さらに母子関係で服の持ち去り事件を描いた映画もあるよ。「De Witte」(1980年ベルギー映画)は残念ながら日本では公開されていない。こちらは、小川で遊ぶ子供たちの姿が描かれている。おちんちんという点では、小学校高学年から中学生くらいの立派なものが結構見える映画だ。子供たちが遊び終わって服を着始める頃、主人公の母親が息子を探しにやってくる。見つかってはまずいと主人公は影に身をひそめるのだけど、母親は息子の服を見つけて持って帰ってしまう。全裸で帰路に着く少年を、村の人たちが笑ってからかう場面があるが、少年の羞恥心は極度に達しており、深刻そうで笑えないんだな。
まあ、子供なら裸で歩いても恥ずかしいだけで、警察に連行されることはないだろう。毛が生えた後になってから、こういう目にあったら、やっぱきついだろうね。青春おばか映画では、そういう場面もちゃんと作ってあるものだ。グローイング・アップ2/ゴーイング・ステディ(1979イスラエル映画)では、女の子をナンパしようとドライブに出かける。こちらは川ではなく真っ暗な夜の海岸。服を脱いで素っ裸で海の中へまっしぐらと入っていく3人組。気持ちいいからおいでよといっても、女の子たちはいやがっている。そこへバイク軍団がやってくる。女の子たちはこれ幸いとバイク軍団に乗り換え。おばか3人組の服をしっかり持っていってしまうのだ。全裸で深夜の町の中を帰るみじめな3人組だった。
「Dearフレンズ」(1995アメリカ映画)には子供の頃の回想シーンがある。女の子たちが川に行くと、悪がき4人組が全裸で川遊びをしているのを発見する。女の子たちは、男の子たちに対する復讐として、服を持って逃げてしまうのだ。男の子たちも必死に前を隠しながら走るのだけど、ちょっとおちんちんが見えている瞬間もあり。楽しく川で遊んでいるのに、服がなくなったら悲劇だよね。確執する男子グループと女子グループの戦いみたいな構図だけど、女の子たちのやることといったら、結構残酷だなと思う。
アジアでもよく似たようなことがある。「トントンの夏休み」(1984台湾映画)は田舎に遊びにいく都会の少年と妹の物語。地元の少年たちと川遊びを楽しむトントン。しかし女の子はだめだと妹のティンティンは仲間はずれにされる。悔しさのあまり、この妹は遊んでいる少年たちの服を川に捨てて流してしまう。やってくれたよ。さて全裸の少年たちは、大事なものを必死に隠しながら、家まで帰っていくこことになるわけだ。こちらは妹の、兄(とその友達)に対する嫉妬心という内容になっている。
さらに母子関係で服の持ち去り事件を描いた映画もあるよ。「De Witte」(1980年ベルギー映画)は残念ながら日本では公開されていない。こちらは、小川で遊ぶ子供たちの姿が描かれている。おちんちんという点では、小学校高学年から中学生くらいの立派なものが結構見える映画だ。子供たちが遊び終わって服を着始める頃、主人公の母親が息子を探しにやってくる。見つかってはまずいと主人公は影に身をひそめるのだけど、母親は息子の服を見つけて持って帰ってしまう。全裸で帰路に着く少年を、村の人たちが笑ってからかう場面があるが、少年の羞恥心は極度に達しており、深刻そうで笑えないんだな。
まあ、子供なら裸で歩いても恥ずかしいだけで、警察に連行されることはないだろう。毛が生えた後になってから、こういう目にあったら、やっぱきついだろうね。青春おばか映画では、そういう場面もちゃんと作ってあるものだ。グローイング・アップ2/ゴーイング・ステディ(1979イスラエル映画)では、女の子をナンパしようとドライブに出かける。こちらは川ではなく真っ暗な夜の海岸。服を脱いで素っ裸で海の中へまっしぐらと入っていく3人組。気持ちいいからおいでよといっても、女の子たちはいやがっている。そこへバイク軍団がやってくる。女の子たちはこれ幸いとバイク軍団に乗り換え。おばか3人組の服をしっかり持っていってしまうのだ。全裸で深夜の町の中を帰るみじめな3人組だった。
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水浴びをする男たち(1) 「絵の中の僕の村」
水遊びをする男の子はよく映画に表現されるよね。水着を着て川や湖で遊ぶというのもありなんだろうけど、それはあらかじめそうするぞと準備してきた場合の話しだよね。いつもみんなが水着を持って歩いているわけでもないわけだから、いざ水に入って遊ぼうと思うのなら、服を全部脱いでしまうのが自然じゃないだろうか。水浴びをする少年の姿が全裸というのは、映画では結構多いと思う。
そうした太陽の下で全裸になることは、他人のおちんちんを観察するという体験でもあり、また男の子と女の子の体や違いを確認する場であったりすると考えるべきなのではないか。水遊びの場面を盛り込んだ映画は、いろいろあるのだけど、撮影の仕方、見せ方はかなり違っているね。
まずおちんちんそのものがよく見えるということでおすすめの映画は、東陽一監督の「絵の中の僕の村」。主人公の双子を中心に、複数の少年たちが全裸で泳いでいる場面がある。特に川の中で全裸で立っている双子はかなりはっきりと見せている。さりげなさが感じられず、かなり露骨な見せ方をしているように思われる。
海外でも水浴びをする男の子はよく出てくる。「略奪の大地」(1988ブルガリア)では、おちんちんをアップで映した場面がある。これは、水遊びそのものよりもおちんちんそのものを見せることに目的がありそうだ。また「来来!キョンシーズ」(台湾TV)では、おちんちんをえさにして魚やカニを釣るというちょっと変わった川遊びの場面があったりする。これはおちんちん芸で笑いをとろうとする努力の見える作品だ。
一方「草ぶきの学校」(1999中国)とか「日曜日のピュ」(1994スウェーデン)などは、全裸で泳ぐ場面を描いているのに、おちんちんそのものは見せなかったり、隠すような撮影になっているね。
中にはパンツをはいた川遊びという映画もある。有名な「風の又三郎」は何作か映画があるが、基本的にパンツ着用。一部年少の子で全裸という版もあったようだけど。子供向け映画として結構ガードが固いようだ。「若葉学園物語」も川では原則パンツ(厳密にはふんどし)着用となっている。ただし年少の子はフリチンではしゃぎまわっているので、こちらは年齢に配慮した形での撮影をしたものだと思われる。
さて、男の子と女の子の水遊びを扱った作品もいくつかある。斉藤貞郎監督の「子供のころ戦争があった」では、アメリカ人ハーフの女の子とのツーショットになっている。この映画はもともとパンツ着用の川遊びだったんだけど、脱げてしまって、隠していたものがあらわになる。女の子は「なんで私にはおちんちんがないの?」と聞いてくる。主人公の股に変なものが飛び出していたので、びっくりしたんだろうか。しかし、そんなこと聞かれても答えようがないよね。「女の子にはおちんちんはないの!」答えになっているかな~? これらは、川遊びをきっかけに男女の体の違いを発見するという方向につながっている。
そうした太陽の下で全裸になることは、他人のおちんちんを観察するという体験でもあり、また男の子と女の子の体や違いを確認する場であったりすると考えるべきなのではないか。水遊びの場面を盛り込んだ映画は、いろいろあるのだけど、撮影の仕方、見せ方はかなり違っているね。
まずおちんちんそのものがよく見えるということでおすすめの映画は、東陽一監督の「絵の中の僕の村」。主人公の双子を中心に、複数の少年たちが全裸で泳いでいる場面がある。特に川の中で全裸で立っている双子はかなりはっきりと見せている。さりげなさが感じられず、かなり露骨な見せ方をしているように思われる。
海外でも水浴びをする男の子はよく出てくる。「略奪の大地」(1988ブルガリア)では、おちんちんをアップで映した場面がある。これは、水遊びそのものよりもおちんちんそのものを見せることに目的がありそうだ。また「来来!キョンシーズ」(台湾TV)では、おちんちんをえさにして魚やカニを釣るというちょっと変わった川遊びの場面があったりする。これはおちんちん芸で笑いをとろうとする努力の見える作品だ。
一方「草ぶきの学校」(1999中国)とか「日曜日のピュ」(1994スウェーデン)などは、全裸で泳ぐ場面を描いているのに、おちんちんそのものは見せなかったり、隠すような撮影になっているね。
中にはパンツをはいた川遊びという映画もある。有名な「風の又三郎」は何作か映画があるが、基本的にパンツ着用。一部年少の子で全裸という版もあったようだけど。子供向け映画として結構ガードが固いようだ。「若葉学園物語」も川では原則パンツ(厳密にはふんどし)着用となっている。ただし年少の子はフリチンではしゃぎまわっているので、こちらは年齢に配慮した形での撮影をしたものだと思われる。
さて、男の子と女の子の水遊びを扱った作品もいくつかある。斉藤貞郎監督の「子供のころ戦争があった」では、アメリカ人ハーフの女の子とのツーショットになっている。この映画はもともとパンツ着用の川遊びだったんだけど、脱げてしまって、隠していたものがあらわになる。女の子は「なんで私にはおちんちんがないの?」と聞いてくる。主人公の股に変なものが飛び出していたので、びっくりしたんだろうか。しかし、そんなこと聞かれても答えようがないよね。「女の子にはおちんちんはないの!」答えになっているかな~? これらは、川遊びをきっかけに男女の体の違いを発見するという方向につながっている。
子供のお仕置き
子供が悪いことをした場合、それが悪いということをわからせるために親は罰を与えることがある。
僕が子供の頃の話。近所の年下の子が着替えている最中に、パンツ一丁のままふざけてたところ、お母さんから叱られて、玄関の外に締め出されてしまっていた。その子は、結構恥ずかしそうで、家に入りたいとお母さんを呼んでいた。しばらく遊んでそこに戻ると、その子はまだパンツ一丁のまま、玄関の前で座り込んでいた。まあ、こういう光景もたまにはあるものだ。パンツ一丁でいることは悪いことだということを教える目的だったんだろうね。それなりに効果はあったみたいだった。
パンツ一丁なら、まだかわいいもんだけど、パンツを脱がせて晒し者にするというのは、ちょっと洒落にならない感じがする。幼児ならともなく、小学生くらいになるとなおさら厳しいね。実際に香港映画「リトル・チュン」では、そういう場面も出てきた。主人公のチュンは子供らしさを持ちながら、大人の世界のいろんな問題が見えてくる年頃。父親に反発して、家出をしたりするのだけど、結局は連れ戻されてしまう。お父さんは、チュンのパンツを脱がすと店の前の台の上に立たせてしまう。チュンは、そこで泣きながらオペラを歌ったり、そのままの格好で放尿をしたり。家出は二度としてはいけないと理解させるための、親の子に対する押し置きとみるべきか、それとも児童虐待か。フリチンで街頭に立たされるという罰から、少年がいったい何を学ぶんだろうかと考えると、やはり単に父親の横暴さを確信するだけじゃないだろうか。
映画の外で実際の世の中の話として、中国の蘇州で全裸の少年を自転車に乗せて市内を引き回していた父親の記事とか出ていた。
http://www.recordchina.co.jp/group/g9231.html
ほかにも、中国では腰布一枚の裸にして子供を町の中で晒し者にしていた親を警察が注意しているニュースとかもあったね。いろんな人がいるみたい。
僕が子供の頃の話。近所の年下の子が着替えている最中に、パンツ一丁のままふざけてたところ、お母さんから叱られて、玄関の外に締め出されてしまっていた。その子は、結構恥ずかしそうで、家に入りたいとお母さんを呼んでいた。しばらく遊んでそこに戻ると、その子はまだパンツ一丁のまま、玄関の前で座り込んでいた。まあ、こういう光景もたまにはあるものだ。パンツ一丁でいることは悪いことだということを教える目的だったんだろうね。それなりに効果はあったみたいだった。
パンツ一丁なら、まだかわいいもんだけど、パンツを脱がせて晒し者にするというのは、ちょっと洒落にならない感じがする。幼児ならともなく、小学生くらいになるとなおさら厳しいね。実際に香港映画「リトル・チュン」では、そういう場面も出てきた。主人公のチュンは子供らしさを持ちながら、大人の世界のいろんな問題が見えてくる年頃。父親に反発して、家出をしたりするのだけど、結局は連れ戻されてしまう。お父さんは、チュンのパンツを脱がすと店の前の台の上に立たせてしまう。チュンは、そこで泣きながらオペラを歌ったり、そのままの格好で放尿をしたり。家出は二度としてはいけないと理解させるための、親の子に対する押し置きとみるべきか、それとも児童虐待か。フリチンで街頭に立たされるという罰から、少年がいったい何を学ぶんだろうかと考えると、やはり単に父親の横暴さを確信するだけじゃないだろうか。
映画の外で実際の世の中の話として、中国の蘇州で全裸の少年を自転車に乗せて市内を引き回していた父親の記事とか出ていた。
http://www.recordchina.co.jp/group/g9231.html
ほかにも、中国では腰布一枚の裸にして子供を町の中で晒し者にしていた親を警察が注意しているニュースとかもあったね。いろんな人がいるみたい。
皮はどれだけ伸びるか 「セーヌの死」
おちんちんの映画を話題にしていて、どうしてもとりあげておきたい作品をひとつ紹介しよう。それは、残念ながら日本では公開されてないのだけど、ピーター・グリーナウェイ監督の「セーヌの死」(Death in the Seine)だ。
この映画は、セーヌ川にあがった死体の物語なのだ。水から死体は引き上げられ、検視官によって、さまざまな調査や記録がとられていく。遺族が集まってくる場合もある。さて、死体は調べられたり、洗われたりするわけだけど、当然着ている服は必要ないし、むしろ邪魔になるといってもよい。ひどい場合はハサミで服を切らないと脱がせられない場合もあったりする。そうして生まれたときと同じ状態にされる。
そんな死体がたくさん出てくるのだけど、ゴムなどで作った人形なんて使わない。映っているのは死体という役を拝命した役者またはエキストラたちだ。考えてみるとこの撮影は、結構過酷だと思うね。なぜなら、死体を演じる人は、撮影されているあいだじっとして動いてはいけないからだ。特に目をあけたままの死体の場合は、瞬きをしちゃいけないし、眼球がカメラを追いかけたりしてもいけないよね。これはテクニックがいると思う。まあ、そうは言うもののよく見ると実際には手とか足とかが揺れたりするのが見えるね。息をしちゃいけないなどとは言えないだろうし、微妙に体が動くのはやっぱり避けられないのだろう。
ドラマなどでも、全裸死体とか出てくることがあるけど、うつぶせにしたりしてお尻だけ見せるなどの対応をすることが多い。しかし、この映画は、きれいに洗浄された死体を観察する場面なのだから、体は仰向け、そしてカメラはそれを足から頭に向けて動いていって、それぞれの体の部分をアップに近い状態で撮影する。死体は自分の意志で前を隠すことはありえないから、おちんちんは正面からくっきりごく自然に見えることになる。少年から老人まで、さまざまなタイプの死体が映っていて、これは結構見ごたえがあるよ。ただしカラーじゃない。これらの死体はわざと白黒のフィルムに収められており、見ていると本当に物みたいな静的な印象が伝わってくる。
さて、この中で、一番つらそうだなと思った死体がいる。それは体中泥まみれの死体だった。検視官たちが、水をかけながらその体から泥を洗い落とそうとしている。死体は結構雑な扱いをされている。裸で寝かされて、あかすりというわけではないけど、水をかけられたり、たわしでこすられたりすれば普通の人だとかなり感じると思われる。そこで体をそらしたりしたらNGになるだろうね。検視官が股間の洗浄をはじめると、おちんちんがどうも邪魔になるみたい。検視官は皮の先っちょいと指でつまんで、ぎゅっと引っ張りあげた。皮は柔軟ですごくのびている光景がすごいね。おちんちんを引っ張って伸ばしたまま、腹や股のまわりを洗われている。いくらなんでもくすぐったいだろうなと見ている方がひやひやしてしまう映像だった。おちんちんをこねくり回されて、勃起したりしないのかなと心配になったり。死体になりきってひたすら耐える演技、すごいね。
この映画は、セーヌ川にあがった死体の物語なのだ。水から死体は引き上げられ、検視官によって、さまざまな調査や記録がとられていく。遺族が集まってくる場合もある。さて、死体は調べられたり、洗われたりするわけだけど、当然着ている服は必要ないし、むしろ邪魔になるといってもよい。ひどい場合はハサミで服を切らないと脱がせられない場合もあったりする。そうして生まれたときと同じ状態にされる。
そんな死体がたくさん出てくるのだけど、ゴムなどで作った人形なんて使わない。映っているのは死体という役を拝命した役者またはエキストラたちだ。考えてみるとこの撮影は、結構過酷だと思うね。なぜなら、死体を演じる人は、撮影されているあいだじっとして動いてはいけないからだ。特に目をあけたままの死体の場合は、瞬きをしちゃいけないし、眼球がカメラを追いかけたりしてもいけないよね。これはテクニックがいると思う。まあ、そうは言うもののよく見ると実際には手とか足とかが揺れたりするのが見えるね。息をしちゃいけないなどとは言えないだろうし、微妙に体が動くのはやっぱり避けられないのだろう。
ドラマなどでも、全裸死体とか出てくることがあるけど、うつぶせにしたりしてお尻だけ見せるなどの対応をすることが多い。しかし、この映画は、きれいに洗浄された死体を観察する場面なのだから、体は仰向け、そしてカメラはそれを足から頭に向けて動いていって、それぞれの体の部分をアップに近い状態で撮影する。死体は自分の意志で前を隠すことはありえないから、おちんちんは正面からくっきりごく自然に見えることになる。少年から老人まで、さまざまなタイプの死体が映っていて、これは結構見ごたえがあるよ。ただしカラーじゃない。これらの死体はわざと白黒のフィルムに収められており、見ていると本当に物みたいな静的な印象が伝わってくる。
さて、この中で、一番つらそうだなと思った死体がいる。それは体中泥まみれの死体だった。検視官たちが、水をかけながらその体から泥を洗い落とそうとしている。死体は結構雑な扱いをされている。裸で寝かされて、あかすりというわけではないけど、水をかけられたり、たわしでこすられたりすれば普通の人だとかなり感じると思われる。そこで体をそらしたりしたらNGになるだろうね。検視官が股間の洗浄をはじめると、おちんちんがどうも邪魔になるみたい。検視官は皮の先っちょいと指でつまんで、ぎゅっと引っ張りあげた。皮は柔軟ですごくのびている光景がすごいね。おちんちんを引っ張って伸ばしたまま、腹や股のまわりを洗われている。いくらなんでもくすぐったいだろうなと見ている方がひやひやしてしまう映像だった。おちんちんをこねくり回されて、勃起したりしないのかなと心配になったり。死体になりきってひたすら耐える演技、すごいね。
母性とおちんちんの関係 「てやんでいBaby」
さて、かわいい男の子の裸をみたとき、女性としては母性をくすぐられてしまうものなのだろうか。
僕がまだ3歳くらいのとき、親戚のおばさんのところのいとこがまだ赤ちゃんだった。おしめかえる場面をよく見ていたのだけど、そのときに、おばさんは赤ちゃんのおちんちんをつんつんして遊んでいた。おばさんは、僕にもやってみろといって、一緒に赤ちゃんのおちんちんをつんつんしてみた。それは、やわらかくて不思議なものだったし、すごくかわいかったと思う。つんつんされる方は当然記憶に残っているはずもなし。こんな風に、お母さんが子供の裸をみると、やっぱり前に出ているものはちょっと触ってみたいというのが普通の気持ちになんだろうね。
赤ちゃんが主人公というお話は、「てやんでいBaby」(1996)。とみざわ千夏の漫画を実写化したものだ。実はこの赤ちゃん、死んだやくざの生まれ変わり。しかもやくざの記憶をそのまま引きずっているので、まるで赤ちゃんに変身した大人のようなものだ。だから、周囲の人たちのやることにいちいちつっこみをいれたり、おっぱいの感触を楽しんだりしている。これがなかなか面白い。さて、あるとき遊びにきたお姉さんが留守番をすることになった。いざおしめを換えなくてはならなくなるのだけど、お姉さんとしてはおしめを換えるついでに、やっぱ大事なものをつんつんとやってしまうんだね。赤ちゃん側も「姉さん、そんなことしちゃいけません・・・」とか頭の中では思って焦ってるのだけど、なんせ赤ちゃんなので話せない。結局はされるがまま。
そういうおちんちんをめぐるお母さんの行動を、もっと大胆に描写した映画がある。こちらは日本では公開されてないけど、アラビア語圏の映画で「ハルファウイン(Halfaouine)」(1990)という。主人公はそろそろ思春期にさしかかった男の子。しかし、僕はまだ子供だからとばかりに女湯に入っていってしまう。どきどきしながら女湯を探検する主人公は、覗きをする男のそのもの。この主人公はお風呂の中でパンツを脱ぐことはない。さて、その女湯の中にはお母さんと一緒にお風呂にきた男の子なども映っている。全裸で仰向けにして体を洗われる男の子のおちんちんはすごく小さくて、かわいいのだろうね。このお母さんは指でおちんちんをきゅっとつまんで楽しそうしている。そこにあるから、つまんでみる。そういう感覚なのか。
しかしよく考えてみたら、映画で出てくる日本のお母さんはもっと大胆だったりする。大島渚監督の「愛のコリーダ」(1976)では、全裸で走り回る男の子をつかまえようと、おちんちんをしっかりつかんでしまう場面がある。男の子は痛くて逃げられなくなる。ここまでなると、つんつんしているレベルではない。これが虐待描写だと問題になったこともあったとかいう話も聞く。
さらに、新藤兼人監督の「落葉樹」(1986)という白黒映画では、おちんちんにキスをするお母さんが描かれているね。お母さんと男の子と一緒にお風呂に入る場面はありだけど、いくらなんでもおちんちんに口をあてるのはまずいだろうに。きっとマザコンになっちゃうだろうね。さて、こんな場面を撮影される子役もたいへんだよね。似たようなシーンを何度か撮影させられているようだし、カットによってはおちんちんが硬くなったりもしている。おちんちんをターゲットにした描写なんだから、無理もないか。
僕がまだ3歳くらいのとき、親戚のおばさんのところのいとこがまだ赤ちゃんだった。おしめかえる場面をよく見ていたのだけど、そのときに、おばさんは赤ちゃんのおちんちんをつんつんして遊んでいた。おばさんは、僕にもやってみろといって、一緒に赤ちゃんのおちんちんをつんつんしてみた。それは、やわらかくて不思議なものだったし、すごくかわいかったと思う。つんつんされる方は当然記憶に残っているはずもなし。こんな風に、お母さんが子供の裸をみると、やっぱり前に出ているものはちょっと触ってみたいというのが普通の気持ちになんだろうね。
赤ちゃんが主人公というお話は、「てやんでいBaby」(1996)。とみざわ千夏の漫画を実写化したものだ。実はこの赤ちゃん、死んだやくざの生まれ変わり。しかもやくざの記憶をそのまま引きずっているので、まるで赤ちゃんに変身した大人のようなものだ。だから、周囲の人たちのやることにいちいちつっこみをいれたり、おっぱいの感触を楽しんだりしている。これがなかなか面白い。さて、あるとき遊びにきたお姉さんが留守番をすることになった。いざおしめを換えなくてはならなくなるのだけど、お姉さんとしてはおしめを換えるついでに、やっぱ大事なものをつんつんとやってしまうんだね。赤ちゃん側も「姉さん、そんなことしちゃいけません・・・」とか頭の中では思って焦ってるのだけど、なんせ赤ちゃんなので話せない。結局はされるがまま。
そういうおちんちんをめぐるお母さんの行動を、もっと大胆に描写した映画がある。こちらは日本では公開されてないけど、アラビア語圏の映画で「ハルファウイン(Halfaouine)」(1990)という。主人公はそろそろ思春期にさしかかった男の子。しかし、僕はまだ子供だからとばかりに女湯に入っていってしまう。どきどきしながら女湯を探検する主人公は、覗きをする男のそのもの。この主人公はお風呂の中でパンツを脱ぐことはない。さて、その女湯の中にはお母さんと一緒にお風呂にきた男の子なども映っている。全裸で仰向けにして体を洗われる男の子のおちんちんはすごく小さくて、かわいいのだろうね。このお母さんは指でおちんちんをきゅっとつまんで楽しそうしている。そこにあるから、つまんでみる。そういう感覚なのか。
しかしよく考えてみたら、映画で出てくる日本のお母さんはもっと大胆だったりする。大島渚監督の「愛のコリーダ」(1976)では、全裸で走り回る男の子をつかまえようと、おちんちんをしっかりつかんでしまう場面がある。男の子は痛くて逃げられなくなる。ここまでなると、つんつんしているレベルではない。これが虐待描写だと問題になったこともあったとかいう話も聞く。
さらに、新藤兼人監督の「落葉樹」(1986)という白黒映画では、おちんちんにキスをするお母さんが描かれているね。お母さんと男の子と一緒にお風呂に入る場面はありだけど、いくらなんでもおちんちんに口をあてるのはまずいだろうに。きっとマザコンになっちゃうだろうね。さて、こんな場面を撮影される子役もたいへんだよね。似たようなシーンを何度か撮影させられているようだし、カットによってはおちんちんが硬くなったりもしている。おちんちんをターゲットにした描写なんだから、無理もないか。
相撲少年は裸でOK
「おかあさんといっしょ」では、幼児のおちんちんは全く問題しとして放送したNHK。小学生くらいになると人前でおちんちんを見せるのはちょっと恥ずかしくなってくる。基準の厳しそうなNHKは、この小学生のおちんちんをどう判断しているのだろう。ドラマシリーズで放送された「ユタと不思議な仲間たち」では、お風呂で主人公がふざけている場面でおちんちんがちょっと映っている。そうは言ってもこれは湯気の中なので、形が多少かすんで見える工夫がされていた。
NHKが小学生のおちんちんを明確に放送した番組は、毎年行われる「わんぱく相撲全国大会」ではないだろうか。出場するのは4年生~6年生。相撲部屋合宿で、ちゃんこを食べる場面などはもちろんあるのだけど、力士と一緒にお風呂に入る場面も以前は恒例のように放送されていた。人前で裸になることに、それほど抵抗のないわんぱく力士たちは、当然前を隠したりするはずもなく、全国放送でそのおちんちんを堂々を公開してしまうことになる。各地区の代表選手として勝ち抜いてきたわんぱく力士は、顔も名前も公然のものとなるわけだし、テレビでおちんちんを見られちゃって、ほんとうに大丈夫かな~とちょっと心配になった。温泉中継で誰ともわからない子のおちんちんが映ってしまったというのとわけが違うからね。それでも、小学生の場合は、あくまで子供のおちんちんであるから、それが誰のおちんちんであろうが放送上の問題にならないということなんだろうね。
そうしたNHKの判断があったためか、他局でも小学生くらいの相撲少年は問題なく放送していたのが実態だろう。相撲少年のおちんちん放送で伝説となったのは、「天才たけしの元気のでるテレビ」の青森の少年。お風呂の場面では、一応手で前を隠そうとしているけど、あまり真剣に手を伸ばしてないので、おちんちんは丸見えになっていた。そのうち隠すことすらせず、堂々とフリチン姿をさらしている。高田順二が「自慢のモノを隠しなさい」と注意していたくらいだ。5年生のときのインタビューでは、あそこに毛が生えたかという質問に、恥ずかしそうに答えさせる場面があったり。素人を巻き込んで下ネタを楽しめるのどかな時代だったんだね。ちなみに、この番組は日本テレビ系列だった。
相撲少年についての比較的最近の放送では、フジテレビ系列の「さんま大先生が行く」で姫路の相撲教室が取り上げられたことがあった。相撲の稽古のあとは、銭湯に行ってさんま先生とみんなで仲良く裸の交流を行った。みんなで一列に並んで背中を流している様子がカメラが移動しながら映しているが、ところどころおちんちんが見えてたり。
しかし、一方で、最近はそれとは違う対応をとる局も出てきている。テレビ東京の「元祖でぶや」が伊勢でロケをしたときのこと。番組の中で、相撲少年のお宅にお伺いし、家のお風呂に、パパイヤ鈴木と相撲少年が一緒に入るという場面があった。このときは、カメラに映ったおちんちんにしっかりぼかしが入っていた。昔だったらちょっと考えられない映像だったと思う。子供なのにぼかしが入ると不自然で、かえっていやらしく見えてしまう。ちょっと後味の悪い絵だったね。もし見せてはらないと判断したのなら、おちんちんが映っている場面そのものをカットして、楽しそうなお風呂の場面だけにすればいいんじゃないのかな。
NHKが小学生のおちんちんを明確に放送した番組は、毎年行われる「わんぱく相撲全国大会」ではないだろうか。出場するのは4年生~6年生。相撲部屋合宿で、ちゃんこを食べる場面などはもちろんあるのだけど、力士と一緒にお風呂に入る場面も以前は恒例のように放送されていた。人前で裸になることに、それほど抵抗のないわんぱく力士たちは、当然前を隠したりするはずもなく、全国放送でそのおちんちんを堂々を公開してしまうことになる。各地区の代表選手として勝ち抜いてきたわんぱく力士は、顔も名前も公然のものとなるわけだし、テレビでおちんちんを見られちゃって、ほんとうに大丈夫かな~とちょっと心配になった。温泉中継で誰ともわからない子のおちんちんが映ってしまったというのとわけが違うからね。それでも、小学生の場合は、あくまで子供のおちんちんであるから、それが誰のおちんちんであろうが放送上の問題にならないということなんだろうね。
そうしたNHKの判断があったためか、他局でも小学生くらいの相撲少年は問題なく放送していたのが実態だろう。相撲少年のおちんちん放送で伝説となったのは、「天才たけしの元気のでるテレビ」の青森の少年。お風呂の場面では、一応手で前を隠そうとしているけど、あまり真剣に手を伸ばしてないので、おちんちんは丸見えになっていた。そのうち隠すことすらせず、堂々とフリチン姿をさらしている。高田順二が「自慢のモノを隠しなさい」と注意していたくらいだ。5年生のときのインタビューでは、あそこに毛が生えたかという質問に、恥ずかしそうに答えさせる場面があったり。素人を巻き込んで下ネタを楽しめるのどかな時代だったんだね。ちなみに、この番組は日本テレビ系列だった。
相撲少年についての比較的最近の放送では、フジテレビ系列の「さんま大先生が行く」で姫路の相撲教室が取り上げられたことがあった。相撲の稽古のあとは、銭湯に行ってさんま先生とみんなで仲良く裸の交流を行った。みんなで一列に並んで背中を流している様子がカメラが移動しながら映しているが、ところどころおちんちんが見えてたり。
しかし、一方で、最近はそれとは違う対応をとる局も出てきている。テレビ東京の「元祖でぶや」が伊勢でロケをしたときのこと。番組の中で、相撲少年のお宅にお伺いし、家のお風呂に、パパイヤ鈴木と相撲少年が一緒に入るという場面があった。このときは、カメラに映ったおちんちんにしっかりぼかしが入っていた。昔だったらちょっと考えられない映像だったと思う。子供なのにぼかしが入ると不自然で、かえっていやらしく見えてしまう。ちょっと後味の悪い絵だったね。もし見せてはらないと判断したのなら、おちんちんが映っている場面そのものをカットして、楽しそうなお風呂の場面だけにすればいいんじゃないのかな。
画面に大写し 「イタリア式恋人アタック作戦」
これはちょっと古い映画だけど、テレビのロードショーで放送された映画だ。「イタリア式恋人アタック作戦」1972年のイタリア映画。
この映画を見たのは子供の頃、水曜日あたりのロードショーだったと思う。映画自体はラブコメディで、今考えると子供が見るような内容じゃなかったね。主人公はジュリアーノ・ジェンマ。硬派のギャングもののイメージはあるけど、こんなずっこけコメディというのはかえって印象が強かったかも。乳搾りをしている主人公は、まちがってオスのペニスを絞ってしまったり。使用人をしている先では、奥さんからは若い男としてくどかれそうになる。一方、主人のところに行くと、マッサージを頼まれる。足からしだいに股間の方をこするように言われ、ご主人も男同士で口説こうとしてたんだね。結局、嫌気がさして主人公は逃げ出してしまう。
さて、この映画で見られるおちんちんは2本。町の中を行進する修道院の人たちに、ベランダからおしっこをする幼児。そうしてもう1本は、子供時代の主人公だ。修道院の中で、子供たちは紐をむすんで列車ごっこしていた。楽しそうに遊んでいるのだけど、シスターがやってきて、列車をごっこで遊ぶ主人公を見て気絶しそうになる。実は、主人公は好きな女の子と一緒に「連結器でつなごう」といって、おちんちんを出したところだった。シスターはそんなおちんちんを使った遊びをみて、仰天したんだね。当時の僕には、連結器の意味が理解できてかどうかは、ちょっと思いだせない。どっちにしても、こういう展開なんだから、おちんちんが映るのかなと思ってみてたら、カメラは期待通りにおちんちんを映し出した、というかズームで寄っておちんちんが画面に大映しになってしまった。それまで映画ではおちんちん自体をほとんど見たことがなかったし、ましてこんなでかでかと見えるとは想像もしてなかったので、しっかり脳裏に焼きついてしまった。それは自分のと同じで皮がかむった棒状の形だったんだけど、やけに長さがあって、明らかに自分のより大きい思ったね。
実は長い間、この映画のタイトルがわからなかった。古い映画なので、ビデオなども見つからなかったし、確認ができなかったんだ。覚えているキーワードは、修道院(孤児院)、天使、列車ごっこ、おちんちんのアップなど。ただしジュリアーノ・ジェンマだけは確実だと思ってた。いろいろと検索して探した結果、30年ぶりにこのタイトルを探しあてることができた。
この映画を見たのは子供の頃、水曜日あたりのロードショーだったと思う。映画自体はラブコメディで、今考えると子供が見るような内容じゃなかったね。主人公はジュリアーノ・ジェンマ。硬派のギャングもののイメージはあるけど、こんなずっこけコメディというのはかえって印象が強かったかも。乳搾りをしている主人公は、まちがってオスのペニスを絞ってしまったり。使用人をしている先では、奥さんからは若い男としてくどかれそうになる。一方、主人のところに行くと、マッサージを頼まれる。足からしだいに股間の方をこするように言われ、ご主人も男同士で口説こうとしてたんだね。結局、嫌気がさして主人公は逃げ出してしまう。
さて、この映画で見られるおちんちんは2本。町の中を行進する修道院の人たちに、ベランダからおしっこをする幼児。そうしてもう1本は、子供時代の主人公だ。修道院の中で、子供たちは紐をむすんで列車ごっこしていた。楽しそうに遊んでいるのだけど、シスターがやってきて、列車をごっこで遊ぶ主人公を見て気絶しそうになる。実は、主人公は好きな女の子と一緒に「連結器でつなごう」といって、おちんちんを出したところだった。シスターはそんなおちんちんを使った遊びをみて、仰天したんだね。当時の僕には、連結器の意味が理解できてかどうかは、ちょっと思いだせない。どっちにしても、こういう展開なんだから、おちんちんが映るのかなと思ってみてたら、カメラは期待通りにおちんちんを映し出した、というかズームで寄っておちんちんが画面に大映しになってしまった。それまで映画ではおちんちん自体をほとんど見たことがなかったし、ましてこんなでかでかと見えるとは想像もしてなかったので、しっかり脳裏に焼きついてしまった。それは自分のと同じで皮がかむった棒状の形だったんだけど、やけに長さがあって、明らかに自分のより大きい思ったね。
実は長い間、この映画のタイトルがわからなかった。古い映画なので、ビデオなども見つからなかったし、確認ができなかったんだ。覚えているキーワードは、修道院(孤児院)、天使、列車ごっこ、おちんちんのアップなど。ただしジュリアーノ・ジェンマだけは確実だと思ってた。いろいろと検索して探した結果、30年ぶりにこのタイトルを探しあてることができた。
おちんちん修正の問題
一昔前と今とではずいぶんとおちんちんの扱いがかわったと思う。
たとえば、子供のおちんちんというのは、公共のテレビで見えたからと言って、なんら問題はないと考えられていた。成人の場合は、ヘア、性器はもちろんだけど、女性乳首などもテレビに映るのはまずNGで、いわゆる裏モノ以外に成人男女の画像や動画をみるチャンスは原則としてなかったと思う。
子供の場合は、おそらく「性器」として成熟してないというのが根底の発想にあったのだと思う。それは見た目では毛が生えているかどうかになるので、小学校上級から中学生になると、テレビでのおちんちんの露出はかなり少なくなっていく。小学生上級くらいになると人前で裸になることに対する羞恥心が出てくることとも関係があるかもしれない。逆に、幼児については、成熟した性器になっていることは絶対になく、本人も裸になることは平気なため、裸の映像が比較的普通にテレビに出ていたと思う。もっともいい例がNHKの放送。おかあさんといっしょという子供向けの番組では、「はみがきクチュクチュ・・」とか、「パパッパパジャマ・・」とか歌にあわせてやってたけど、「おとうさんもはだかんぼう」というコーナーではお父さんと一緒にお風呂に入る企画もあった。お父さんの大事なモノは絶対に見せないけど、背中を流す男の子、女の子の方は普通に見えていたものだ。だいたい3・4歳児くらいだからまったく問題になるはずもなかった。
しかし最近のテレビとか見ると、子供たちのおちんちんが修正されていて、びっくりすることがあるね。もっともひどい場合だと、赤ちゃんのおむつを替える場面で、おちんちんに修正しているものもあった。赤ちゃんのおちんちんを見て、「これは性器だらか修正しないといけない」と誰が考えるのだろう。逆に今の日本では、昔と違って、大人たちのペニスは映画やDVDなどでいくらでも見られるようになっている。不思議に感じてしまった。
テレビから離れて、一般の場合でも変化があると思う。幼稚園・保育園児が多少人前で裸になるのは、以前は気にとめることもなかった。たとえば夏の期間は水浴びとかさせる場合があるが、一応水着は着させるのに、シャワーを浴びせたり、着替えをさせたりする場合は、屋外で素っ裸だったりする。少々見られたって減るもんじゃないし、どうってことなかった。
しかし最近、近くの公園の小児用プールは、夏になると塀が設置されて中の様子が見えないようにさえぎられている。これを見て、ほんと危険な時代になったのだと実感した。デジカメやビデオカメラを誰でも持っている時代だから、ちょっとでも見られてしまったら減ってしまう(損害を受ける)時代になったということなんだろうね。
たとえば、子供のおちんちんというのは、公共のテレビで見えたからと言って、なんら問題はないと考えられていた。成人の場合は、ヘア、性器はもちろんだけど、女性乳首などもテレビに映るのはまずNGで、いわゆる裏モノ以外に成人男女の画像や動画をみるチャンスは原則としてなかったと思う。
子供の場合は、おそらく「性器」として成熟してないというのが根底の発想にあったのだと思う。それは見た目では毛が生えているかどうかになるので、小学校上級から中学生になると、テレビでのおちんちんの露出はかなり少なくなっていく。小学生上級くらいになると人前で裸になることに対する羞恥心が出てくることとも関係があるかもしれない。逆に、幼児については、成熟した性器になっていることは絶対になく、本人も裸になることは平気なため、裸の映像が比較的普通にテレビに出ていたと思う。もっともいい例がNHKの放送。おかあさんといっしょという子供向けの番組では、「はみがきクチュクチュ・・」とか、「パパッパパジャマ・・」とか歌にあわせてやってたけど、「おとうさんもはだかんぼう」というコーナーではお父さんと一緒にお風呂に入る企画もあった。お父さんの大事なモノは絶対に見せないけど、背中を流す男の子、女の子の方は普通に見えていたものだ。だいたい3・4歳児くらいだからまったく問題になるはずもなかった。
しかし最近のテレビとか見ると、子供たちのおちんちんが修正されていて、びっくりすることがあるね。もっともひどい場合だと、赤ちゃんのおむつを替える場面で、おちんちんに修正しているものもあった。赤ちゃんのおちんちんを見て、「これは性器だらか修正しないといけない」と誰が考えるのだろう。逆に今の日本では、昔と違って、大人たちのペニスは映画やDVDなどでいくらでも見られるようになっている。不思議に感じてしまった。
テレビから離れて、一般の場合でも変化があると思う。幼稚園・保育園児が多少人前で裸になるのは、以前は気にとめることもなかった。たとえば夏の期間は水浴びとかさせる場合があるが、一応水着は着させるのに、シャワーを浴びせたり、着替えをさせたりする場合は、屋外で素っ裸だったりする。少々見られたって減るもんじゃないし、どうってことなかった。
しかし最近、近くの公園の小児用プールは、夏になると塀が設置されて中の様子が見えないようにさえぎられている。これを見て、ほんと危険な時代になったのだと実感した。デジカメやビデオカメラを誰でも持っている時代だから、ちょっとでも見られてしまったら減ってしまう(損害を受ける)時代になったということなんだろうね。
小人のおちんちん
子供のおちんちんがテレビやスクリーンに出てくるのは、まあ普通。最近になると大人のおちんちん(というよりペニスというのがふさわしか)がスクリーンで見えることも結構多くなってきた。では、小人となるとどうだろう。かなり少ないよね。
小人というと、プロレスなどで余興として興行する場面が思い浮かぶ。過去、サーカスなどで小人が見世物にされた歴史的な経緯などもあったので、興行で小人を露出させるのは差別だという風潮が強くなってきた。そうして小人が映画や興行で活躍する場は少なくなっていったのだと思う。小さいことを活かしキグルミを着せて小人を登場させる映画もあったが、何といっても小人が注目を浴びたのは冒険ファンタジー「ウィロー」(1983年アメリカ)だった。「ウィロー」では小人がそのままの姿でヒーローとして大活躍をしたことと、多数の小人が出演したという意味で、歴史的な意味があった。
さて、前置きが長くなってしまったが、小人のおちんちんって見られる映画はいくつかある。基本は背が低いだけで、あそこはちゃんとした大人の男なんだなと思うケースと、やっぱり体にあわせて小さいなと思うケースがあり。それは結局は個人差だということになる。
「jackass number two」2006年アメリカ映画
今年日本でも公開されたおばか映画。出演しているチームの中でウィーマン(120cm)が全裸で歩いて周囲をびっくりさせるパフォーマンスがある。DVDではさらに特典映像満載で、繰り返しウィーマンは全裸で登場する。ミュージックビデオでは、おちんちんを激しく振って見せる光景もあり。この人のサイズは普通レベル。こんな映画が日本での公開でも全く無修正で出せるようになったとは。時代が変わったと思う。
「ゲルニカの木」 1975年フランス・イタリア映画
フェルナンド・アラバル監督の残した3部作のうちの一つ。虐殺、セックス、超現実的な描写に溢れ、作風はアレハンドロ・ホドロフスキーに通じるものがある。
映画はスペイン内乱時代を題材にしている。スペインの内乱は映画「舌の蝶」などでも描かれているが、右派と左派に分かれて同じ民族同士が壮絶な殺しあいをした苦い歴史があったことがわかる。アラバル監督は、内乱の激戦地だったゲルニカを舞台に、人間の狂気を描いている。その中で、悪の側の僕として働く数名の小人が出てくる。小人が革命家の女性とセックスをしようと部屋に入って来る場面で全裸。堂々と見せている。サイズは普通の人のサイズで、しっかり包茎だったのが伺える。この小人たちは、さらに群集とともに教会に押し入り、マリア像と抱き合ったままマスターベーションをしたり、キリスト像に小便をかけるなどの冒涜を繰り返していく。映画の後半、形勢は逆転し小人たちはつかまって最後は処刑されてしまう。この映画、日本では公開されてないみたいだ。
「カリギュラ」 1980年アメリカ映画
この映画は、ローマの皇帝を主人公にした歴史ドラマ。ローマの退廃ぶりを描くという観点もあるが、性描写の多さと生々しさはものすごいもので、ポルノ映画と一般映画の違いななんだろうとちょっと思ってしまう。日本で見るにはほとんどの部分が修正されるのも仕方がない状況だ。もちろんストーリーはちゃんとあるし、主人公を中心に話は展開しており、主人公が殺されて終わりという結末だったりする。映画の後半、皇帝が乱交パーティを行わせる場面がある。小学生くらいの体の小人が仮面をかぶって様子を見ながら歩いていると、ほどなく女性につかまってしまう。体が小さいので、おもちゃのようにころがされたり、さかさまになったりして、小さい足をばたばたしている。シャツがめくれて見えるのは、確かに大人のモノのようだが、体にあわせたような超ミニサイズ。女性はお尻に手をあてると、中指と薬指でつまめる状態。あとはぱくり。その辺の詳細な状況は修正されてて見えにくいのだけど、無抵抗にされるがままとなっている小人はまるで赤ちゃんのような感じに見える。
小人というと、プロレスなどで余興として興行する場面が思い浮かぶ。過去、サーカスなどで小人が見世物にされた歴史的な経緯などもあったので、興行で小人を露出させるのは差別だという風潮が強くなってきた。そうして小人が映画や興行で活躍する場は少なくなっていったのだと思う。小さいことを活かしキグルミを着せて小人を登場させる映画もあったが、何といっても小人が注目を浴びたのは冒険ファンタジー「ウィロー」(1983年アメリカ)だった。「ウィロー」では小人がそのままの姿でヒーローとして大活躍をしたことと、多数の小人が出演したという意味で、歴史的な意味があった。
さて、前置きが長くなってしまったが、小人のおちんちんって見られる映画はいくつかある。基本は背が低いだけで、あそこはちゃんとした大人の男なんだなと思うケースと、やっぱり体にあわせて小さいなと思うケースがあり。それは結局は個人差だということになる。
「jackass number two」2006年アメリカ映画
今年日本でも公開されたおばか映画。出演しているチームの中でウィーマン(120cm)が全裸で歩いて周囲をびっくりさせるパフォーマンスがある。DVDではさらに特典映像満載で、繰り返しウィーマンは全裸で登場する。ミュージックビデオでは、おちんちんを激しく振って見せる光景もあり。この人のサイズは普通レベル。こんな映画が日本での公開でも全く無修正で出せるようになったとは。時代が変わったと思う。
「ゲルニカの木」 1975年フランス・イタリア映画
フェルナンド・アラバル監督の残した3部作のうちの一つ。虐殺、セックス、超現実的な描写に溢れ、作風はアレハンドロ・ホドロフスキーに通じるものがある。
映画はスペイン内乱時代を題材にしている。スペインの内乱は映画「舌の蝶」などでも描かれているが、右派と左派に分かれて同じ民族同士が壮絶な殺しあいをした苦い歴史があったことがわかる。アラバル監督は、内乱の激戦地だったゲルニカを舞台に、人間の狂気を描いている。その中で、悪の側の僕として働く数名の小人が出てくる。小人が革命家の女性とセックスをしようと部屋に入って来る場面で全裸。堂々と見せている。サイズは普通の人のサイズで、しっかり包茎だったのが伺える。この小人たちは、さらに群集とともに教会に押し入り、マリア像と抱き合ったままマスターベーションをしたり、キリスト像に小便をかけるなどの冒涜を繰り返していく。映画の後半、形勢は逆転し小人たちはつかまって最後は処刑されてしまう。この映画、日本では公開されてないみたいだ。
「カリギュラ」 1980年アメリカ映画
この映画は、ローマの皇帝を主人公にした歴史ドラマ。ローマの退廃ぶりを描くという観点もあるが、性描写の多さと生々しさはものすごいもので、ポルノ映画と一般映画の違いななんだろうとちょっと思ってしまう。日本で見るにはほとんどの部分が修正されるのも仕方がない状況だ。もちろんストーリーはちゃんとあるし、主人公を中心に話は展開しており、主人公が殺されて終わりという結末だったりする。映画の後半、皇帝が乱交パーティを行わせる場面がある。小学生くらいの体の小人が仮面をかぶって様子を見ながら歩いていると、ほどなく女性につかまってしまう。体が小さいので、おもちゃのようにころがされたり、さかさまになったりして、小さい足をばたばたしている。シャツがめくれて見えるのは、確かに大人のモノのようだが、体にあわせたような超ミニサイズ。女性はお尻に手をあてると、中指と薬指でつまめる状態。あとはぱくり。その辺の詳細な状況は修正されてて見えにくいのだけど、無抵抗にされるがままとなっている小人はまるで赤ちゃんのような感じに見える。
切断される場面 「グレートハンティング」
おちんちんといえば、ぷらんぷらんしているのがいつもの状態。しかし、映画によっては切り取られちゃったりする場面もあって、なんかあわれだよね。切り取る目的は、うらみ、憎しみ、それと男性としての機能の否定・・・映画で見るペニス切断の意味を考えてみよう。
「グレートハンティング」 1975年イタリア映画
アマゾンのインディオと鉱山開発をする白人との闘争の場面がある。インディオは森から白人を追い出そうとして毒矢で襲撃する。一方、襲撃を受けた白人たちも武装していて、反撃にでるのだ。武装した白人たちは、野に火を放ち、インディオをあぶりだそうとする。そこから人間ハンティングという最悪の事態が始まる。逃げ遅れたインディオに弾丸があたり倒れてしまう。白人たちは彼を仰向けにすると、ナイフをとりだしペニスを切り取って、自慢そうに高く掲げる。そしてそのペニスをインディオの口の中に押し込んで楽しんでいた。
いったいなんでこんなことをするのだろうね。殺害を意図してるなら、致命傷を与えればそれで終わりのはず。この映画のテーマであるハンティングとしてみれば、獲物を高く掲げるという行為はわかるけど、なぜそれがペニスなんだろう。本人の意識がまだあるうちに男のシンボルを奪い取って屈辱を与えようとしたのか。それとも密林のインディオは全裸だから真っ先に目に飛び込んできたものを切り取ってしまおうと考えたのか。確かに服を着てる相手ならわざわざ脱がすなどの面倒なことをせずに殺していたのかもしれない。
インディオを野生の動物と考えて狩ってやろうというハンターの心理だけではこういう行動にならないと思う。動物を狩ったときに意図してペニスを切り取ったりしないと思うからだ。ペニスを攻撃するのは、インディオは自分と同じモノをもった人間だという認識があるのだろう。普通は人間を傷つけ・殺してはいけないはずなのに、この密林の中では何をやってもいいのだという優越感や狂気を楽しんでいるんだと思う。
「魔界の大陸」 1983年イタリア映画
今度は黒人の部族間の抗争。敵の部族から集落に火を放たれた部族が復讐に行く。敵を追いかけ、ひとりの男を捕まえることに成功。捕まった男を、連れ帰って証言させたり、裁判にかけようなんてことはない。その場でリンチされ、処刑されてしまう。しかもばらばらにされ、おそらくハゲタカのえさになってしまうのだろう。さて、そのリンチにあたり、実はグレートハンティングに似ていて、最初の方でペニスを切り取ってしまった。これは部族間の殺しあい、そして恨みから出た行動なのだが、アマゾンのジャングルと同じようにペニスを切断する意図はなんだろう。
実はヌバ族も当時の生活は全裸で行っている。しかもペニスはフランクフルトくらいの長さがある。男が仰向けになるとまずペニスが目立つのは避けられない。だからそれを切り取ってしまったのか。腕や足を切るのは大変だけど、ペニスは簡単に切れそうだったからなのか。それとも、意識があるうちに男としての尊厳を傷つけて惨めな思いをさせることが目的なのだろうか。場所を問わず、人間が残虐行為に出るときには、似たようなことがおこるらしい。というか、切断場面を映画に登場させる人間の思考が同じようなものだと言うことかもしれないね。
「ジェルミナル」 1993年フランス映画 監督:クロード・ベリ
さて、こちらはドキュメンタリーではなくドラマである。おおよそペニスを切断する場面が存在するとは思えないような歴史大作だ。この映画のターゲットになったのは、金持ちの商店主だった。男ならチャンスがあれば女を抱きたいというのが普通の感覚。貧しい労働者たちは食料品の代金が払えず、商店主に借金ができていく。しかし生きていくためには食料品を買わなくてはならない。そこで商店主は、お金の代わりに体を差し出せと言うようになる。しかもおばちゃんたちじゃなくて、若いピチピチの娘の体を出させていたのだ。村で貧しい住民の蜂起が起こると、立場が逆転する。群集は、強欲商店主のパンツを引きずり下ろすと、ナイフで切り取ってしまった。切り取ったペニスは高く掲げ、勝利を祝したのだ。
前の二つのドキュメンタリーは男が男のペニスを切断する内容だったが、この映画は女性がペニス切断する内容だ。ペニスを切断する理由は、この映画が一番わかりやすい。なぜなら、商店主が持っているたった一本のペニスが村の多くの処女を冒してきたという事実があるからだ。人間としての尊厳を傷つけられた女性たちの復讐は恐ろしい。
「グレートハンティング」 1975年イタリア映画
アマゾンのインディオと鉱山開発をする白人との闘争の場面がある。インディオは森から白人を追い出そうとして毒矢で襲撃する。一方、襲撃を受けた白人たちも武装していて、反撃にでるのだ。武装した白人たちは、野に火を放ち、インディオをあぶりだそうとする。そこから人間ハンティングという最悪の事態が始まる。逃げ遅れたインディオに弾丸があたり倒れてしまう。白人たちは彼を仰向けにすると、ナイフをとりだしペニスを切り取って、自慢そうに高く掲げる。そしてそのペニスをインディオの口の中に押し込んで楽しんでいた。
いったいなんでこんなことをするのだろうね。殺害を意図してるなら、致命傷を与えればそれで終わりのはず。この映画のテーマであるハンティングとしてみれば、獲物を高く掲げるという行為はわかるけど、なぜそれがペニスなんだろう。本人の意識がまだあるうちに男のシンボルを奪い取って屈辱を与えようとしたのか。それとも密林のインディオは全裸だから真っ先に目に飛び込んできたものを切り取ってしまおうと考えたのか。確かに服を着てる相手ならわざわざ脱がすなどの面倒なことをせずに殺していたのかもしれない。
インディオを野生の動物と考えて狩ってやろうというハンターの心理だけではこういう行動にならないと思う。動物を狩ったときに意図してペニスを切り取ったりしないと思うからだ。ペニスを攻撃するのは、インディオは自分と同じモノをもった人間だという認識があるのだろう。普通は人間を傷つけ・殺してはいけないはずなのに、この密林の中では何をやってもいいのだという優越感や狂気を楽しんでいるんだと思う。
「魔界の大陸」 1983年イタリア映画
今度は黒人の部族間の抗争。敵の部族から集落に火を放たれた部族が復讐に行く。敵を追いかけ、ひとりの男を捕まえることに成功。捕まった男を、連れ帰って証言させたり、裁判にかけようなんてことはない。その場でリンチされ、処刑されてしまう。しかもばらばらにされ、おそらくハゲタカのえさになってしまうのだろう。さて、そのリンチにあたり、実はグレートハンティングに似ていて、最初の方でペニスを切り取ってしまった。これは部族間の殺しあい、そして恨みから出た行動なのだが、アマゾンのジャングルと同じようにペニスを切断する意図はなんだろう。
実はヌバ族も当時の生活は全裸で行っている。しかもペニスはフランクフルトくらいの長さがある。男が仰向けになるとまずペニスが目立つのは避けられない。だからそれを切り取ってしまったのか。腕や足を切るのは大変だけど、ペニスは簡単に切れそうだったからなのか。それとも、意識があるうちに男としての尊厳を傷つけて惨めな思いをさせることが目的なのだろうか。場所を問わず、人間が残虐行為に出るときには、似たようなことがおこるらしい。というか、切断場面を映画に登場させる人間の思考が同じようなものだと言うことかもしれないね。
「ジェルミナル」 1993年フランス映画 監督:クロード・ベリ
さて、こちらはドキュメンタリーではなくドラマである。おおよそペニスを切断する場面が存在するとは思えないような歴史大作だ。この映画のターゲットになったのは、金持ちの商店主だった。男ならチャンスがあれば女を抱きたいというのが普通の感覚。貧しい労働者たちは食料品の代金が払えず、商店主に借金ができていく。しかし生きていくためには食料品を買わなくてはならない。そこで商店主は、お金の代わりに体を差し出せと言うようになる。しかもおばちゃんたちじゃなくて、若いピチピチの娘の体を出させていたのだ。村で貧しい住民の蜂起が起こると、立場が逆転する。群集は、強欲商店主のパンツを引きずり下ろすと、ナイフで切り取ってしまった。切り取ったペニスは高く掲げ、勝利を祝したのだ。
前の二つのドキュメンタリーは男が男のペニスを切断する内容だったが、この映画は女性がペニス切断する内容だ。ペニスを切断する理由は、この映画が一番わかりやすい。なぜなら、商店主が持っているたった一本のペニスが村の多くの処女を冒してきたという事実があるからだ。人間としての尊厳を傷つけられた女性たちの復讐は恐ろしい。
ストリーキングする映画 「バーサーカー」
町の中を裸で疾走すること。それがストリーキングだとすれば、この映画はまさにそれ。
ガブリエル・バータロス監督による「バーサーカー」。2002年アメリカ映画。映画自体は安っぽいスプラッターものなんだけど、ストリーキングは映画の終わりの方ででてくる。
車がパンクした一行が、一軒の家に助けを求めにいく。奇妙な家に住んでいるのは小人や巨大頭だったりするし、また食べ物も気持ち悪くなるようなものばかり。そこから面白いように虐殺が行われて、生き残ったのは娘が一人。道路で無差別に虐殺を行うし、バイク軍団との一戦もあるけど、とにかくもうぐちゃぐちゃ。監禁された娘は頭がおかしくなってしまうけど、だんだんとこの奇妙な家族の秘密をあばいていく。
さて、巨大頭の化け物君(もちろん立派な男だけど)、コンプレックスに苦しむ自分の過去を回想するシーンで、ストリーキングをしている。自慢のものをぶらぶらさせながら、人ごみをかきわけながら走ってくるのを正面から映しているね。街中でこんなの撮影できるんだな・・というかよく撮影できたよね。日本版でも修正はしてない。
ついでに、ストリーキングが楽しめる映画を紹介・・ただし日本では公開されてないよ。
「O HomemNu」 1997年ブラジル映画
ストリーキング映画ってあまり思いつくのがないのだけど、モロそれというのがブラジル映画にあった。「Homem Nu, O」はポルトガル語で、裸の男という意味らしい。浮気先でお楽しみをした男がそのまま朝になってしまう。配達されたパンをとろうと廊下に出たところ、鍵が開かず、部屋に戻れなくなってしまう。浮気相手はシャワー中で気づかず。周囲から悲鳴があがるし、同じ階の住人から銃を突きつけられれば、もう逃げ出すしかない・・。怪しい裸の男の話はすぐに広まり、警察やテレビに追いかけられるはめに、海を泳いでわたったり、土管に隠れたり。裸で締め出しというのは、コメディなどではありそうな設定だけど、それをスタートにしてまじめに全裸逃走劇を描き続けるのはすごい映画だと思った。【ここから先はオチ】さまざまな苦労を乗り越えて自分の家に帰ってきた裸の男は、家の中に妻の浮気相手を見つける。そこでその浮気相手を全裸のまま町に放り出して、ストリーキングをバトンタッチ。浮気しちゃだめだよという教訓映画なのかな?
「TERROR FIRMER」 1999年アメリカ トロマ映画
こちらは、アメリカ映画。トロマ映画らしくホラーというかコメディというか、エログロ満載の映画だ。顔を包帯でぐるぐる巻きにしたデブが、スタジオから、繁華街、官公庁、駐車場、裏通りといろんなところを走り回る。腹とおちんちんを、ぶらぶと揺らせながら、とにかく走り続け、最後は股間をアップで映されたまま死に果てるという見せ場まであり。この映画がすごいところは、ストリーキングの場所をタイムズスクエアで行ったこと。買い物客や観光客でにぎやかなこんな場所で、絶対に撮影許可でないだろうと思われる。撮影風景を見ると、裸の男がいきなり登場し走り始めると、一般客から悲鳴というか、どよめきがわきあがっているのがわかるし、すぐさま警官から注意されたりしている。やることが大胆だね。
ガブリエル・バータロス監督による「バーサーカー」。2002年アメリカ映画。映画自体は安っぽいスプラッターものなんだけど、ストリーキングは映画の終わりの方ででてくる。
車がパンクした一行が、一軒の家に助けを求めにいく。奇妙な家に住んでいるのは小人や巨大頭だったりするし、また食べ物も気持ち悪くなるようなものばかり。そこから面白いように虐殺が行われて、生き残ったのは娘が一人。道路で無差別に虐殺を行うし、バイク軍団との一戦もあるけど、とにかくもうぐちゃぐちゃ。監禁された娘は頭がおかしくなってしまうけど、だんだんとこの奇妙な家族の秘密をあばいていく。
さて、巨大頭の化け物君(もちろん立派な男だけど)、コンプレックスに苦しむ自分の過去を回想するシーンで、ストリーキングをしている。自慢のものをぶらぶらさせながら、人ごみをかきわけながら走ってくるのを正面から映しているね。街中でこんなの撮影できるんだな・・というかよく撮影できたよね。日本版でも修正はしてない。
ついでに、ストリーキングが楽しめる映画を紹介・・ただし日本では公開されてないよ。
「O HomemNu」 1997年ブラジル映画
ストリーキング映画ってあまり思いつくのがないのだけど、モロそれというのがブラジル映画にあった。「Homem Nu, O」はポルトガル語で、裸の男という意味らしい。浮気先でお楽しみをした男がそのまま朝になってしまう。配達されたパンをとろうと廊下に出たところ、鍵が開かず、部屋に戻れなくなってしまう。浮気相手はシャワー中で気づかず。周囲から悲鳴があがるし、同じ階の住人から銃を突きつけられれば、もう逃げ出すしかない・・。怪しい裸の男の話はすぐに広まり、警察やテレビに追いかけられるはめに、海を泳いでわたったり、土管に隠れたり。裸で締め出しというのは、コメディなどではありそうな設定だけど、それをスタートにしてまじめに全裸逃走劇を描き続けるのはすごい映画だと思った。【ここから先はオチ】さまざまな苦労を乗り越えて自分の家に帰ってきた裸の男は、家の中に妻の浮気相手を見つける。そこでその浮気相手を全裸のまま町に放り出して、ストリーキングをバトンタッチ。浮気しちゃだめだよという教訓映画なのかな?
「TERROR FIRMER」 1999年アメリカ トロマ映画
こちらは、アメリカ映画。トロマ映画らしくホラーというかコメディというか、エログロ満載の映画だ。顔を包帯でぐるぐる巻きにしたデブが、スタジオから、繁華街、官公庁、駐車場、裏通りといろんなところを走り回る。腹とおちんちんを、ぶらぶと揺らせながら、とにかく走り続け、最後は股間をアップで映されたまま死に果てるという見せ場まであり。この映画がすごいところは、ストリーキングの場所をタイムズスクエアで行ったこと。買い物客や観光客でにぎやかなこんな場所で、絶対に撮影許可でないだろうと思われる。撮影風景を見ると、裸の男がいきなり登場し走り始めると、一般客から悲鳴というか、どよめきがわきあがっているのがわかるし、すぐさま警官から注意されたりしている。やることが大胆だね。
毎度おさわがせします
1985年にTBSが放送した、青春コメディ「毎度おさわがせします」。これは、コメディというか、まるで性教育の教材みたいだったよね。当時、PTAから苦情があったりという話も聞くし、よい子たちは見せてもらえなかったのではないだろうか。オープニングも今になってみてみるとありえない演出だ。
男の子が女の子の着替えを覗いたり、逆に女の子から服を脱がされそうになったり、青春コメディにはつきもののネタは結構多い。さらにそういう思春期の子供たちにいろいろ演じさせるだけでなく、小学生を登場させて、子供の視点から「オナニー」って何?なんて言わせるもの面白かった。お医者さんごっこで服を脱がせたり、毛が生えるとか生えててないとか、勃起や夢精の体験をさせたり。ドラマではお風呂の場面が何度もあるけど、親子で入るお風呂は性教育の場として活用されていた。小学生の弟に「金玉のしわがのびるの?」と聞かれて、必死で調べて答えるお父さんも偉い。ちなみにお父さんは小野寺昭・・この頃って、まだ太陽にほえろに出てたんだっけ?
さて、第一期分でおちんちんが見えてしまったのは、第2話「おやじのセックス相談」の中にあった。お兄ちゃんとお父さんがお風呂に入っている場面で、ませた小学生の弟(玉木潤)が入ってくるというものだ。多少タオルがずれた状態で入ってくるので、動きながらしっかり見えていたね。しっかりとした長さがあって割と立派なおちんちんだった。
男の子が女の子の着替えを覗いたり、逆に女の子から服を脱がされそうになったり、青春コメディにはつきもののネタは結構多い。さらにそういう思春期の子供たちにいろいろ演じさせるだけでなく、小学生を登場させて、子供の視点から「オナニー」って何?なんて言わせるもの面白かった。お医者さんごっこで服を脱がせたり、毛が生えるとか生えててないとか、勃起や夢精の体験をさせたり。ドラマではお風呂の場面が何度もあるけど、親子で入るお風呂は性教育の場として活用されていた。小学生の弟に「金玉のしわがのびるの?」と聞かれて、必死で調べて答えるお父さんも偉い。ちなみにお父さんは小野寺昭・・この頃って、まだ太陽にほえろに出てたんだっけ?
さて、第一期分でおちんちんが見えてしまったのは、第2話「おやじのセックス相談」の中にあった。お兄ちゃんとお父さんがお風呂に入っている場面で、ませた小学生の弟(玉木潤)が入ってくるというものだ。多少タオルがずれた状態で入ってくるので、動きながらしっかり見えていたね。しっかりとした長さがあって割と立派なおちんちんだった。
この山河に愛ありて
今まで一度も発表しなかったテレビネタを一つ。先に掲載した「快傑ライオン丸」が現在では見られるようになったこともあり、今後の期待を込めてテレビ連載もので未発表のものを紹介しよう。
これは岩手県の山奥にあった分校を舞台にしたドラマ。新しい先生が赴任してきて、子供たちと交流をしながら月日が経過していくという内容だった。実は、これと同じ内容の映画を見たことがあるのだ。映画のタイトルは「イーハトーブの赤い屋根」で公開は1978年。調べたところ原作は三好京三の小説『分校日記』で、熊谷勲監督により映画化されたものだ。
今でもそうだけど、同じ原作を元にして映画とテレビドラマがそれぞれ作られることはめずらしくない。ドラマの方の時間帯はお昼で「ライオン奥様劇場」の枠だった。ドラマのタイトルは残念ながら思い出せない。男先生役がひょっとしたら前田吟だったかも(それも正直自信がない)。こんなあいまいな状況だったのだけど、三好京三、1978年、前田吟、ライオン奥様劇場などの情報をもとに探しあてたタイトルが「この山河に愛ありて」だ。こんなお昼のドラマをなぜ見てたかというと、夏休みだったからだと思う。今なら、ちょうど「大好き!五つ子」のようなものだ。
実は、この分校にはお風呂があって、子供たちがお風呂に入ることがあるのだ。映画の場合は、小さな浴槽に年少の子たちがたくさん詰め込まれてにぎやかに騒いでいる光景が一場面だけあった。テレビの連続ドラマの方では、お風呂の場面も何度かあったのだが、その中で、男先生と小学生が二人でお風呂に入っていた場面がある。小学生が男先生の背中を流しながら、何やら相談をしていた。カメラは男先生の腹から上を映していた。小学生は後ろに立っていたのだが、画面の右の方にいておちんちんが丸見えになっていた。別に真後ろに立っていれば、おちんちんは映らずに済んだはずだが、これはわざと見せるように配置されてたんだろうなと見て思ったものだった。テレビでおちんちんを全国に公開される子役がどんな気分かわからないけど、奥様向けドラマでおちんちん見せるのは、制作者側のサービスなんだろうね。
さて、このような昼のドラマはなかなか再放送もないし、ビデオで見ることもなかなか難しい。最近の「大好き!五つ子」でも放送後になると見ることができないのが実情。なおさら1978年のドラマとなると難しいだろうね。それでも今後確認できることを期待したい。
これは岩手県の山奥にあった分校を舞台にしたドラマ。新しい先生が赴任してきて、子供たちと交流をしながら月日が経過していくという内容だった。実は、これと同じ内容の映画を見たことがあるのだ。映画のタイトルは「イーハトーブの赤い屋根」で公開は1978年。調べたところ原作は三好京三の小説『分校日記』で、熊谷勲監督により映画化されたものだ。
今でもそうだけど、同じ原作を元にして映画とテレビドラマがそれぞれ作られることはめずらしくない。ドラマの方の時間帯はお昼で「ライオン奥様劇場」の枠だった。ドラマのタイトルは残念ながら思い出せない。男先生役がひょっとしたら前田吟だったかも(それも正直自信がない)。こんなあいまいな状況だったのだけど、三好京三、1978年、前田吟、ライオン奥様劇場などの情報をもとに探しあてたタイトルが「この山河に愛ありて」だ。こんなお昼のドラマをなぜ見てたかというと、夏休みだったからだと思う。今なら、ちょうど「大好き!五つ子」のようなものだ。
実は、この分校にはお風呂があって、子供たちがお風呂に入ることがあるのだ。映画の場合は、小さな浴槽に年少の子たちがたくさん詰め込まれてにぎやかに騒いでいる光景が一場面だけあった。テレビの連続ドラマの方では、お風呂の場面も何度かあったのだが、その中で、男先生と小学生が二人でお風呂に入っていた場面がある。小学生が男先生の背中を流しながら、何やら相談をしていた。カメラは男先生の腹から上を映していた。小学生は後ろに立っていたのだが、画面の右の方にいておちんちんが丸見えになっていた。別に真後ろに立っていれば、おちんちんは映らずに済んだはずだが、これはわざと見せるように配置されてたんだろうなと見て思ったものだった。テレビでおちんちんを全国に公開される子役がどんな気分かわからないけど、奥様向けドラマでおちんちん見せるのは、制作者側のサービスなんだろうね。
さて、このような昼のドラマはなかなか再放送もないし、ビデオで見ることもなかなか難しい。最近の「大好き!五つ子」でも放送後になると見ることができないのが実情。なおさら1978年のドラマとなると難しいだろうね。それでも今後確認できることを期待したい。
快傑ライオン丸の珍ハプニング?
1972年のテレビで放映された特撮ヒーローもの「快傑ライオン丸」の話。
この時代、ウルトラマンや仮面ライダーなどの特撮ヒーローものは花盛りだった。ライオン丸と同じ枠では、スペクトルマンなどがあったと思う。1970年代、お子様向けのファミリードラマや実写の特撮ヒーローもので、おちんちんがテレビに映ったという記憶はほとんどなかった。とりわけ毎週画面に顔を見せる主役・脇役クラスがおちんちんを見せるとは想像もできないときだったので、この場面を見たときに正直ビックリしてショックを受けた。越えてはならない一線を越えてしまったかのような強烈な印象があった。ビデオが今みたいに普及してない時代だったので、毎週必ず番組を視聴し、一度見た場面は記憶に残すしかできなかったとき。このわずか1~2秒の場面は頭の中にいつまでも消えることなく残っている。30年以上たって、やっとこの記憶が本当だったことが確認できるようになった。
第47話 地獄の棺桶・怪人ジェンマ 1973年2月放映
早撃ち怪人のジェンマとの戦い。十字架の上に逃げた小助(梅地徳彦)に向かって怪人が銃を連発すると、服がきれいに吹っ飛んで素っ裸になってしまう。小助は裸のまま股間をしっかり押さえて恥ずかしいと叫びながらしばらく戦っていたのだ。そのうち、やっつけたどくろ忍者の装束(布)を奪うことに成功した。今度はライオン丸から笛を吹くように指示される。笛は天馬ヒカリ丸を呼び出すために吹くのだが、笛をかまえようとしたときに布がばさっと落ちておちんちんが丸だしになってしまったのである。さて、この場面なんだけど、布が落ちた瞬間の小助の動作が、マジ焦りのように見えてしまうのだ。バスタオルを巻いて水着を着るときバスタオルが落ちてしまったときのような動作だった。真剣に恥ずかしそうな顔で、布を拾うか躊躇したけど、笛を吹かなくてはならないので、お尻をカメラに向けて笛を吹きだした。ひょっとして、これ撮影のときにNGだったのを、わざと使ったんじゃないかなというのが僕の推理。もし演技だったら、本当に天才子役だと思うよ。
この時代、ウルトラマンや仮面ライダーなどの特撮ヒーローものは花盛りだった。ライオン丸と同じ枠では、スペクトルマンなどがあったと思う。1970年代、お子様向けのファミリードラマや実写の特撮ヒーローもので、おちんちんがテレビに映ったという記憶はほとんどなかった。とりわけ毎週画面に顔を見せる主役・脇役クラスがおちんちんを見せるとは想像もできないときだったので、この場面を見たときに正直ビックリしてショックを受けた。越えてはならない一線を越えてしまったかのような強烈な印象があった。ビデオが今みたいに普及してない時代だったので、毎週必ず番組を視聴し、一度見た場面は記憶に残すしかできなかったとき。このわずか1~2秒の場面は頭の中にいつまでも消えることなく残っている。30年以上たって、やっとこの記憶が本当だったことが確認できるようになった。
第47話 地獄の棺桶・怪人ジェンマ 1973年2月放映
早撃ち怪人のジェンマとの戦い。十字架の上に逃げた小助(梅地徳彦)に向かって怪人が銃を連発すると、服がきれいに吹っ飛んで素っ裸になってしまう。小助は裸のまま股間をしっかり押さえて恥ずかしいと叫びながらしばらく戦っていたのだ。そのうち、やっつけたどくろ忍者の装束(布)を奪うことに成功した。今度はライオン丸から笛を吹くように指示される。笛は天馬ヒカリ丸を呼び出すために吹くのだが、笛をかまえようとしたときに布がばさっと落ちておちんちんが丸だしになってしまったのである。さて、この場面なんだけど、布が落ちた瞬間の小助の動作が、マジ焦りのように見えてしまうのだ。バスタオルを巻いて水着を着るときバスタオルが落ちてしまったときのような動作だった。真剣に恥ずかしそうな顔で、布を拾うか躊躇したけど、笛を吹かなくてはならないので、お尻をカメラに向けて笛を吹きだした。ひょっとして、これ撮影のときにNGだったのを、わざと使ったんじゃないかなというのが僕の推理。もし演技だったら、本当に天才子役だと思うよ。
いじめっ子への仕返しは?
今回は、アニメのお話。
すっかり長寿番組になったドラえもん。世界各国でも見られているようで、特にアジアなどでは高視聴率をあげているという話もきく。
登場人物のキャラがはっきりしていて、中心人物となるのび太がいじめられっ子、ジャイアンがいじめっ子という構図になっている。ジャイアンは基本的に暴力を行使するタイプ。子供向けのアニメでこういう暴力描写が多いのはどうかという議論もあるかもしれないけど、基本的に暴力を容認しているわけではなく、場合によってはいじめっ子を懲らしめるという場面も存在している。
ドラえもんの道具はある面絶対的なパワーがあるので、それで制裁するのはかなりきついものがある。その中には人前でジャイアンをフリチンにしてしまうというオチもあった。ちょっと考えてみたが、この逆があったらどうだろう。すなわち、いじめっ子のジャイアンが、のび太のパンツを脱がせて、皆の前で笑いものにするなんてことがあったら、シリアスでちょっと笑えない感じがする。ここは、あくまで悪いことをした側が懲らしめられるという意味で、笑えると考えていいのだろうか。
前置きはともかく、ジャイアンが裸にされて懲らしめられる話をいくつか探してみた。
●ぽかり=100円
ジャイアンに殴られると、代わりにジャイアンから慰謝料を徴収してくれる道具を用いる。殴ったジャイアンの方は、自分の持ち物がだんだんと消えることで、慰謝料を払うことになる。殴り続けると、物がどんどんとなくなり、道を走っているときに最後のブリーフが消えてしまう。ジャイアンは路上で素っ裸でうろたえることに。こういう場面をしずかちゃんに見られるのも定番。股間を必死に手で隠しているのに、のび太がジャイアンの手を引っ張ろうとするので、さらにジャイアンがあわてるというくだりもフリチンネタを盛りあげている。尚、この場面では、ジャイアンのおちんちんはしっかりとTVで映っていたが、他国で放送されたものではおちんちんの見える場面がカットされているケースもあるらしい。
●ドッキリビデオ
こちらは、ドッキリでいたずらを仕掛ける道具を用いる。ジャイアンの場合は、その歌が毒になって、周りの人や動物が次々に倒れていくという怪事件が発生する。機動隊がジャイアンを取り囲み、服を全部はぎとって消毒をする。全裸で怖がるってうずくまるジャイアンの姿は惨めそのもの。そこまでやって最後に「ドッキリビデオ」とネタばらし。フリチンにさせられた上で、バンザイのポーズまでさせられて、おちんちんは隠すこともできない状況。いたずらにしてはかなりきついかも。尚、漫画の方では、裸にするというのはないらしい。
●きせかえカメラ
服の分子を変化させて、いろんな服に作り変えることができる道具を利用する。カメラを使って自分たちのファッションショーをしようとするスネ夫とジャイアンに仕返し。ドラえもんはカメラからこっそりデザイン原稿を抜き取ってしまう。それでカメラを作動させると、ジャイアンが真っ裸に。ファッションショーを見にきた女の子たちからは悲鳴が。状況を理解したジャイアンは真っ赤になってスネ夫を追いかける。この場面では、角度を工夫しておちんちんは見えないように作ってあった。
すっかり長寿番組になったドラえもん。世界各国でも見られているようで、特にアジアなどでは高視聴率をあげているという話もきく。
登場人物のキャラがはっきりしていて、中心人物となるのび太がいじめられっ子、ジャイアンがいじめっ子という構図になっている。ジャイアンは基本的に暴力を行使するタイプ。子供向けのアニメでこういう暴力描写が多いのはどうかという議論もあるかもしれないけど、基本的に暴力を容認しているわけではなく、場合によってはいじめっ子を懲らしめるという場面も存在している。
ドラえもんの道具はある面絶対的なパワーがあるので、それで制裁するのはかなりきついものがある。その中には人前でジャイアンをフリチンにしてしまうというオチもあった。ちょっと考えてみたが、この逆があったらどうだろう。すなわち、いじめっ子のジャイアンが、のび太のパンツを脱がせて、皆の前で笑いものにするなんてことがあったら、シリアスでちょっと笑えない感じがする。ここは、あくまで悪いことをした側が懲らしめられるという意味で、笑えると考えていいのだろうか。
前置きはともかく、ジャイアンが裸にされて懲らしめられる話をいくつか探してみた。
●ぽかり=100円
ジャイアンに殴られると、代わりにジャイアンから慰謝料を徴収してくれる道具を用いる。殴ったジャイアンの方は、自分の持ち物がだんだんと消えることで、慰謝料を払うことになる。殴り続けると、物がどんどんとなくなり、道を走っているときに最後のブリーフが消えてしまう。ジャイアンは路上で素っ裸でうろたえることに。こういう場面をしずかちゃんに見られるのも定番。股間を必死に手で隠しているのに、のび太がジャイアンの手を引っ張ろうとするので、さらにジャイアンがあわてるというくだりもフリチンネタを盛りあげている。尚、この場面では、ジャイアンのおちんちんはしっかりとTVで映っていたが、他国で放送されたものではおちんちんの見える場面がカットされているケースもあるらしい。
●ドッキリビデオ
こちらは、ドッキリでいたずらを仕掛ける道具を用いる。ジャイアンの場合は、その歌が毒になって、周りの人や動物が次々に倒れていくという怪事件が発生する。機動隊がジャイアンを取り囲み、服を全部はぎとって消毒をする。全裸で怖がるってうずくまるジャイアンの姿は惨めそのもの。そこまでやって最後に「ドッキリビデオ」とネタばらし。フリチンにさせられた上で、バンザイのポーズまでさせられて、おちんちんは隠すこともできない状況。いたずらにしてはかなりきついかも。尚、漫画の方では、裸にするというのはないらしい。
●きせかえカメラ
服の分子を変化させて、いろんな服に作り変えることができる道具を利用する。カメラを使って自分たちのファッションショーをしようとするスネ夫とジャイアンに仕返し。ドラえもんはカメラからこっそりデザイン原稿を抜き取ってしまう。それでカメラを作動させると、ジャイアンが真っ裸に。ファッションショーを見にきた女の子たちからは悲鳴が。状況を理解したジャイアンは真っ赤になってスネ夫を追いかける。この場面では、角度を工夫しておちんちんは見えないように作ってあった。
夜のたわむれ
1966年のスウェーデン映画 「夜のたわむれ」
監督:マイ・ゼッタリング
HKさんからの投稿。おちんちん映画リスト本編には掲載できてない情報なので、こちらで紹介する。
【投稿内容】------------------------------
マザコンの青年の少年時代の回想シーンで、母に風呂に入れてもらったあと全裸でベッドへ。「かわいいのを持っているのね」と母は言い、そして本を読んでもらいながら、少年はシーツの下でオナニーをする。それを見つけた母は怒り、シーツをはぐ。日本公開版ではそこはカットされていたが、オリジナルではピンとはったペニスが映っていたとのこと。1966年作品
---------------------------------------
公開も1966年ということで、結構古くなっている。フィルムは白黒のようだし。12歳の頃の少年を演じるにヨルゲン・リンドストロムは、品があって結構かわいい。このくらいの年齢なら、映画でおちんちんを見せても問題なさそうだけど、日本公開時にはカットだったんだね。内容からしてダメだと判断されたんだろうか。
監督:マイ・ゼッタリング
HKさんからの投稿。おちんちん映画リスト本編には掲載できてない情報なので、こちらで紹介する。
【投稿内容】------------------------------
マザコンの青年の少年時代の回想シーンで、母に風呂に入れてもらったあと全裸でベッドへ。「かわいいのを持っているのね」と母は言い、そして本を読んでもらいながら、少年はシーツの下でオナニーをする。それを見つけた母は怒り、シーツをはぐ。日本公開版ではそこはカットされていたが、オリジナルではピンとはったペニスが映っていたとのこと。1966年作品
---------------------------------------
公開も1966年ということで、結構古くなっている。フィルムは白黒のようだし。12歳の頃の少年を演じるにヨルゲン・リンドストロムは、品があって結構かわいい。このくらいの年齢なら、映画でおちんちんを見せても問題なさそうだけど、日本公開時にはカットだったんだね。内容からしてダメだと判断されたんだろうか。
カニバル/世界最後の人喰い族
「カニバル/世界最後の人喰い族」 1976イタリア映画
後に食人族を世に発表したルッジェロ・デオダート監督の作品。カニバルとか人喰いとかいうと、ちょっと普通じゃないあやしい感じがするよね。 それでもこの映画は比較的ストーリー性もあって、どちらかと言うと見やすい映画になっている。
ミンダナオ島を調査していた一行は、ジャングルの真ん中で遭難してしまう。最後一人生き残ったのが主人公。しかし彼も、未開の部族につかまり、棲み処に連れてゆかれることになる。主人公は未開人の女性を一人味方につけ、洞窟から抜け出すことに成功。追ってくる未開人に対しては、自ら人喰いを実施し、けん制をするなどの演出もあり。
さて、この未開人たちは100名ほどが集まる結構な人数の部族になっている。10代の少年までは常に全裸で登場。全裸の未開人たちが岩山のいたるところに立っていて、見下ろしてくる様などはぞっとする光景になっている。
すでに「おちんちん映画リスト」にも掲載の作品だが、見どころはやはり主人公が最初に洞窟に連れて行かれた場面だろう。服や時計など身に着けているものは全部奪われてしまい、まったくの全裸状態。初めて見る文明人が珍しかったのか、若い未開人の男二人は、主人公のおちんちんをつついたり、つまんだり。それもしつこく引っ張ったりするものだから、萎縮していた主人公のおちんちんも長くなっていく。若い男二人は、今度は自分のおちんちんを腰布から出して比べてみたりもする。この場面、あきらかに未開人のモノは短小である。しかし、一方で、文明人は包茎なのに、未開人はきれいに皮がない! この違いはちょっと面白かった。
撮影はどうもマレーシアで行ったとのこと、出演している人たちは、お国がら割礼を受けていたのかもしれないね。
尚、昔のVHS版ではしっかりと修正されていた。今は完全版というDVDが販売されているようだけど、ここであげた場面がどこまで修正なく見られるのかは未確認である。
後に食人族を世に発表したルッジェロ・デオダート監督の作品。カニバルとか人喰いとかいうと、ちょっと普通じゃないあやしい感じがするよね。 それでもこの映画は比較的ストーリー性もあって、どちらかと言うと見やすい映画になっている。
ミンダナオ島を調査していた一行は、ジャングルの真ん中で遭難してしまう。最後一人生き残ったのが主人公。しかし彼も、未開の部族につかまり、棲み処に連れてゆかれることになる。主人公は未開人の女性を一人味方につけ、洞窟から抜け出すことに成功。追ってくる未開人に対しては、自ら人喰いを実施し、けん制をするなどの演出もあり。
さて、この未開人たちは100名ほどが集まる結構な人数の部族になっている。10代の少年までは常に全裸で登場。全裸の未開人たちが岩山のいたるところに立っていて、見下ろしてくる様などはぞっとする光景になっている。
すでに「おちんちん映画リスト」にも掲載の作品だが、見どころはやはり主人公が最初に洞窟に連れて行かれた場面だろう。服や時計など身に着けているものは全部奪われてしまい、まったくの全裸状態。初めて見る文明人が珍しかったのか、若い未開人の男二人は、主人公のおちんちんをつついたり、つまんだり。それもしつこく引っ張ったりするものだから、萎縮していた主人公のおちんちんも長くなっていく。若い男二人は、今度は自分のおちんちんを腰布から出して比べてみたりもする。この場面、あきらかに未開人のモノは短小である。しかし、一方で、文明人は包茎なのに、未開人はきれいに皮がない! この違いはちょっと面白かった。
撮影はどうもマレーシアで行ったとのこと、出演している人たちは、お国がら割礼を受けていたのかもしれないね。
尚、昔のVHS版ではしっかりと修正されていた。今は完全版というDVDが販売されているようだけど、ここであげた場面がどこまで修正なく見られるのかは未確認である。
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