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マワシが外れて「チン」出し

事件・ハプニング
01 /16 2010
古くから奉納や興業が行われてきた相撲。力士はマワシ一本で男性自身とお尻を隠すのみという姿だ。取り組みでは激しくぶつかり合うし、マワシを怪力で引きあったりもするのだから、場合によってはマワシが外れて珍出しなんてハプニングが起きるのではないかと思われる。しかし、過去の例を調べるとかなり確率は低いみたいだね。

★朝ノ霧(三段目)
テレビ生中継でチン事件を起こしたとして話題になったのは当時23才若松部屋の朝ノ霧だ。スポーツ紙で「モロ出し」と騒がれたのはもちろんのこと、ロイターを通じて世界中でも報道されることになった。

  2000年(平成12年) 5月13日 夏場所 7日目 三段目 両国国技館
  ×朝ノ霧  対  ○千代白鵬 (朝ノ霧の反則負け)

 三段目の取り組みで朝ノ霧は、対戦相手の千代白鵬と左四つに組んでいた。千代白鵬が掴んでいるマワシを左右に揺らすと、朝ノ霧の立褌がするりと抜け落ちてしまったのだ。朝ノ霧はあわてて右手でマワシを引き上げたが、すでに局部は完全に見えてしまっており、審判によって取り組みは止められた。朝ノ霧はマワシを戻して土俵を下りた。審判長の鳴戸親方がマイクで「東方力士の前袋が落ちたので、西方力士の勝ちとする」と説明をした。局部を丸出しにしたことで、反則が適用されるというのは、かなり珍しいことだ。
 普通の力士は立褌に十分な長さをとっているので、マワシが緩んだり、後ろが解けたりしても、前袋が落ちることは簡単には起こらない。しかし朝ノ霧の場合は、マワシが短くなって立褌に余裕がなかったらしいね。ちゃんとしてなかったことが問題だったようだ。

★1967年(昭和42年) 夏場所(前相撲) 詳細不明

★1962年(昭和37年) 初場所(前相撲) 詳細不明

★松ノ音(幕下)

  1951年(昭和26年) 1月 初場所 2日目 幕下
  ○松ノ音  対  ×寿々木 (寄り切り)

 幕下の取り組みで、松ノ音と寿々木が組み合っていると、松ノ音のマワシが緩んで立褌が落ちてしまった。行司と審判で相談した結果、反則ではなく取り直しすることとなった。取り直しの取り組みでは、珍出しした松ノ音が寿々木を寄り切って雪辱を果たした。寿々木は規定はどうなのかと抗議をしたものの、勝敗は変わらなかったようだ。珍出しで恥ずかしい思いをしても、勝てるようだね。

★明瀬川(十両)

  1946年(昭和21年) 4月 京都準場所 4日目 十両
  ×明瀬川  対  ○達ノ里  (寄り切り)
 
 取り組み中に十両明瀬川の立褌が落ちてしまった。そのことを察した対戦相手の達ノ里はかまわず体を預けて寄り切った。マワシが外れるかどうかはともかく、寄りきれば勝ちだね。

★ 五ツ海(前頭4)

  1946年(昭和21年) 4月 京都準場所 4日目 幕内
  ×五ツ海(前頭4)  対  不動岩(小結)  (寄り切り)
 
 十両で珍出し事件が起こった同じ日、なんと幕内の取り組みでも珍出し事件があったらしい。この日のお客さんは2回珍出しを目撃することになった。長身(214cm)の不動岩に対し、五ツ海はもろ差しで右下手で投げを打って出る。一方、不動岩は相手を吊りあげようとぐっと持ち上げた。すると、 五ツ海の立褌が外れて、局部が丸出しになった。五ツ海は、恥ずかしさの余り両手で隠して土俵の外に飛び出してしまった。五ツ海が飛び出したので、決まり手は「寄り切り」となるようだ。

★ 男嶌(十両5)

  1917年(大正6年) 5月 夏場所 3日目 十両
  ×男嶌(十両)  対  友ノ山(幕下)  (反則負け)

 十両力士男嶌 と幕下8枚目友ノ山の一戦。友ノ山は 男嶌 の前マワシを引きつけ前に寄って行くと、男嶌 の立褌が外れて局部が丸出しになった。男嶌 は両手で隠そうとしたが行司玉次郎に取り組みを止められる。行司が審判と相談した結果、男嶌の負けとされた。決まり手は反則負けだが、新聞では「前はずれ」による負けと書かれたらしい。

★八甲山(前頭10)

  1912年(明治45年) 春場所 8日目 幕内  両国国技館
  ○八甲山(西前頭10)  対 有明(東前頭6)   

 明治45年の両国国技館、八甲山と有明がもみ合ううちに、八甲山の立褌が外れて局部が丸出しになってしまった。しかし、同時に有明が横転してしまったので、行司は軍配を八甲山にあげた。反則負けではないかという物言いなどはなかったという。丸出しになっても、やはり勝負で勝っていればOKという判断だったのだろう。

★海山

  明治中頃の取り組み
  ○海山  対  朝汐

 怪力海山と初代朝汐と一戦。海山がうっちゃりをして両者が土俵下に落ちた。海山のうっちゃりを認めて行司の木村瀬平は海山に軍配をあげたらしい。しかし、よくみると海山のマワシがほどけて局部が丸出し状態だ。海山の反則負けではないかという物言いがついたが、行司の木村瀬平は、「勝負がついてから飛び出したのである」と主張を曲げず、軍配通り海山の勝ちとされた。「名行司、木村瀬平らチン裁定」と言われるらしい。

★高浪

  1891年(明治24年) 1月15日 春場所 6日目  回向院大相撲
  △高浪  対  △泉瀧
  
 高浪と泉瀧が左四つに組み、投げの打ち合いをしたらしい。そのとき、高浪の立褌が外れてしまった。しかしすぐに締め直して取り組みを続行。しかしとうとう勝負はつかず引き分けとされた。

★ 嵐山

  1888年(明治20年) 2月5日 春場所 8日目 回向院大相撲
  嵐山  対  相生
 
 嵐山と相生は右四つに組んでいたら、嵐山の立褌が抜け落ちて、局部が丸出しになった。行司木村龍五郎が審判と相談したところ、取り直しとなった。嵐山はいったん土俵を下りてマワシを締め、取り直しをしたが勝負はつかず引き分けとのこと。人気力士が珍をブラブラしながら下りてくる場面を眺めているお客さんたちは、大喜びだったかも。

いろいろと情報をたどってみたけど、このくらいしか発見できなかった。

さて、昔のようにテレビのない時代ならば、少々マワシが外れてもその場の話題で済んだだろう。今は、テレビ中継されているから、すぐさま世界に情報が展開され下品だと非難されたりするんだろうね。昔は取り組み中にマワシが外れても、締め直して続行ということもあったみたいだね。また前袋が落ちたら反則負けとなるにしても、それは取り組み中に起きた場合であって、勝負がついたのちにマワシが外れても勝敗はくつがえらないということもわかる。不謹慎な言い方かもしれないが、相手をうまく投げ飛ばして勝ちを決め、その後に自然にはらりとマワシが落ちるようなパフォーマンスをすれば、勝負に勝てて話題もとれるかもしれないね。実際にはどうだろう。
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